3章 疑われる者
3章 疑われる者 その1
6月11日、23時頃。
サヤの木造校舎、集合場所である教室内。
顔を合わせた半数がげんなりした顔をしていた。
「……おはよう、キミたち」
「何言ってんだし……今の時間はこんばんはじゃん」
「はは……社会に出てないキミは、知らないだろうけど……はあ」
最初の頃はあんなに論争をしていた黒木と要津が、今はこんな調子である。
とにかくみんなしてやつれているというか、覇気がなくなっていた。
おそらくその原因は、連日のサヤの探索のせいである。
「みんな集まったことだし、今まで収集した情報をまとめるね」
初日と変わらぬテンションの持ち主の一人、雪奈が言った。
それに相槌を打つようにうなずく浦野も、変わり映えのしない一人。
あと一人……いや一匹は、教卓の上で我関せずといった様子で丸くなっている猫又だ。
連日俺と一緒に行動していた小租田にも、少し疲れが出ている。
かくいう俺も寝不足で少し頭がぼうっとしている。
「雪奈たちはこの9日間、鯉口(こいぐち)の探索にあたったわけだけど」
「……なあ、その鯉口ってなんだっけ? 」
「もーぅ、さっきみんなで決めたでしょ。この校舎を取り巻く町の名前だよ。正式名称は鯉口町(こいぐちちょう)」
「あ、ああ、そうだったな……」
この有様だ。
つい数分前の話でさえ、意識を集中しないと頭から飛んでしまう。
こんな状況になったのは、高校時代にバトロワゲーにハマって連日やり込みながら学校に行っていた頃以来だ。
雪奈は軽く肩を竦めて本題に戻る。
「サヤの世界には七色の鍵っていうものがあって、それ等はこことは異なる空間の妖穴(ようけつ)……つまりダンジョンの奥深くにある。ただしその妖穴が存在する場所は『おそらくこの辺り』という程度の推測があるだけで、完全に特定されているわけではない。まったくの的外れだという可能性さえある」
「……その七色の鍵を使えば、ぬらりひょんのいる場所にいけるってわけだ?」
「そうだね。そこにツユバライも存在する」
「……それさえデタラメ、ってことはないじゃん?」
恐る恐る要津が訊くが、雪奈は首を横に振り。
「十分にあり得ると思うよ。ここは多分、クリアが前提に作られたRPGとは違う。すべてが作り話だったとしても、不思議じゃない」
「じゃっ、じゃあ何だい!? ツユバライを手に入れても、永遠の6月から抜け出せないかもしれないってことか!? そもそもツユバライさえないってことはないだろうね!?」
雪奈が主犯であるかのように噛みついてく黒木にまるで動じず、雪奈は言った。
「ツユバライはきっと存在するし、手に入れればきっと永遠の6月から抜け出せるよ」
「どうしてそんなことが言える!?」
「猫又ちゃんはあの振る舞いや口ぶりから察するに、ゲームマスター的な立ち位置にいる。だからその辺りはひとまず信用すべきだよ」
「し、しかし……。万が一嘘だったら、時間の無駄に……」
「なら逆に訊くけど、今の雪奈たちに他にできることってある? 何もせずに6月まで待ってみる? それこそ、時間の無駄だと思うけど」
雪奈の畳みかけるような舌鋒に黒木は黙り込む。
そう。あれから雪奈はツユバライのプログラムや、SNSなどでの情報収集――これは俺も手伝った――と手を尽くしていたが、一向に成果は上がらなかった。
残ったのがこの第三の方法、ツユバライのありかを探すことだけ。
だから彼女自身が一番、現状の行き詰まりを身に沁みて知っているのだ。
「他にも不満のある人はいる? 黙り込む必要はないよ、発言の自由は誰にだってあるんだから」
雪奈は板についた調子で場にいる人々に問う。発言の内容とは裏腹に、声の調子は真冬の空気のように冷たい。
誰もが委縮する中、小租田がおずおずと手を上げて言った。
「でも、こう毎日1時間、2時間……下手したら3、4時間も取られると、さすがに実生活に支障をきたすのですが……」
「ねえ、小租田さん。あなたは今の状況がわかってるの?」
「わ、わかってます。だけどその、わたしがダメになっちゃうと妹に迷惑が……」
妹という単語に、雪奈は一瞬言葉をつまらせたようだった。
しかしすぐに迷いを断つがごとく口を切った。
「あなたの妹さんは、6月30日になれば、記憶を失って6月1日の状態に戻る。いくら負担をかけてもそれはなかったことになるんだよ。だったら今は迷惑なんて考えずに……むしろ実生活なんて全部捨てて、このサヤの探索に全力を注ぐべきなんだよ」
雪奈の発言に、小租田の顔色がさっと青く変わり……徐々に火がついたかのように赤らみついには爆発する。
「そっ、そんな……そんなのっ、妹を玩具のように扱ってるみたいじゃないですかっ!?」
その絶叫に首を傾いだ雪奈は、ふと笑みを浮かべてうなずき。
「玩具? ……ああ、なるほど。人間への対応とは思えない、とでも言いたいんだね」
「どうせ忘れるんだから、どんな酷いことをしようとも構わない、なんて……。そんなの絶対に間違ってますっ!」
「小租田さん。今この場にいない人間は、死んでるのと大差ないんだよ」
その一言は小租田だけでなく、室内の空気をも凍結させた。
あまりの衝撃に誰もが言葉を失った。
雪奈の小さな体が、一瞬にして悪魔にすり替わってしまったかのような……そんな錯覚さえ覚える。
悪魔は語る、滔々とした口調で。
「人間は記憶を継続して蓄え続けることで自我を、心を形成していく。もしもそこに致命的な支障をきたしたら、その人自身という存在そのものが失われる。ただの記憶喪失なら救いようがあるよ。そこから新しい人間としてやり直していけばいいんだからね。でも一定の周期で記憶が巻き戻る症状を抱えているなら、その人はもはや一個体として認めるわけにはいかない」
「そんなことありません! 妹は……今この時もちゃんと息をして、言葉を発して……心臓の鼓動を鳴らして、生きてるんですから!」
「その前提条件は無意味だよ。矯正器具を使えばどうとでもなる。それより重症なのが永遠の6月に捕らえられた、雪奈たち……これにも名称をつけた方が便利だね。そうだね、雪奈たちは覚えている者だからリメンバーズ。そうでない今現実にいる、記憶を失われる人たちはルザーって呼ぶことにしようか」
雪奈の命名により、俺と現実にいる人々は明確別の存在として分かたれることになった。
本月も真琴とも、俺は自身が異なる存在であると意識しなくてはならなくなったのだ。
ふと疑問が湧き、俺は雪奈に訊いた。
「……なあ。どうして俺たちは複数形なのに、記憶を失う人たちは単数形なんだ?」
「お兄ちゃん。多くの場合、生きている人は生存者、死んだ人は死者って呼ぶのはなんとなくでも知ってるよね。生きている人間は『在る』、死んだ人は『無い』という扱いを受ける。わざわざ無いものを無いと呼ぶことはしない。だから簡略化して呼ばれる。つまりはそういうことだよ」
……徹底的に記憶のない人を死者同然に扱うと意思表示している、ということか。
雪奈の泰然とした態度から語られる言葉は、徐々に聴衆から反抗の意識を削いでいく。
彼女の言葉が正しいと認めているわけでないかもしれない。
だが不動の余裕を見せつけられると、自分の抱いている考えこそが正しいという信念が揺らいでいってしまうのだ。
「必ず失われる記憶、全てがリセットされる世界。こんな状況じゃ、雪奈たちが矯正器具としての役割を果たすことはできない。だってルザーが大多数だからね。リメンバーズの雪奈たち異端者が、いくら正しい知識を与えようとしても受け入れるわけがない。むしそ精神疾患としてどこかの病院に入れられちゃうよ」
「でっ、でも、もしも全てを蔑(ないがし)ろにしてツユバライを探して……間違ってそれを手に入れたら、その世界が本物になってしまうんですよ。たとえ正しいことをしていたとしても、周囲の人からはそうは見えない。一生消えない汚点をこの6月に残してしまう……」
「小租田クンの言う通りだっ。もしもボクが会社をクビになって、その6月が本物になってしまったら、キミは責任をとれるのかいっ!?」
小租田と黒木を見比べて、雪奈は鼻で軽く息を吐いた。
「1ヶ月は確かに個人からしたら、貴重な時間だね。でもこの場にいる人間のほとんどがたとえ1ヶ月……ううん、1年や2年、5年、10年失踪したところで、最悪死んだとしても、社会には大した影響はないよ」
「なっ……そ、そんなわけない! ボクは会社にとってなくてはならない存在で……」
「会社っていうのは大抵の場合、誰かが消えても代わりが補充できるような作りになっているんだよ。そうでなくちゃ、企業としてやっていけない。もしもたった一人に重責を負わせているような会社があったら、そこは遅かれ早かれ破綻を迎える。少数のヒーローが戦い続けて平和を守っている特撮もののような世界……あんなのまやかしだよ。もしもあなたが大人なら、あれを見て危うさを覚えるぐらいの感性は持ってるよね?」
がっくりと肩を落とした黒木は、くずおれるように椅子に座った。
しかしそれでもなお、小租田はめげずに最後の力を振り絞る。
「ですが……っ、わたしがもしも死んで、その世界が本物になったら、妹が悲しみます! あなただって暁夜さんが死んだら、悲しいでしょう!?」
「それ、は……」
初めて雪奈の顔に歪みが生まれる。
彼女は救いを求めるように、こちらへ視線を向けてきた。
……たった6人の世界。記憶は次の6月にも継続され、やり直しがきかない。
雪奈の味方をすることで反感を買い、今後のサヤでの居心地を悪いものに変えてしまうかもしれない。
一抹の不安が胸を占める。
雪奈はたった一人の妹だ。
だからといって庇う義務はない。家族とか、血の繋がりなんて目に見えないものに縛られるほど人間は道徳観念に忠実な生き物じゃない。
むしろここは雪奈を見捨てて、多数派の味方をする方が賢いかもしれない。
――イヤだ。
自分が雪奈を見捨てる考えが浮かんだ途端、胸が痛んだ。
俺には雪奈を見捨てるなんて、できない。
「すまない、俺の妹が言いすぎたみたいだ」
俺は雪奈と小租田たちの間に入り言った。
小租田はちょっと目を見開き、俺の顔をまじまじ見てきた。
「……暁夜さん」
「まだ中学生で、ちょっと熱くなりやすいところがあるんだ。許してやってくれ」
黙り込む小租田の前に出て、黒木は唾を飛ばす勢いで怒鳴ってくる。
「だ、だがね、キミ! 人の命を軽々しく扱うその子を、なんのお咎めもなく許すわけにはいかんだろう!?」
「お咎めってのがあるなら、代わりに俺が受けるよ」
「おっ、お兄ちゃんっ、それは……」
何か発しかけた雪奈を、俺は手で制す。
黒木はなおも好戦的に「それならっ」と口に仕掛けたが、そこへ横槍が入った。
「おじさん、ちょっと熱くなりすぎじゃん」
要津がおかしがるように笑って肩を叩く。
「ちょっとは落ち着きなよ。ガキの戯言(ざれごと)っしょ」
「要津クンっ、これは到底看過できることじゃないのだぞっ。人命とは何よりも尊ばれるできものであって……」
「はいはい、説教は後でいいから。みんなさ、連日の探索と実生活で疲れてんでしょ。今日はもうこの辺でお開きにしてさ、続きはまた明日ってことにしない?」
要津の提案に反対する者はいなかった。
しばしの沈黙の後、彼女は手を叩き。
「はいっ、決まり。じゃあ今日は解散。みんな帰った、帰った」
黒木と小租田は顔を見合わせ、周囲の様子を窺う。
雪奈は力なく俯いてじっとしていた。
「……お先」
そう残して浦野は真っ先にツユバライのアプリを起動。身体が水に溶けるインクのように周囲の景色に混ざり、消えていく。
それを見た黒木と小租田も「お疲れ」「お疲れ様です」とみんなに言って現実へ帰っていく。
俺もそれに倣おうとしたが、その前に要津から声がかかった。
「暁夜っち。あんたにはちょっと顔を貸してほしいんだけど」
「俺か?」
「そう。雪奈っち、いいよね?」
「えっ? あ、その……」
心細そうに見上げてくる雪奈の頭に、俺は軽く手を置いて言った。
「心配するな。ちょっと話したいことがあるだけだろ?」
「そゆこと。な、いいっしょ?」
「う、うん……。でもなるべく早く帰って来てね」
「ああ、約束する」
雪奈はまだ何か言いたそうだったが、ちょっと肩をすぼませてスマホを取り出し、現実世界に帰っていった。
要津はすっと目を細め、教卓の上を見やる。そこにはもう、猫又の姿はなかった。
それからこちらを向き、剣呑な声で切り出した。
「……あんた等が、黒幕か?」
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