愛国主義者の異世界崩壊録

川口香織

第1話 転生する愛国主義者

 俺は人生で最大のピンチを迎えていた。指一本動かす事ができず、助けを呼ぼうにも声が出せない。


 こんな状況になった理由を説明するためにも、まずは俺の事を説明する。


 俺は綿貫千鶴わたぬきちずる。32歳独身。彼女も仕事もなしの童貞。人生の桜咲く時期はとっくに過ぎたのに、未だにチェリーと言う哀しみの化身。


 でも俺に仕事と彼女が無いのは、生まれる時代が悪かったと言う他ない。この世界は平和過ぎる。


 俺は小さい頃から争いが好きだった。5歳の頃に誕生日プレゼントは何がいいかと聞かれた時。その穢れない眼で、舌足らずに頼んだ物が、


「せんじゅつしょ‼︎」だった。


 親の苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない表情を覚えている。


 他の家の子供達がゲームに夢中になっている時、俺は戦術書を貪るように読んでいた。


「僕のゲーム機貸してあげるよ。遊んでみたいんでしょ」と同級生の鈴木くんに同情された時、


「おのれ上杉謙信! 小生を侮辱するか! 誇り高い武田の名を汚すくらいなら、死を選ぶわ!」と返していた。ちなみにこれは、敵に塩を送るの語源を改変したギャグで、『塩』と『死を』を掛けたダジャレだったりする。


 当然、俺以外の小学生がこんなギャグを理解する事はなく、どころか親御さんも理解が追い付かずに、奇人のレッテルを貼られた事は言うまでもない。


 それでも他人に興味がなかった俺には、全く関心のない事だった。俺がこんなになった原因は、中学で日本の戦争についての話を聞いたあの時だ。


「日本は憲法第九条により、戦争する権利を放棄しています」


 衝撃的だった。将来の夢をみんなで話し合った記憶が走馬灯のように蘇った。


「将来何になる? 私はケーキ屋さん」


「僕は宇宙飛行士!」


「小生は実家の花屋を継ぎますぞ!」


 ……一応言うけど、こいつは俺じゃない。俺と同じベクトルである事は認めるけど、俺の一人称は基本俺。日常会話で小生なんて言わない。


 俺の返事はこうだった。


「俺は日本軍の指揮官になる。我が祖国を世界一の最強軍に作り直すのが、この国に生まれた男児の務めだ」


 小学生の頃からの夢……いや、もっと小さい頃からぼんやりとあった未来図は、儚く崩れ去った。


 俺は家に篭り、消しゴムや鉛筆を敵に見立てて戦術を組み立てる事ばかりに集中していた。いつか戦国時代に逆戻りした時の事を想像しながら戦っている時が、一番輝いている気がした。


 そんな生活を二十年以上過ごしていた。その間にも日本は戦争などしなかった。強いて言うなら、きのことたけのこは恒常的に戦争していたけど、そのくらいだ。


 そして一週間くらい前の話だったか、新たな戦術書を買った俺は、空腹や疲れ、眠気も忘れて読み続けた。


 結果。栄養失調や過労により、指一本動かせなくなっていた。


 それに気付いたのは数時間前。ページがめくれなくなって初めて絶望的な現実を理解した。


 これは確実に死ぬ。走馬灯……はもうネタ切れした。さっきまで見ていた記憶が走馬灯みたいな物だ。


 なんだか死ぬまでの時間が長いと、恐怖とかよりトイレを流したかどうかとか、せめて最後の晩餐は食べたかったとか、そういえば一週間に食べた物なんだっけとか、そんな事が気になり出した。


 そうだ。走馬灯で一週間前を見れば何食べたかわかるじゃないか。俺は餓死寸前の胃が切り裂かれるような空腹感に耐えながら、走馬灯をもう一度見ようとした。


 その時、俺の意識は闇に落ちた。死んだと理解した次の瞬間、真っ暗な空間にいた。


 目の前には痴女のように肌を露出させた女がいる。金色の髪に、青い目。立体的な顔立ち。完全に外国人の顔立ちだ。


「残念ながら、あなたの人生は終わってしまいました」


 外国人の割に流暢な日本語を使う。


 話は変わるが、俺は腹が減って無性にイライラしている。そして、日本にはツッコミと言う文化がある。ツッコミとは、不自然な事やあり得ない事に対して、大きな声でテンポ良く指摘をすることだ。


「そんなわけあるか!」


 俺は目の前の女に拳を繰り出した。


 咄嗟の事に理解が及ばない女は、まるで対応できずに、その端正な顔に俺の硬く握られた拳が命中した。


「え? え? 今私はなんで叩かれたんですか?」


「ボケにはツッコミが必要だろ? で、ここはどこだ? 誘拐とかならもう一度ツッコむぞ」


「ツッコミってパーですよね? グーでやったらただの暴力じゃないですか。それに、説明しましたよね? あなたは死んでしまったんです」


「天丼か!」とツッコミをしてから拳を繰り出す。


「そう何度も叩かせませんよ!」と言って柔らかい手で俺の手を握った。


 対応されて掴まれてしまったので、次はその手を引き寄せて足を腕に乗せて、腕挫十字固を決めた。


「痛い痛い痛い! ちょっ、ギブアップです!」


 これはツッコミだ。決して空腹からくる腹いせではない。と言うか、この状況はどう見たって誘拐。俺の気絶している間に誘拐したのなら、悪いのはこの女だ。腹いせに何度か殴っても正当防衛の範囲内。


 女は苦しみながら空中に何か描いたと思うと――俺はまた別の世界にいた。


 周囲には鬱蒼とした森が広がり、人の気配はない。


 サバイバル知識はあるので生き残るのは容易だが、現在地も分からない中で植物を見分けるのはかなり難しい。それによく見れば木々は見た事のない種類だ。もしかしたら海外に誘拐されてしまったのかもしれない。その運送過程で何か事故があり、こんな場所に捨てられたのかもしれない。


 そうだとしたら、生活必需品だけでなく、誘拐犯を仕留められるだけの武器の調達も重要になってくる。


 俺は近くに実っていた果実をもぎ取った。スイカサイズのイチゴみたいな植物で、千切るようにして中を見てもイチゴみたいだ。匂いも甘くて美味しそう。


「可食性テストってどんなんだっけな……確か……」


 手に果汁が付着したので、15分待って何も反応が無かったら、次は唇に数滴垂らして……めんどくさい。


「15秒でいいか。同じ15だしそんな変わらないよな。よし、いただきます!」


 俺は空腹に負けてスイカサイズのイチゴを汚らしく食い散らかした。ちょうどスイカの早食いみたいな食べ方だ。


 普通のイチゴみたいな味だ。美味しい。


 毒性を含んでいるかもしれないが、今すぐにでも何か食べなければ死にそうなんだ。どっちにしろ死ぬなら満腹で死にたい。


 それに毒があったらあったで好都合。武器に塗って殺傷力を高められる。




「それ食べられるんだ」


 背後を見ると、銀髪のショートヘアをした少女がいた。12歳くらいか。目は左が紅く、右が翠のオッドアイ。


 一度も見た事のない髪色に、一度も見た事のないオッドアイ。と言うか、片方ずつの色々も見たことがない。


 それともう一つの特徴として、犬のような耳や尻尾が生えている。


 満腹になって冷静さを取り戻した頭には、この異常事態の擬人化のような彼女の正体がわかった。


 ――コスプレだ。


「可食性を調べたいなら8時間後にまた来い。俺が生きてたら食べられる」


「へー。おじさんは食べられるか分からないのに食べたの?」


「ああ、腹減ってたからな」


「まだお腹減ってる?」


 正直今は満腹だけど、食料は多いに越したことはない。


「そうだな。まだ減っている」


「そうなんだ。じゃあこれあげる」


 そう言って差し出してきたのは、両手いっぱいの虫や、どんぐりのような木の実。あとはネズミの死骸。


 これを食べろと言うのか? まあおままごとみたいなものか。よくよく考えれば、こんな子供がまともな食料を持っている方が変な話か。


「ありがとう」と言って食べるフリをして地面に落とした。


「なんで捨てちゃうの?」


「人間の尊厳を捨てるわけにはいかないからな」


「そっかー、あなた人間なのね。なら……」


 少女は俯いた。泣いてるのかと思い顔を覗き込むと、口がバリバリと裂け、獣のような歯と爪が生えていた。


「私に食べられてよ」


 これが西洋に伝え聞く狼男か。伝説上の化け物をこの目に収めるのはこれが初めてだ。


 俺は恐怖に慄きながら全力で走り出した。変形中に逃げ出せたから十分な距離は保っているけど、狼の走力は時速70キロ。それで20分は走れるらしい。


 対する人間の俺は、どれだけ高く見積もっても最高時速は35キロくらい。持久力に関しては久しぶりの運動なので5分走れるかどうか。


 つまりは絶対に逃げきれない。


 もう逃げる気もないが。


 俺は立ち止まって素早く振り返ると、出来る限りの声を振り絞った。


「お前、群れから追い出されたな。それもボスとの権力争いではなく、馴染めずに追い出されたな」


 これらの情報は全て、観察する事で今知った情報だ。狼は狩の時、数匹で獲物を囲むのに対して、今は周りに他の狼がいない。それから群れを成していない事がわかる。抜けた理由は、ボスと争ったのなら体に怪我があるはずと言う、簡単な推理だ。


 図星だったのか、狼は「なんでそれを……」と呟きながら足を止めた。


 中国の兵法書、兵法三十六計の中の一つ『樹上開花』では、小群は大群と見せる事の重要性を説いている。全くだ。無力な俺だが、観察力を何か『不明な力』と勘違いさせれば、戦えずとも命乞いをする時間はできた。


「俺には無数の仲間がいるからな。ほら、耳を澄ませよ」


 よく聞くと、ガサゴソと音が四方八方から聞こえる。当然俺の仲間ではない。多分小鳥が木から木に飛び移る音や、風のせいで葉どうしが擦れる音だ。


 子供を騙すならこのくらい適当でいい。


「わ、私を食べるの?」


 勘違いした狼は震えなが後退りしている。


「食べはしないが、俺も驚かされたからな。その代償は払ってもらう」


「私なにも持ってないよ……あ、ネズミなら……」


「そんなものいるか!」


 俺の渾身のツッコミが顎に命中した。脳を震わせるような衝撃を味わった狼は、怯えた子犬のように逃げ出した。


 脳震盪で倒せたら夕食には困らなかっただろうけど、仕方ない。あと7時間異常がなければ、頭上の果物を食べればいい。

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