雪を溶く熱―鬼は泣き、笑う―
泡沫 希生
終焉
今しかないと思った。俺は相手の心臓目掛けて、ナイフを差し込んだ。
静まりかえった冬の夜に、ザシュッと鈍い音が響く。ナイフを深く差しいれ、素早く柄から手を離す。
隙をつかれて刺された男は、苦痛に顔を歪めながら地面に倒れていく。軋むような音をたてて、雪がその体を受け止めた。じわりじわりと、男の服が赤色に染まる。
男はうめきつつもナイフを抜くためか、柄に手をかけ――その瞬間に力尽きたのか、声が消えたかと思うと腕を雪の上に投げ出した。中途半端に開いた目から光が失われていく。
……終わったらしい。
体から力が抜けて、そのままそこに座り込んでしまう。俺は息を深く吐き出した。息が空気を白く塗って消えていく。
心臓が激しく脈打っている。痛いくらいだ。外に漂っているはずの冷気が全く感じられないほど、体が熱い。
息を整えながら、自分の顔についた血をコートの袖で荒く拭う。まとわりついていた鉄のにおいが、マシになった気がする。
男の体をぼんやりと眺める。何度刺しても男の傷はすぐに治った。心臓を刺しても本当に死んだのかいまいち実感がない。また襲ってくるのではないかと嫌な想像が頭を巡る。手袋ごしに伝わってきた、沈みこむナイフの感触がよみがえる。
自分の呼吸の音しか聞こえないような静寂の中で、不意に後ろから音がした。雪の上で何かが動いた、サクッという軽い音。
「……美冬?」
俺はゆっくりと立ち上がると、公園の端にぽつんと生える針葉樹に近づいた。男の方をうかがってから、音をたてずに木の背後にまわる。
俺が寝かせた姿勢のままで、美冬は眠っていた。起きてはいないようだ。
コートを着ているといっても、このまま眠らせておくのは危ないだろう。
どうすべきか考えなければ。
俺は改めて辺りを見渡した。男の周りの雪は所々えぐれて、そこここに血が飛んでいる。美冬が好きな真白な雪には程遠い。
美冬には怪我一つない。彼女が身にまとう桃色のコートにも汚れはない。俺の幼なじみは、いつもと変わらずここにいる。
それなら良かった。
俺は美冬の顔をじっと眺めた。丸みのある顔の輪郭、赤みを帯びた頬、ふっくらとした唇。
少なくとも、こんなに間近で彼女の顔を見ることはこの先ないだろう。できるわけがない。
ああ、はじめてかもしれない。こんなにも、自分が人でないことを恨んだのは。
嗚咽を漏らしそうになりながら、携帯を取り出す。さっき見た、彼女の恐怖に満ちた顔を思い出す。巻き込んでごめん、怖い思いをさせてごめん。
ためらいながら携帯の電話帳を開く。どうすればいいのかわからない。親父の力を借りるしかなさそうだ。
雲間からのぞく三日月を見ながら、電話をかけた。美冬を見ていたら、泣いてしまう気がしたから。
「どうした、秋人?」
電話の向こうの声に、ひたすら意識を集中させた。
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