第45話 神はお忙しいようです。

お嬢様も楽ではない。

マナーやダンスを叩き込まれた地獄の日々が終わっても、楽しい日々がやってくる訳ではなかった。

お茶会や舞踏会に向かう前には予習が欠かせない。

今の流行や最近の話題を押さえておくのは貴族のマナーの1つだ。


いかに優雅に答えられるか?


古典を引用した言い回した教養が試される。

本人らは1,000年間も残る歌合せの気分なのが、所詮はなんちゃってだ。

私はこれが苦手なのだ。


過去の王の発した言葉集や偉人の自伝が必修であり、教養に何がおもしろいのか判らない恋愛小説を覚えないといけない。


例えるなら、

夏目漱石は『I LOVE YOU』を「月が綺麗ですね」と訳した。

この返事が「死んでもいいわ」なら『Yours(あなたのものよ)』と言う意味になる。

その返事を貰った男性は有頂天だ。

少し躱して「あなたと見る月だからでしょう」か、「今なら手が届くかも」なら脈ありで“OKよ”という意味になる。

私がダンスを踊っていて、間違って答えようものなら大変なことになる。


婚約者いるから不倫のお誘いだ。


流石にそれは拙い。

だから、私の返事は「死ねばいいのに!」だ。

言われた瞬間、踊っている相手の目が死んだ魚の目に変わる。

でも、リュディガー様(東領のエスト侯爵の子息)が冗談交じりに言ってきたときは対処が困る。

少なくとも「手が届かないからこそ綺麗なんです」と答えないといけない。


リュディガー様にそんな教養はないから大丈夫だけどね!


でも、私より格式の高い男性から冗談を言われることはよくある。

返答の間違うと、次のお茶会の笑いネタにされる。


女子会(お茶会)って、割と怖いわ!


私はそのネタの常連様だ。

母上が御冠になるのは、そういう意味だ。

このマナーは毎年更新されるから追い駆けないといけない。

ワイドショーが好きなのは、どの世界も共通のようだ。


「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」


このイエスの言葉だが、この世界では私が作ったことになる。

商人と貧民キャンプの者に言った。


『隣人を愛せ!』


報復をしてはならない。

釈迦も言っている。

毒の矢が刺さったなら、誰が毒の矢を放ったのかを考えても仕方ない。

毒の矢を抜くのが大切なのです。


つまり、私は「神は見ているので、無駄な報復は止めなさい」と嗜めた訳だ。

左の頬を差し出した者は救われ、反抗した者は一緒に地獄に落とされると理解してくれた。

大司教からお褒めの言葉を頂いた。


すると、私の名言は舞踏会のプロポーズの言葉になる。

シーズンの途中というのに素早い!

この愛の言葉をささやく男性は、流行に敏感というか、お洒落と評価される。


「あなたが右の頬を打つなら、私は左の頬をも向けましょう」


女性は「神は見ております」と言えば、“OK”であり、「神はいません」と答えると“NO”という意味だ。

恋愛脳は凄いと感心した。


そこで悪戯なパートナーは私に囁いた。


「あなたが右の頬を打つなら、私は左の頬をも向けましょう」


おい、婚約者のいる私に囁く言葉じゃないだろう。

周りでダンスを踊っていたカップルが聞き耳を立てている。


もちろん、答えは“NO”なのだけれども、「神はいません」と言えば、教会に対しての反逆と捉えかねない。

もちろん、それで罪に問われることはないだろうが、明日からお茶会の話題にされるのは間違いない。

母上がお怒りになる顔が浮かび、私はしばし考えて「神はお忙しいようです」と答えると、パートナーは微笑み、周りのカップルも頷いた。


こんな感じで名言が更新されるから、アンテナをいつも広げていないと恥を掻く。


面倒臭いことだ。


 ◇◇◇


アンドラも貯まった報告書を読みながら、午後のお茶を楽しんでいる。

舞踏会とお茶会のない日はいつもこんな感じだ。


「姉様、プロイス王国の国王が“道にイバラがあるなら避ければよい”と言ったそうです」

「あら、それは拙いわね。今回の不作で宿敵との戦争を中断するという意味でしょうね」


隣国は騎士王国であり、中央集権国家だ。

国王の権力が強く、復興が一気に進めることができる。

そして、敵の国王は無能ではなかった。

一方、プロイス王国は我が王国と同じく、貴族制国家だ。

利害調整に時間が掛かり、常に謀反の火種を抱えている。


中央集権国家も貴族制国家もどちらもメリットもデメリットがある。


どちらが優れている訳ではない。

ただ、我が国王は凡庸であり、敵国は優秀、そして、同盟国の国王は国是の領土奪還を留保すると宣言した。

敵国が我が国を攻めやすくなった。

これが再来年の春の侵攻に繋がっている訳か!


あらぁ、私は思わず、報告書を手に取ってにんまりと笑った。


「アンドラ、わたくしはこの報告書に金貨10枚を出そうと思うのだけれど、どう思うかしら?」


私がアンドラに渡した報告書は貴族の動向を記したものだ。

侍女や下男が語った他愛のない話であり、お茶会でお菓子が残ると期待していたのに1つも残らなかった。

あの〇〇夫人がお菓子をポケットに入れて持ち帰ったのよ。

そんな愚痴が書かれているものだ。

本当につまらないことが沢山書かれている。


「貴族の性癖や財政が推測できますので悪くないと思いますが、金貨1枚以上の価値があるとは思えません」

「アンドラに見えないのね?」

「はぁ?」

「アポニー家の侍女の愚痴を読んでみて!」

「はい、アポニー家の令嬢は晩餐会が始まるとすぐに花摘みに行かれる。花摘みなど晩餐会がはじまる前に行くべきなのに困ったお嬢様だ」

「もう1つあるでしょう」

「嫌になっちゃう。当主の姉君がお帰りになるのでお嬢様を呼びに行くとお部屋にいないのよ。当主に怒られた。どこにいたか聞くと薔薇園で花を見ていたですって、晩餐会の日に行かなくもいいじゃない。そう思わない。これですか?」

「ええ、そうよ」

「それほど重要でしょうか?」

「アポニー家の令嬢ドーリは、去年の春に舞踏会デビューを果たしているだけれど、3度ともダンスを踊っていない」

「母上様が聞けば、さぞお怒りになれるでしょうね!」

「まったくよ。でも、アポニー家の令嬢は他家に嫁がないという家訓があるのよ。それのお蔭で許されているのよ」


私は舞踏会であいさつを終えるとドーリを探した。

でも、3度ともドーリは会場から姿を消し、誰に聞いてもどこにいるか判らないと言う。

本当に知らないのか判らなかったが、とにかく教えてくれない。


「この2つの愚痴は貴重な情報よ」

「確かにアポニー家の内情を探らせるのは無理ですから貴重と言えば貴重ですが、それでも金貨10枚とは思えません」

「これはわたくしの推測だけれども、ドーリは人見知りが激しく、舞踏会のあいさつを終えると、会場を抜けて薔薇園で時間を潰している」

「なるほど、アポニー家の令嬢の居場所を知らせる情報になる訳ですね!」

「しかも舞踏会でダンスを踊らないというのは、体の機能に欠陥があると噂されてもおかしくない行動をアポニー家の当主が許している。母上が聞けば、髪を逆立てて怒るようなことよ」

「確かに、そう考えると奇妙ですね?」

「おそらく、ドーリの人見知りは他家に知られたくないほど酷いモノと推測できないかしら?」

「凄いです、姉様」

「人見知りのドーリの友人になれれば、かなりの恩を期待できないかしら?」

「確かに! 考えも付きませんでした。巧く懐柔できれば、アポニー家に大きな恩を売れるかもしれません。確かに金貨10枚の価値があります」

「でしょう!」


ドーリの人見知りははじめから知っているから推測でも何でもない。

でも、場所が特定できたことが朗報だ。

失敗して失うものは何もない。


注意すべきことは、会った瞬間に逃げられないことだ。


さぁ、やる気でてきたぞ。


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