1.よん

 頭の中身が揺れるような感覚が、ずっとある。

 舞台の上から見える景色には、もう何の感情も抱けなかった。慣れすぎてしまっただけではない。わたしには、それ以外に考えることや、気にする事柄が、両手で抱えきれないくらいあった。

 指紋のこびりついた、白鍵と黒鍵。キーボードを触る。アナログ・シンセサイザーだ。練習通り。何度も練習した。低音部分を担っている。フレーズを聞き飽きて、その予定調和加減に、近所の腹の立つガキくらいの不快感を覚えているほどだった。

 ドラムパッドと、サイレントブズーキのメンバーが、音を合わせてくる。問題ない。別に、一緒に演奏してきた期間は、一緒に溶け合ってしまうくらいに長い。

 お腹の辺りに、殴られるような振動がある。

 気持ちいい。

 なんだかんだ言って、自分のバンドから発せられる大音量を、こうやって浴びるのは好きなのだろう。

 ライトがチカチカする。薄暗くて、息が詰まりそうなほどのスペースしか用意されていない地下ライブハウスには、攻撃的なくらいの数のライトが備えてあった。それがどういう仕組みなのか、わたし達の演奏に合わせて、点滅とカラーチェンジを生きているみたいに繰り返している。

 盛り上がってはいる。古くからわたしたちのバンド、「スウェイン・イン・ジ・エアー(略称SIA)」を応援してくれている人たちも多い。彼らが、率先して見に来てくれているから、わたしたちは安心して、どんなライブでも行える。

 だけど、その昔から、決定的な違いがひとつある。

 ボーカルは、今日も歌わなかった。

 インストゥルメンタルではない。本来は歌詞もきちんと考えてある、れっきとした歌唱曲なのだけれど、ボーカルは歌わない。一応儀式的にマイクまで備えているが、想定通りに全く用いられることはなかった。

 主旋律の部分は、ボーカルの担いでいるエレキギターが奏でているので、それはそれで物足りないというものではない。だけど、ずっとこんな調子で、バンドもお客も存続している事自体が、わたしにとっては不思議だった。

 客は、それでも盛り上がってくれる。かつての精力的な活動の、貯金だとも言えた。いつ愛想を尽かされるかという恐怖を、同時に抱えてもいるけれど。

 ボーカルの女が歌わない理由を、もちろんわたしは知っている。彼女はある事情から喉の手術を受けて、駄目にしてしまった。この曲も、どの曲も、歌えるような制御能力を、もう持っていないから。

 わかりきっていたのに、実際は本気を出せば歌いこなせるんじゃないかって、そういう祈りを毎回背負っている自分に、いつになったら嫌気が差すのだろう。いつになったら、祈ることも辞めてしまえるのだろう。

 だけど、あなたがマイクの前に立つたびに、オートマチックに期待を生成してしまう。

 月の夜。

 この曲には、思い入れがあった。ふだん、わたしも鼻歌なんかでよく歌うくらいに気に入っている。わたしたちの思い出の曲、そして今の地位を決定づけた代表曲だ。

 歌詞を、思い出す。

 ボーカル、一尾ことはが、五分で書いた歌詞だった。



泣いてしまいたい時があっても 泣くことは難しい

だってもう いい大人なのさ

怒ってしまいたい時があっても 怒ることは困難

だってもう 生き血を知らない歳じゃない


ぶっとばそうぜ そんなもの

自分の思い通りに 生きていくべきなんだ

世間の風と 

あの空に浮かぶ大きな月のどちらを信じるんだ?


前を向いていれば 前を向いていれば 月の夜が君を照らすだろう

全力で駆け抜けた その先の報酬があるのさ

自分見ていれば 自分見ていれば 

月の夜が君を 月の夜に照らされた君が 

浮かんでいる



まるで叱りたいことがあっても 抑えてしまうよね

だってさあ 嫌われたくないし

君に好きと言いたい時があっても 恥ずかしくて言えない

だってさあ 閾値を測ればわかっちゃうし


蹴り飛ばそうよ こんなのは

自分を抑え込んで なにか見つけられるのか

不安なままと 

あの腕で鳴らした大きな鐘のどちらに分があるんだ?


前を向いていこう 前を向いていけば 月の夜が君を称えるよ

戦力を値踏みした その先に栄光はないのさ

自分信じれば 自分信じていれば 

月の夜が君と 月の夜にほだされた僕が 

浮かんでいる 

浮かんでいる



 反省会を終えて、一尾ことはと二人で、真夜中の街を歩きながら帰った。

 もう季節は冬になっている。冬は、あまり好きじゃない。どうでも良いことについて、いつまでもいつまでも悩んでしまいそうになるくらい、寂しくて腹の立つ季節だからだった。

 ことはとの会話は、ない。何故なら、彼女は現在、わたしの家に住んでいるから。ある程度の日常会話なんて既に済ませてあるし、ライブについては反省会で語り尽くした。ずっとコミュニケーションを取り続けなければならないほど、お互いのことを知らないわけでも、お互いに飢えているわけでもなかった。

 わたしの家は、無数に乱立している一人暮らし用マンションのうちのひとつ、外壁は真っ青で綺麗な建物。その六階の角部屋だった。

『池岡』。

 見飽きた、自分の名前が記されている表札。貼り付けたセロテープが、黄ばんで剥がれかかっている。よもや、ここに二人も住んでいるなんて、大家さんも考えはしないだろう。

 中は単純明快。廊下にキッチンにトイレとバスルーム。抜けると広めのリビング、ベランダ。その隣は寝室。少々値段がかかってもいいから、広めのところを探した覚えがあるのだが、まさかそれが役に立つことになろうなんて、当時は考えもしなかった。

 ことはは、ギターケースを下ろして、リビングのソファに眠たそうに腰掛けながらうなだれた。短めの、それでいてオシャレな感覚を保っているヘアスタイルが特徴的だった。あとは、ビックリするくらいに顔の作りが良かった。SIAのカリスマフロントマンだと言われていた面影は、まだそこに残っているっていうのに。

「ことは、お腹すいた? すぐ用意するから、待ってて」

 わたしがそれに気づいて話しかけると、ことはは申し訳無さそうに頷く。

「うん……ごめんね」

 そして彼女は、暇そうにギターを取り出して、弾き始めた。相変わらずだけれど、やっぱり上手いなと感じる。練習スタジオでも、ライブでも、そんなの当たり前だとしか思わないのに、家で彼女の演奏を聞くと、途端に自分一人が彼女を独り占めにしている事実に対して、手のひらに鼠を握り込んでいるみたいな、妙な愛着を覚えてしまう。

 わたしはキッチンでご飯の用意をする。もう遅いし、適当なものでいいか。買いだめした食材はまだ残っていたけれど、切り崩す元気もなかった。

 不意に、演奏が止まったので、耳を澄ませてみると、ことはが独り言にしては大きめの声でつぶやいた。

「バンド、続けられるかな……」

 わたしは、それを聞いて胸を裂かれるような思いを抱いた。

 明らかに、さっきの反省会の影響だろう。今日はしつこく追求された。主に、ドラムパッド担当の竹越美沙に。あの女は、いつもことはを追い詰めることを楽しんでいるような様子さえ見受けられる。

「なに言ってんのよ」わたしはわざとらしく笑う。「前を向いていれば、いつかいい事があるって、ことはがいつも書くような歌詞じゃない」

「……私が」

「そうよ。忘れちゃった?」

 わたしの手。冷凍食品の、袋を開ける音。

 ことははしばらく黙っていたけれど、また元気そうに口を開く。

「……それもそうか」そして、勢いよく、ギターを鳴らした彼女。「SIAの一尾ことはは、諦めないから」

「わたしも、応援するわ。いつか絶対、世界一のバンドになろう?」

 聞き心地の良い言葉をかけると、ことはは決まって嬉しそうに笑った。まるで、私がそう求めているのを、見越しているみたいに。

 けれど、わたしはそんな彼女を見て、ああ大丈夫なんだなって、試験紙みたいに安心した。



 スウェイン・イン・ジ・エアー、通称SIAは、昨今のニューウェイブ・リバイバル・リバイバルブームから発掘された、新進気鋭の注目バンドだった。

 堅実で王道な音楽性に、確かな演奏力、そしてなによりも一尾ことはの存在感と、彼女の書く、時代に沿っていない過剰なまでにポジティブな歌詞が市場価値を見いだされて、一定のファンを稼いだ。

 メンバーは、ギターボーカル一尾ことは、低音キーボード池岡メイ(つまりわたし)、サイレントブズーキ赤土通子、ドラムパッド竹越美沙。以上四人、全員女性からなるバンドだった。

 ファーストアルバムはかなりの好セールスを記録し、ここで付いたファンが大半だろう。大方の代表曲もここに収録されており、わたし達も気に入っている。

 続くセカンドアルバムは、わずか半年後にリリースされた。ことはのソングライティングが乗りに乗っていた時期だった。一聴して前作ほどのインパクトを有する楽曲は少ないものの、かなり構成に頭を悩ませたから、聴けば聴くほど良くなるとの風聞も見受けられた。このアルバムも、現在では受け入れられている。

 そこからのリリースは、長らく途絶えている。理由はことはの不調だった。喉にポリープが出来たのが原因で、手術を執り行うこととなったのだが、あまりそういった医療方面にお金をかけたくないと判断したわたし達は、安く手術できる病院を見つけて、そこにことはを任せた。

 それが全ての誤りだった。「お金を払っているんだから、手術くらいまともにやるだろう」と高をくくっていたのが間違いだった。

 退院してきたことはの喉は、機械化されていた。機械化能力者、とかいう連中の話は聞いていたが、まさかそれにことはがなってしまうなんて、夢でさえも見はしなかった。

 医者が言うには「手遅れだったので切除した。機械化はサービスで行った」とだけ告げた。切除した生の声帯は、医学的にかなり価値のあるものとして取り引きされるらしく、病院が買い取りという形で引き取り、わたしたちにも大金が入ってきた。

 お金なんて、どうだってよかった。訴えてやろうと思ったけれど、イリーガルな病院だったのか、数日後には建物ごと消えていた。

 わたしたちは、そこでようやく騙されたと確信した。

 ことはの喉が、機械化されて以前より高性能になっているのなら話は別だったが、そんな甘い期待も早々に打ち砕かれた。

 この機械の声帯は、粗悪品だった。音域も狭く、声にはノイズが乗っている。

 何度かスタジオで試してみたが、ことははもう、自分の曲すらも歌えなくなっていた。

 そこからは転落しかなかった。以前のようにライブができなくなり、ファンは離れていき、収入は激減した。もともとの声帯の買い取りで得られた大金も、現在までの生活費でほとんど消えてしまった。

 辛い。

 貧乏。

 未来なんて見えない。

 だけど、そんなときこそ頑張っていれば報われるんだって、ことはがいつも教えてくれた。

 頑張ろう。

 もうそれ以外に、わたしたちに出来ることなんて、ないもの。



 翌日の夜はライブがなかった。

 頻繁にバンド活動を行う必要があるほどの需要がない、ということなのだけれど、わたしはそういう日にアルバイトに出向いている。薄くなった生活費の補填と、予定もないのにフラフラと出掛けていることはを、じっと待っているのが耐えられそうになかったからだった。

 わたしのしているアルバイトは夜の飲食店。繁華街の複雑化したビル群の一角、その三階に位置する居酒屋だった。今や従業員をほとんど置かないという、無人スタイルが主流のチェーン店の中で、人間に奉仕させる喜びを販売するという趣旨で、旧世代的な大量のマンパワーを用いた、人力営業を特徴としている店だった。その思想はどうかと思うが、雇用の問題から言えば、そういう店がいくつかあるほうがこちらとしても嬉しい限りだった。

 さほど広くもない店内に、客が押し込められている。ライブハウスと概念的には似たようなものだとは思うけれど、性質としては真逆だった。勝手に盛り上がって勝手にお金を落としてくれるバンドのファンの方が、面倒くさい理由で嫌われることもあるというリスクを抱えてはいるけれど、どう考えても楽だった。

 わたしはいつものように厨房で飲み物をこさえていた。アルバイト仲間は、わたしがSIAの池岡メイだと気づいてはおらず、わたしのことをドリンクマシーン池岡なんて呼んでいるのを、不本意ながら知っている。

 合成ビール、ウィスキー、日本酒、コーラ、サイダー、エナジードリンク。迷わず生成する。このときばかりは、ライブでシンセサイザーを操作しているときのような感覚に陥る。だから向いているのかも知れない。

 今日も長くて退屈で、それで忙しい数時間が始まる。

 そうやってまずは諦めることから労働は始まるのだけれど、この日は様子が違っていた。

 厨房近くに座っている二人組の客に、わたしの目は留まった。

 見覚えがある。

 いや、忘れもしない。その顔……。

 率先してそこのテーブルに飲み物を配膳すると、それは確信へと変わった。

 この男――

 医者。ことはの喉を手術した、あの闇医者だった。

 白衣がなければ、ただの中年男性にしか見えないが、意地でも顔の造形を記憶した甲斐があった。医者仲間と思しき男性と同じ席に座って、下らない話で盛り上がっている。

 動悸が激しくなった。

 どうするべきか。ジョッキを頭から振り下ろすか、包丁を刺すか、水でも掛けるか。

 いや、待て。とにかく冷静になってわたしは、いそいそと厨房へ戻って、また飲み物を注ぎながら二人の様子をうかがった。盗み聞きしたって、ことはの喉が治るわけでもないのに、そうせざるを得なかった。

「それで、また手術があるんだって?」

「そうなんだよ。今月これで二回目だ。忙しいよ。まあ安定してあるわけじゃないから、ありがたいが」

「機械化のパーツは用意してあるのか?」

「ああ。また声帯だとよ」

 ――。

「へえ。モニター用か?」

「いや、今回は患者が買い付けたんだよ。ボーカル用の、最高級品だって。よくやるねえ。そんな手術、一流の医者に任せればいいのに、なんで俺なんかね」

「お前、実績だけはあるからな。闇医者だけど」

「機械化の手術なんてちゃんとやると高いんだよな。この人の多い都会に感謝だねえ……俺なんかの小さい犯罪なんて、すぐに風化するさ」

「機械化能力は搭載されるのか?」

「ああ。なんか、音波を通して人の細胞に干渉するんだと。それでどうなるのかは知らんがね」

 ボーカル用。

 最高級品。

 機械化能力搭載。

 その話を聞いて、

 わたしは欲が出た。

 そんな最高級のパーツがあれば、ことはだって、また歌えるようになるんじゃないだろうか。

「池岡さん、ビール五杯注いで」

「…………」

「池岡さん?」

「え、あ、はい。すみません。ビール五杯ですね」

「うん、お願い」

 店長に言われて、機械を操作しながら、その欲望を持て余そうか振り下ろそうか、考えた。

 ことはが復活する。

 でも、犯罪に手を染めるなんて……

 それに、捕まったら、どうしようもないし……

 バンドの夢。

 忘れるな。バンドの夢はどうなる。

 世界一のニューウェイブリバイバルバンドになりたいって、ことはは言っていた。

 それを、わたしの独断で潰すようなこと……



 家に帰るころには日付が変わっていた。

 玄関を見ると、ことははもう帰ってきていた。古くなっているが、彼女の気に入っているいかつい靴が投げ置かれている。ことはにはご飯代も渡しているから、起きてギターを弾いているか眠っているだろうと思う。実際は後者だった。

 わたしの立てる物音で目が覚めたらしく、電気の点いたままのリビングのソファから、身体をゆっくりと起こして彼女は面倒くさそうに、それでも律儀に口を開いた。

「おかえり……」

「ただいま。ごめん、起こしちゃった?」

「ううん、寝てない」

「……また、眠れない?」

「……うん」

 わたしの予想は全て外れた。ことはは眠ってなんていなかった。こういう日は、このところ頻繁にあるっていうのに、いつもそのことをわたしは都合よく忘れてしまっていた。

 ことはの顔は、生気が薄かった。眠りたいのに、眠れない自分に対して憤っているに決まっていた。

 助けないと。わたしは毎回、強くそう思う。

「待ってて、手、洗ってくるから……」

 洗面台でいそいそとわたしは、冷たい水のまま指先まで丁寧に洗うと、リビングに戻ってことはをソファに寝かせた。

 ことははわたしの顔をじっと見つめて、そして申し訳無さそうに伏せた。

「悪いね……」

「良いのよ。そういう機能だから」

 わたしは右手で銃の形を作って、ことはの手首に充てがった。

 爪が彼女の皮の薄い部分に振れると、ことははくすぐったそうに少しだけ身を捩った。

「おやすみ、メイ……」

「うん。ことは。おやすみ」

 力を込めると、わたしの指先から針が飛び出した。麻酔針だった。効くまでに三十秒は掛かるが、効き目は強力だという。麻酔と言うよりは、睡眠導入剤に近いらしいが、よくわからない。医療用の針の補填は必要だったけれど、場所を選べば民間のドラッグストアでも買えたりする。

 わたしは、機械化能力者だった。指の先から麻酔針を射出できる。

 こんな機能、なにに使えば良いのだろうとはじめは思っていたけれど、結果的にはことはを眠らせるのに、使いすぎるくらいに使っていた。

 気がつくと、ことはは眠っていた。さっきまでの不健康そうな顔つきなんて嘘みたいだった。

 ことは。

 また歌えるって知ったら、眠れるようになるのかな。



 翌日、バンド練習の前に、知り合いの闇医者のところに行った。

 ことはの手術をしてもらった人間とは、また別の医者だった。彼に頼めばこんなことにはならなかったのかも知れないと考えない日はないが、彼曰く、喉は専門外だという。

 そうは言うものの、わたしの腕を機械化してくれたので、それなりに信頼はしている。金銭苦を理由に自分の右腕を売り払い、機械化能力のモニタープランに応募したところ、この男のクリニックを紹介された。モニタープランを用いると、データを常に送信しなければならないが、格安でパーツが手に入る。

 白衣を着た胡散臭い男に、わたしは言う。

「パーツが手に入ったとして、手術はできるんですか?」

 彼は難しそうな顔をして尋ね返す。

「……声帯?」

「ええ。声帯のパーツを換装して欲しいんですけど、先生専門外でしたっけ」

「まあ……専門外だけど、パーツを換えるくらいなら、出来るかな。もちろんそれなりの金額を請求させてもらいますけど。どんなパーツに?」

「ボーカル用の、最高級品です。機能も搭載されています。音波を介して細胞に干渉するだとか……うちの友達に装着して欲しいんですけど、元通り歌えるようになるんですかね」

「それだけのパーツなら、どんなパーツよりも安定しますよ」

「そうですか」

 ことはのためだ。

 わたしは、ことはの歌を、一番近くで聞きたい。

 ファンだって、メンバーだって同じ気持ちだろう。ことはがまた歌えるようになれば、ライブの回数もお客満足度も増え、アルバムを発表することも出来る。それが売れれば、世界だって、身近に感じられるはずだ。

 これが、わたしたちらしいやり方なんだ。殻に閉じこもっていられるか。

 それに、ことはをあんな目に遭わせた医者に復讐したいという気持ちが強かった。

「尋ねたいんですけど、わたしの機能って、他にどれだけの人数がいるんですか?」

 わたしが急に不可解な質問をしたので、先生は面食らってしまったようだが、それでも考えてから答えた。

「うーん、人数ですか? そうですね、同じ機能を持つ人は……推測ですけどそう多くはありません。大抵は麻酔銃を購入すれば済みますから」

「この針って、どれくらい遠くに届きますか?」

「データ上は、有効な範囲だと三メートルですね。さほど届きません。とはいっても、至近距離から正確な場所に刺さなければ、あまり効果もないです。血管に届きませんから。効いてくるまでの時間に関わるのかな」

「そうですか……」

「ああ、でも感知センサーが付いていますから、ある程度なら機械のほうで、自動で照準を合わせてくれますよ」

「へえ。そうなんですか……知らなかった」

「ええ。知らない間に運用されてますよ。素人が、よもや適切な血管を狙うなんて、無理ですから」

 わたしはお礼を言って、クリニックを後にした。

 もう、誰もわたしを止められないんだって、自分が一番わかっている。

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