後編

 有浦チサが電話に出たのは、私が掛けた数分後だった。

 耳元から聞こえる、面倒くさそうなその声を聞くと、川面の殺意をある程度理解してしまいそうになるくらいに、張り倒したくなった。

『比留川、来たの?』

「来たけど、なに? 聞いてないんだけど……」

『それよりどうなの? 川面くんが私のことを好きかどうかわかったの?』

「待ってよ。話があるから抜け出してきてよ」

 茅島さんがそういう指示を、電話中の私に告げていた。

『は? なんで? 比留川なら好きに使っていいから。デートを成功に導くために呼んだのよ』

「良いから来てよ。まだ地下鉄にいるから、駅の前まで」

『…………はあ。わかったわよ。川面くんのこと何もわかってないとしたら、承知しないから』

 切った。

 私達はさっさと薄汚れた階段を駆け上がって、改札を抜けた。駅の前は、雑多に店が陳列された巨大複合型商店街が広がっていた。首をかなり上の方に向けないと全てを確認できないくらいの無粋な大量の看板が、この街の象徴みたいにそびえ立っている。薬や食品、機械化能力者のためのメンテナンスやパーツ販売まで、おおよそ思いつく限りの店が立ち並んでいて、大体の日本人が抱える用事は、この辺りで完遂できてしまう。まあ今や、どの区に行ってもそういうコンセプトだけれど。

 地下鉄の入り口、古めかしい自動販売機が並んでいる一角、その前で待っていると、有浦が不機嫌そうな顔をぶら下げて現れた。手に提げた鞄を、誰でもいいから殴り倒したいのか、ぐるぐると振り回していた。

 彼女は開口一番に、茅島さんに尋ねた。

「わかったの?」

「この人は?」

 質問には答えないで、茅島さんは比留川さんを指した。比留川さんは、怯えているのか、腹痛にも似た嫌な顔をしていた。私はあまり関わらなくて良いように、有浦から少し距離を離した。

「覚えてないの? 無理もないか。比留川、地味だからね」

「余計な人が関わると、むしろ邪魔なんだけど、あなたからなにか一言ぐらいあってもよくない?」

「ああ、ごめんごめん。彼女は、このデートを成功に導くために呼んだの。それだけよ。川面くんのことに詳しいから、彼が喜びそうな話題とか、好きそうな場所とか、逐一端末に送信してくれていたの」

 それで一方的に話し続けていたのか。私は溜飲を下げた。

「あ、そうそう、有浦さん……」

 不意に、比留川が割って入るのも申し訳無さそうにしながら、有浦に話しかけた。

「ディナーの予約、取ったんだけどここで良かったかな」

 端末の画面を覗き込むと、有浦はふーん、なんて鼻を鳴らした。

「悪くないわ。もう少し安ければよかったけど」

「ねえ有浦さん、聞いて」

 茅島さんは、比留川から有浦を引き離して、まっすぐに有浦を睨んで口を開いた。

「彼、あなたのことを殺したいって考えてる。これ以上一緒にいるのは危険よ。適当なところで切り上げて、逃げなさい」

「……なにそれ。さっきも加賀谷からメールで聞いたけど、何の冗談? ふざけてるのかと思ってたんだけど」

 バカにしたように笑いを漏らす有浦。

「冗談じゃない」茅島さんが続ける。「私の耳のこと、あなたも知ってるでしょ? 彼はあなたに殺意を抱いているわ。殺されたくなかったら、今日は帰って。彼に自制心があるうちに」

「ふざけないでよ!」有浦は、急に声を上げた。「なに? 馬鹿言わないでよ。あんたの耳がおかしいんじゃないの? ありえない、ありえないわ。彼が私を殺したいなんて、絶対ありえないわ!」

「本当だって言ってるじゃない。あなたの彼への恋心は、私の耳で察知できるんだから、故障してるなんて……」

 有浦は、突然激昂して茅島さんの耳を掴んだ。

「壊れてるのよ! 殺意なんて抱くわけがない! 見せてみなさいよ! ほら! 壊れてるんじゃないの!?」

「痛い! 痛いって! なにすんの!」

 私は慌てて彼女たちの間に入って、茅島さんを引き剥がした。

 茅島さんの両肩に手を置いて私は、有浦のことを睨みつけた。茅島さんはと言うと、私にある程度体重を預けながら、残った痛みに顔をしかめて、耳を確かめるようにさすっていた。

「茅島さんを、傷つけないで」

「は、何よあんた達。わかったわよ、謝るわ。ごめん。謝るから協力してよ。殺されるって言うなら、あんたも私を見捨てられないでしょ? 川面くんの評価が芳しくないって言うなら、上げる努力をしましょうよ」

「あんた、どの口が……」

「彩佳……」

 茅島さんが、声を発した。

「見捨てられないのは確かよ。有浦さん、これからどうしようっていうの?」

 その声を聞いて、私にははっきりとわかった。

 茅島さんが、今まで見たこともないくらいに怒っていると。

 それにも気づかないで、有浦はひとり、楽しそうにニコニコと笑っていた。



「そういえば、川面くんの誕生日、来月なんだけど」

 口にしたのは、比留川さんだった。有浦に、なにか案を出せと言われて、苦し紛れにひねり出したのが、そんな答えだった。

 まだ早すぎるだろう、と私は思ったけれど、有浦が意外にも頷いた。

「良いわね。プレゼントを渡しましょう」

「じゃ、じゃあ、今から買いに行く?」

 尋ねる比留川さんに、有浦が何故か怒る。

「そうじゃなくて! なんだって忙しい私が買いに行かないといけないのよ! 今だって彼を待たせてるっていうのに! そんな気も回らないの!?」

「ならどうしろっていうのよ」茅島さんが、面倒くさそうに口を挟んだ。

「買ってきなさいよ、プレゼント。買うものは、あんたに任せるわ。誕生日は来月だけど、別に良いわよ」

「わ、わかった」

 比留川は頷いて、商店街の人混みの方へ消えていった。

 可愛そうなくらいに、有浦に怯えているのが、耳が良くはない私にも十分に伝わってきた。彼女は、有浦の最大の被害者なのだろう。友達も多くはないから、他の人間が有浦を見捨てるタイミングで、同じようにそうすることも出来なかったのか。

 気の毒というより、泣きそうなくらい同情した。

「それじゃあ私は、川面くんのところに戻るから、比留川がプレゼントを買ってきたら、また呼んでよ。抜け出してくるから」

「それまでここにいろって?」私は答える。「危ないよ。殺されるんじゃ」

「良いわよ彩佳。待ちましょう」茅島さんが、自動販売機にもたれながら言う。「この人混みで殺人なんてそう起こすもんじゃないわ。有浦さんも、人気のないところには行かないで」

「はいはい」

 有浦も、嫌な雰囲気だけを残して、私達の前から消えた。

 それから三十分経ったころだろうか。こちらに向かって駆けてくる人影があったので、私は凝視してしまった。その正体は、当たり前だったが比留川吉奈だった。手には、包装された少し大きめの物体が握られていた。

 息を切らせて、私達の前で杭を打たれたみたいに立ち止まる比留川さん。

「はあはあ…………えっと……有浦、さんは?」

「彼の所に戻ったわ」

 茅島さんが、比留川さんをじっと見つめながら答える。やがて何かを感じ取ったのか、唸ってから彼女に質問を飛ばした。

「あなた、有浦さんのこと、どう思ってる?」

「え? 有浦さん? どうって……」

「殺したいか、殺したくないか」

「殺すなんて、そんな……」

「嘘」

 指摘されると、比留川さんは、息を呑んだ。

「いつから有浦さんと友達をやってるの? 正直に答えて。私の耳のこと、あなたはわかってるのか知らないけれど」

「…………いえ、茅島さんについては……まあ、知ってる……。退学するまで、有名だったし……」比留川さんは彼女と目を合わせないで口にする。「友達になったのは、大学に入った頃……なんだか、惹かれるような感じだったけど……、最近、無理になってきて、だけど、そんなの本人にも言えないじゃん。私、他に友達なんてあんまりいないし……それで、気づいたら彼女の周りにいるのが、私だけになってた……」

「嫌いなのね? 彼女」

「そう思いたくない……だけど、バカにしてくるの……私を、頭の悪い地味な女だって……加賀谷さんだって、そう言われてたでしょ?」

 急に話を振られて、少しだけ狼狽えたけれど、私は答える。

「どうだったかな……。私はそもそも、関わらないようにしてたのが、あいつの気に障ったみたいだけど」

「そうなんだ……私だけか、あいつから逃げられないのは。変にこき使われて……ずっと文句を言われ続けて……もうどうしたらいいの」

「最初の方は、仲良かったように見えたけど」

「良かったよ。これは間違いない……でも、さっきも言ったとおり、最近は駄目。彼女がなにか変わったとかじゃないと思うから、私の問題だと、思う……わからない……嫌、こんな気持ちを抱えているのが……一番嫌……」

「あなたが、黙って従ってるだけの人間じゃなくて、私はホッとしたわ」茅島さんが、笑いかける。「あなた、川面さんのことはどう思ってるの?」

 問いかけると、比留川さんはあからさまに赤くなって、顔を背けた。

「そ、そんなの……茅島さんなら、耳で聞いたらわかるんじゃないの……」

「恋愛的な意味で、好きなのね?」

「…………うん」比留川は、首を縦に振った。その直後に、ため息を吐いた。「だけど、川面くんは、有浦さんがいるから……彼のこと、好きだったから、好みには詳しいんだけど、それが有浦さんにバレちゃって……彼女の恋愛の出汁にされてるみたい……」

「諦めたのね」

「そうせざるを得ないっていうか……有浦さんに対抗する気持ちなんて、もう私には、残ってないよ。だったら、せめて応援して、玉砕するほうが、未練もなくて、いいかなって、考えて……」

 言って、比留川さんは、買ってきたプレゼントを自分で産んだ子供みたいに抱きしめて、目を瞑った。

「うーん、これはなかなか、こじれてきたわね……」

 聞き終えると茅島さんは眉をひそめて、頭をかいた。

「彩佳、恋愛事には詳しい?」

「え、そう見えます?」

「……ごめん」

 そんなことよりも私は、彼女たちが川面の本当の気持ちを知った時を考えて、胃が痛くなっていった。



 プレゼントを買ってきたぞ、とだけ伝えると、程なくして有浦から連絡があった。

『パーツショップから上がった所の連絡橋、そこにあるカフェの前にいるから持ってきて』

 返事が来るということは、まだ生きているんだな、なんて考えながら私達は、指定された場所へ向かった。ちかちかと光るパーツショップの看板はすぐに見つかった、時刻は、もう夕方を回っていて、すでに薄暗い。

 連絡橋へはエスカレーターで上った。ここから、隣の施設へ地上に降りずに渡れるという仕組みだった。

 言われたカフェは、程なくして見つかった。幅の広い通路に面していて、店の前にも席を出している、カジュアルなタイプだった。その前に佇んでいる、いけすかない有浦チサも、見逃すはずもなかった。

 カフェの近くには下り階段と、隣の棟へ抜ける通路。公衆トイレ。壁はガラス張りで、地上の様子が見えた。相変わらずごった返している。人の少なくなる時間なんてものは、もはや無いのかもしれない。

「待ったわ」

 有浦が腕組みをしながら、比留川に向かって口を開いた。

「ごめん……迷っちゃって」

 比留川は謝りながら、ずっと大事そうに手に持っていたプレゼントを、両手で有浦に渡した。

 受け取った有浦は、開けて中身を改めた。ふん、と鼻を鳴らしてそのまま鞄にでもしまうのかと思ったけれど、予想に反してプレゼントを雑に扱う。

「嫌よこんなの。あんた正気?」

「え、駄目だった?」

「当たり前でしょ! こんなの捨てて来て」

 突き返す有浦。当然、素直に受け取る気持ちにはなれない比留川。

「なによ。じゃあ私が捨てておくわ」

 鞄に丸めて放り込もうとする手を、茅島さんが取って止めた。

 二人は、今にも殴り掛かるんじゃないかというくらいに、睨み合った。

「それ、酷いんじゃない? お金だって、比留川さんが出したんでしょ?」

「うるさいわね。あんたに関係ないでしょ?」有浦は、苛立ちを隠そうともしないで、答える。「川面くんのこと、ちゃんと調べも出来ない癖に、調子に乗らないでよ。自分の仕事くらい全うしなさいよ。出来ない? ポンコツね、あなた」

 チッ、

 と、茅島さんの口から大きな舌打ちが聞こえた。そうして、彼女は手を離して、何も言わなくなった。

 様子がおかしい。

 どうしちゃったんだろう。

「とにかく、比留川は早く違うプレゼント、買ってきなさいよ」

「でも、何が良いのか…………」

「そんなの自分で考えなさいよ。あんた、詳しいんでしょ?」

 話している比留川と有浦をよそに、私は動かなくなった茅島さんの、正面に回って恐る恐る声をかける。

「……茅島さん?」

「…………殺してやろうかしら、あの女」

 表情をすべて失ったような顔をしながら、彼女は言った。そして彼女は、ふらりとカフェの座席に近寄って、椅子を掴んで持ち上げようとした。

 これは、

 まずい。

「や、止めてくださいよ! 駄目ですって!」

 私は彼女を押さえる。

「彩佳…………どいてよ。許せない、あいつ。殺してやらないと」

 椅子を引きずって、有浦の元に向かおうとする茅島ふくみ。

「駄目! 待って! 茅島さん! おかしいですよ!」

「だって! あいつ…………だって……!」

「良いから、一旦落ち着いて下さい!」

 私は力を振り絞って、今にも取り乱してしまいそうな彼女の腕を引っ張って、近くにあった公衆トイレに引きずり込んだ。



 個室トイレに、二人も入ると冗談みたいに狭く感じる。

 蓋も開いてないトイレに、茅島ふくみを座らせると、次第に彼女も深呼吸をして、落ち着きを取り戻していった。私はその様子を、扉にもたれ掛かって見下ろすような形で眺めた。

 彼女は帽子を脱いで、長い髪を整えながら申し訳無さそうに口を開いた。

「……ごめん、彩佳。落ち着いた……。なんか私、変だったみたい」

 両手で顔を押さえて、そう彼女は呟いた。

 さっきの様子、明らかに普通ではなかった。有浦の愚劣な人間性に、あまりにも腹を立てたと言うにしては、そこまで怒りをコントロールできないのも、茅島さんらしくはないな、と私は感じた。

「どうしちゃったんですか? らしくないですよ……」

「わからない……わからないの。とにかくこの女を殺してしまいたいって、思った。そうしたら、止められなくなって……椅子で殴り殺してやろうって、絶対そうしようって、思った……跡形もないくらいボコボコにして、そうしたら、気が晴れるかなって……」

 伏せたまま、彼女は言う。泣いているのかもしれない。

 殺すだなんだの話をしていると、急に、誰かに聞かれるかもしれないと私は気にはなったが、私達の前にはトイレには誰もいなかったし、入ってきた気配もないと思い出す。

「これじゃあ……川面や、比留川さんとも同じよ……有浦を殺したい気持ちなんて、私には関係ないってどこかで思ってたんだわ……私、どうしちゃったのかな」

「大丈夫ですって、一瞬の、気の迷いですよ……」

「彩佳は? 彩佳は殺したいって思わないの……?」

 彼女は、私を不安げに見上げてくる。切れ長の瞳が、私を捉えている。その美しさを真正面から受け止めると、扉に貼り付けにされてしまったみたいに、動けなくなった。

 申し訳ない気持ちになりながら、目を逸らせて私は答えた。

「あんな奴、殺す価値なんてないですよ。自分の人生が、素晴らしいとは思いませんけど、あいつを殺して、棒に振るほどではありません」

「…………そう、そうね。それはわかってるの。私だってそれは……」

「ですから、あいつには一度だって近づいてもいないですよ。今日だって、私だけ距離を離してたでしょ? 顔なんか見るから腹が立つんですよ。あんなの、近づかないのが一番いいです」

「…………」

 そこで、

 茅島ふくみの表情が変わった。

「どうしました?」

「……ああ、なんだ、そんなことだったの」

 呟いて、彼女は一転して、嬉しそうに弾けるような笑顔を見せた。

 それはまるで、彼女が殺人事件に携わった際に、犯人の確証を得た時に見たことのある表情と、全く同じものだった。

 急に私に向かって、飛び上がるように彼女は抱きついてくる。衝撃で、扉に肘をぶつけた。

「わ、ちょっと……」

「彩佳」

 耳元で、彼女の声が頭の中に垂れ流されるみたいに、囁かれた。

「ありがとう」

「な、なにがですか?」

 彼女は笑顔を保ったまま、何も答えなかった。



 さっきのカフェの前に、また有浦を呼び出すように茅島さんが頼んだ。

 私はもちろん了承して、極めて簡単な文章を有浦に送信した。『さっきのカフェに戻って来い』。それだけ。返事はなかったけれど、その無味さが不気味だったのか、有浦は程なくして現れた。比留川も、すでに私達の後ろにいた。

「なによ、私が呼んだ時意外は呼びかけないでよ。こっちは忙しいのに」

「それ以上、近寄らないで、有浦さん」

 茅島さんは、有浦の足元を指差す。茅島さんからは、距離にして五メートルほど離れていた。私達と有浦の間には、絶対的な断絶がある。

「は? ふざけてんの」

「聞いてくれる? 私の話」

 私は、茅島さんの肩に手を置いていた。彼女が、不安だからそうして欲しいと言った。

「なによ。忙しいって言ってるでしょ」

「あなた、私達に隠していることがあるでしょ」

 それを聞いて、バカにしたように窓ガラスにもたれ掛かりながら、有浦は言う。

「ないわよ、何いってんの」

「嘘ね。私の耳は誤魔化せない」茅島さんは続ける。「おかしかったのは、さっき。私はあなたに殺意を抱いた。別に自分をできた人間だとは思ってないけど、あなたにこんな急激な殺意を抱くのはおかしいわ。あなたがいくらクソ野郎だとしてもね」

「クソ野郎?」

「これじゃあ、川面さんと同じだなって、私は思った。そして比留川さんとも。あなた、比留川さんがあなたに憎しみを抱いていることなんて、知らないでしょう? いいえ、あなたが一番、知らなくても当然。本来なら、抱くはずのない感情だから」

「何が言いたいわけ?」

「あなた、機械化能力者でしょ」

 黙った。

 有浦は、そのままカフェの方をじっと見つめている。

「あなたの機能は、さしずめ人の好意を左右すること。あなたがそんな人間なのに、大学入りたての頃、人に好かれていたのはそれのおかげ。比留川さんも、機能で自分の味方につけた人間よ。そして川面さんも、機能で自分に恋愛感情を抱かせようとしていた。ところが、どういうわけか川面さんは、一向に自分のこと好きにならず、そもそも知人も何故か離れていく。残ったのは比留川さんだけ。原因は何だと思う?」

「……知らないわ! 機能は、確かにあなたの言う通りのものよ! なんで川面くんやそこの加賀谷彩佳に通用しないのかなんて、知らないわ!」

「故障よ」

「故、障……?」

「あなたの周りから、人がいなくなった時点で、あなたの機能は故障していた。好意を抱かせるどころか、そのマイナスにしか作用しなくなっていた。川面さんが、殺意を抱いている原因は、まさにそれ。そして、比留川さんも同じ。最初は機能で操っていたのが、次第にマイナス感情しか与えられなくなっていった。比留川さんがまだあなたの周りにいたことが、あなたの機能が故障していると気づかなかった一因でもあるわ」

「比留川…………」

「そして私の気持ちも変えようとしていたし、デート中にも川面に干渉しようとしていた。あなたの機能は、音波を用いるものなのね。私がおかしくなったのも、耳が良かったからだったし、彩佳に影響がなかったのは、あなたが嫌いで距離を取っていたから」

「加賀谷……」

「これで、川面さんばかりか、あなたのこともはっきりしたでしょう?」

 茅島さんは、にっこりと笑いかけた。

「依頼は達成したわ。報酬は貰えるんでしょうね?」

 有浦は、

 叫んだ。

「故障してるなら……修理キットでも買ってくればいいでしょ! 比留川! ぼさっとしないでさっさと買ってきなさいよ!」

「は、はい!」

 慌てて返事をした比留川は、下のパーツショップに消えた。

 その背中を憐れみながら、茅島さんは有浦に向き直った。

「機能に頼りすぎて、人への頼み方も忘れたわけ?」

「忘れたわよ! もうどうでもいい!」

 有浦は階段の手摺りに持たれる。嘔吐でもしているみたいな格好だった。

「いつから、そんな機能を?」

 茅島さんが尋ねると、案外素直に有浦は話す。

「……大学に入る直前よ。金銭苦で、生の左腕を売ったわ。そして新機能のテストモニターに応募して、受かった。機能については、後から教えられたわ。人に好かれるなんて、私が望んでも手に入らなかったものだから、浮かれたわ。どんどん使った。友人も増やしたし、先生の評判も挙げた。悩みなんて無かった。最高だった。もっとどんどん使って、使った末に、いつしか周りに人がいなくなった。バチでもあたったのか、耐性でもできたのか、よくわからなかったけど、故障だったのね……。そうしているうちに、川面くんのことが好きになった。一目惚れだった。運命の人だって思った。だから機能を使って、私を好きになってもらおうとした。何回も使った。何回も…………でも、なんで私を好きにならないのなって思っていた時に、大学から消えたはずのあんたを街で見かけた。あんたの機能は知っていた。耳が良くて、分析に長けているから、人の気持ちを読み取れるって。だから、頼ったの」

「……どうしてメンテナンスを行わなかったの?」

「そんなの、必要だって医者には言われなかったもの……知ってたら、命に代えてもこんな機能、手放すもんですか……故障するなんて、考えたこともなかった」

「そうだったのか」

 ――と、

 階下から、急に男性の声がすると、私は不味いものを口にしたような顔を隠しきれなかった。

「か、川面くん……」

 有浦が指差すその先に、川面が現れる。

 彼は階段の手摺り、有浦と反対側の所まで登ってくると、茅島ふくみを見た。

 目が合う。

「茅島さん、久しぶりだな」

「ええ、そうね」こっちは覚えていないけれど、と言いたげな一瞥を私にくれた。「変装してるんだから、知らないふりでもしてくれるかしら?」

「今の話、本当か? 有浦」

 川面は、そう口にするけれど有浦の方なんて見なかった。

「そ、それは…………でも、私があなたを好きなのは……」

「どうでもいいよ、そんなの」

 川面は、思い出しながら話す。

「違和感は、ずっとあった。なんで俺があんたを殺したいのか、俺自身少しもわからなかった。今まで人を殺したいなんて、思ったこともないからな。確かにあんたは嫌な人間だとは思うが、殺したいほどじゃない。そのはずだって頭ではわかっているのに、手にかけたくて仕方がなかったよ。それを克服しようと思って、危険だとは感じたけど、あんたのデートの誘いに乗った。本当なら、恐怖と憎しみで顔なんて見たくもないんだ。でも、あんたに罪はない、そう言い聞かせた。それだって言うのに……原因は全部あんたかよ」

「ち、違うわ! 故障してるの! 私の機能が上手く行ってないから!」

「あんたは、俺の気持ちに無理やり干渉してきた。そんな人間を、好きになるなんて無理な話だな」

「そんな……」

「それに、俺は茅島さんが好きだって、今思い出したよ」

 ――。

「すまんな、有浦。今日はもう帰ろう。あんたも、これ以上酷い目に遭う前に、その機能を使うのを止めたほうが良いぜ?」

「ふ……」

 有浦が、絞り出すような声を上げて、左手を握りしめる。

「ふざけるな! ふざけるんじゃないわよ! なによ! 茅島ふくみ! あんたが…………あんたが私の川面くんを! もう…………嫌! 消えて! 消えてよ!」

 聞こえる。

 激しい耳鳴り。

 これは……

「まずい……! 有浦、機能をフルパワーで作動させてる!」

 そう叫ぶ茅島さんは、耳をふさいでいた。

 だけど、つらそう。

 私でさえ、気分が変になった。

 これが、有浦への殺意なのか……

「まさか、あいつ、私達に殺されたいんですか!?」

「そう……みたい……!」

 どうする? 逃げる? それが得策だった。

 川面を見る。彼も正気を失いつつあった。

 駄目だ。彼を置いては行けない。彼が、有浦を殺してしまう。

 それにこの出力。カフェのお客にまで影響するかもしれない。

 なんとかしないと。

 ――そうだ、有浦を殺してしまえば

 首を振る。

 気が狂いそう。

 せめて、茅島さんを逃してあげるのが良いのか、と思って私は彼女の手を繋いで連れ出そうとする。

 すると、後ろから激しい足音。

 振り返る。

 ――比留川!

「だめ! 来ないで!」

 私のことなんて、眼中にないみたいに、比留川は私達を無視して通り過ぎた。

 もう、彼女は、有浦にパーツの修理キットを届けることしか頭になかった。

 かわいそう。

 頭の片隅で、私はそう呟く。

「有浦さん! パーツの修理道具! 買ってきた――」

 次の瞬間、

 比留川は、有浦の目の前、なにもないところで躓いた。

 有浦の目が開かれた。

「比――!」

 比留川は、前方に腕を伸ばして、床に吸い込まれていく。

 その手のひらが、

 有浦の肩を突いた。

 彼女の背後には、長い階段がある。

 そこへ真っ逆さまに、

 有浦が悲鳴を上げながら、

 落ちた。

 肉を打ち付ける音が、ひとしきり響いた後、

 耳鳴りが、止んだ。

 同時に、有浦への殺意も、雨が上がった地表みたいに、消え失せていた。

「茅島さん……」

 私が腰が抜けたように呟くと、彼女は冷静に口を開く。

「……救急車を、呼びましょう」

 階下には、人が集まっている。有浦は、どうなったのか、ここからでは確認すらできなかったし、そんな勇気もなかった。

 川面は、青ざめた顔をしながら、へたり込んでいる女を見ていた。

 その比留川は、じっと階段の先を見つめながら、ぼそりと囁いた。

「ざまあみろ」



 茅島ふくみは、病院の屋上にいた。

 別に見晴らしも良いというわけでもない、大きなビルと、くだらない宣伝、つまりよくある街の風景が、彼女の目の前に映し出されていた。それを、何の感情も抱かないで、暇をつぶすように眺めている。

 晴天。昨日の天気は、どうだったっけ。忙しかったからか、彼女は何も思い出せない。

 有浦チサは入院した。死んではいなかったようだ。怪我は酷いものだったが、後遺症も傷跡もなく、時間は掛かるが完治はするだろうというのが、医者の見解だった。それを、茅島ふくみが聞いたところで、どうすればいいのだろうという話ではあるけれど。警察の事情聴取がてら、そんな雑談を聞かされた。

 尤も、完治したとしても、元の生活に戻れるような精神状態なのかは、疑問が残る。比留川にも川面にも見捨てられた彼女に、何が残っているのか、茅島ふくみにはわからなかった。

 比留川は逮捕こそされなかったが、二週間ほどの停学を言い渡された。これは罰というよりは、彼女の精神療養が目的だと説明された。まあこちらも、有浦の容態と同様、そんなことを説明されても意味はない。

 結局、有浦からの報酬も、あの時奢ってもらったうどんだけとなった。

 背後にある扉が開いた。その足音を聞くだけで、彼女には正体がわかった。わざわざ振り返ることはない。

「よう、茅島さん」

 川面。昨日に引き続き、事情聴取と、有浦の形式的な見舞いに訪れていたのは知っていた。その際に呼び止められて、後で屋上に来てくれ、と言われたのを、無下にする彼女でもなかった。

「川面くん、こんにちは」

 フェンスに体重を預けて、じっとビルの間を観察しながら、彼女は答えた。別段、ビルの間に、なにかがあるわけではない。人が通っているくらいだった。

「そっけないな、そんな性格だったっけ?」

「いろいろあるのよ、人生には」

 その流れで、彼女は事件の真相を川面に説明する。有浦に依頼されて、変装をしてあの場にいたこと、川面に好意があるのかどうかを調べるように言われたこと。その程度だった。どうせ尋ねられると思ったから、彼女は先回りして口にした。

 聞いて川面は、安心したようなため息を吐いた。

「良かった。そういう性癖なのかと思ったよ。有浦を殺して満足したいのかってな」

「はは……あなたって、変なことを言うのね」

「今日は昨日の服じゃないのか?」

 茅島ふくみは自分の服装を思い出す。別に、いつも着ている服だった。下は長めのスカートに、上は肌寒いのでパーカーを羽織っている。動きやすくて、気分がいい。ずっと加賀谷彩佳の服を借りているわけにもいかないので、これは自分の持ち物だった。

「あれは彩佳のよ。似合ってた?」

「ああ……可愛かったよ」

「ふうん……」

「あのさ」

 ビルの間の路地で、子供がこけた。

「俺、茅島さんのこと好きなんだけど」

 しばらく、じっとビルの窓を数えた。次の階数を数えて、中には何人くらいの人間が含まれているのかを、耳で察知した。千人くらいか。今度はどうする。車の数でも数えようか。

 茅島ふくみは、頭をかいて、呟くように言う。

「…………びっくりする程なんとも思わないわ」

「酷いなあんた……」

「いえ、ごめんなさい」彼女は、少し困ったような表情を浮かべて、しぶしぶ川面に向き直る。「悪いんだけど、あなたに興味を持つことが出来ないの。悪く思わないで」

 それを聞いた川面は、はは、と笑った。

「ま、そうだよな。いやいや、良いんだ。おかげでスッキリしたよ。なんだかこう……この青空みたいに気分が良い。これを受け入れることが、俺に出来る最善だってな」

「ふふ、そうね」茅島ふくみも、微笑む。「人の気持ちを無理やり左右しようなんて、驕り高ぶりよ」



「……何話してたんですか」

 私は階段で、茅島さんと川面が話しているのを覗いていた。気にはなったけれど、割り込んでいく勇気はなかった。

 茅島さんは、平然と口にする。

「いえ、別に。告白されただけよ」

「…………はい!?」

「断ったけど」

「……………………はあ」

 気持ちの悪いくらい、安堵している自分を自覚する。思わず、階段にへたり込んでしまった。

「……なんでですか」座ったまま、彼女を見上げる。

「え、だって、興味ないんだもの。例えるなら……ゴム手袋くらい興味ないわ」

「断るだけで済んだんですか? ああいうのって、しつこいって聞きますけど」

「何だと思ってるのよ……。意外にも大人だったと言うか、素直に諦めてくれたわ。多分……」

「そう、ですか」

 なんだか、吐き気すら感じていたけれど、今はもう無かった。

 疲れた。昨日から、変な気を使ってばかりだった。

「結局、あれ以上説得されたところで、興味が出ないものは出ないわ。他人に心を操作されている暇なんて、本来、人生にはないのよ、きっと」

「それが理想ではありますけど……」

「だから、他人からの侵略には、それなりに身を守るものが必要なのよ。比留川さんには……それがなかったんだわ」

 傘でも広げていれば、比留川はもう少しまともだったのかもしれない。

 私も似たような立場になっていたのかもしれない。

 考えるだけで、少し血の気が引く。

「彩佳には興味あるわよ」

「…………な、え、どうしたんですか、急に」

 彼女は、にこにこしながら、私の隣に並んで腰掛けた。病院の階段で、こうやってくつろいでいるのも、奇妙な光景ではあったし、見つかったら怒られそうだった。

「狼狽えないでよ。ちょっと、拗ねてたみたいだから」

「……別に、拗ねてませんよ」

「私の耳の前でよく嘘なんかつけるわね」

「…………もう。興味って、どういう意味ですか」

「別に……」

 茅島ふくみは、飲み込んでしまいたくなるような形の整った瞳をぶら下げて、私と視線を合わせた。

「そのままの意味よ」

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