6.契約書
空が青い。
今まで見た空はどれも重たい灰色だった。
空を見て綺麗だなんて思ったのは初めてだ。
『あたし達は君が必要なんだ』
赤い血を撒き散らして、ターニャが微笑んだ。
────身がこわばる。
あの誘いに乗っていたらどうなっていたのか。あの赤を綺麗だと思うようになっていたのだろうか。
……吐き気がする。
「うん。『技術者』についての理解も深まった事だし。それじゃ、本題に入ろうか」
彼のひと声で、僕は現実に引き戻された。
反対側に目を遣ると、椅子に座った讃岐国相が穏やかな顔で僕を見つめている。
先程までとなんら変わらない笑顔。しかしその笑顔が一瞬おぞましいものに思えたのは、何故だろうか。
「君は命を懸けて脱走し、運良くここまで辿り着けた。生きてあの場所から逃げ出せたというのはとても喜ばしい事だ」
彼は膝の上で手を組んだ。
「残念な事に、千華共栄国は『技術者』の受け入れはしていないんだよ」
「……え」
その穏やかな此方をいたわるような声音も、にこやかな表情も、先程までと一切変わっていない。
それでも、その発言は僕が先程まで抱いていた希望も感慨も打ち砕いた。
「何で、ですか」
心臓が早鐘を打つ。
「分かるだろう?この国は小国だ。『中央政府』の圧力を掛けられたらひとたまりもない。それでも口を出されていないという事は、口を出される事をしていない、という事なんだ」
背中に汗が滲む。
「誰しもあの政府に睨まれたくはない。『技術者』を匿っているなんて知れたらそれこそ、『中央政府』の介入を受ける口実になってしまう」
『中央政府』の介入を受けた国はどうなるのか。弱みを握られ、軍事、行政全てにおいて監視を受け、指図されるようになり、最後には傀儡国家が出来上がる。
この状況は一国家としては必ず避けなければならない。その通りだ。彼の言っている事は間違っていない。
「この国はね、優等生を演じなくてはいけないんだ。君の境遇から、この状況を何とかしてあげたいのは山々なんだけど」
「じゃあ、なんで僕を保護したんですか」
喉から絞り出された声は震えていた。
「意識がなかった時に引き渡せば……殺してしまえば、良かったでしょう」
「それは君が怪我人だったからだよ。事件の犯人も意識のない内は病院で治療を受ける。それと同じと考えてくれるかな」
犯人。
「……僕は犯罪者と同じ、なんですか」
考えれば分かる事だ。『技術者』は悪なのだ。少なくとも『中央政府』、それに逆らえない国々にとっては。
分かってはいる。分かっては──……
「だから、血眼になって探しているだろう『中央政府』に、君を送り返す。『技術者』の特性上、彼らは君を殺しはしない。辛いだろうけど──」
「……、です」
讃岐が言葉を止めてこちらを見た。
「……嫌です」
気付かず握り締めていた拳に、更に力を込める。
「うん。君の気持ちは痛い程分かる。けれどこれは一個人の──」
「……──嫌、だ」
手の痛みを噛み締め、彼を睨み付ける。
「嫌だ!!」
────僕は向けられる憐憫を振り払って叫んでいた。
「僕は戻りたくない、戻るわけにはいかないんだ!」
一度口に出してしまえば、後に続く言葉は洪水のように流れ出た。
「『技術者』?『人類の敵』?勝手にレッテルを貼り付けて自由も尊厳も奪っていく。そんなの殺されに行くのと同じじゃないか!」
確かに『白い病棟』では殺されなかった。
あそこでは食事も出来た。暴力など、発狂しかけた時に麻酔を打たれた事ぐらいだ。
『『白い病棟』に連行する。貴様ら『技術者』は人類の──歴史の、そして未来の敵である』
『……──ああ嫌だ。『技術者』なんて早く連れてってしまいなさいな。どんな呪いを掛けられるか分かったもんじゃない』
『何で今まで『技術者』がこんな所にまで野放しになってたんだ?なあ村長』
『死体は?持って行ってくれないの?『技術者』は『中央政府』の管轄でしょう?何、こっちで埋めなきゃいけない訳?』
『技術者』だと分かった瞬間、村の者達は態度を一変させた。いや、既に気付いていたのかもしれない。今まで僕達に見せていた態度は演技で、黒服たちが来たあの場でようやく本音を出せたのかもしれない。
何故だ。
『ほら、キレーだよ。赤くて』
ターニャとは違う。あんな人殺しとは違う。
母は何もしていなかったじゃないか。僕たちが何をした。
「レオン君」
「僕は人間だ!誰かを殺した訳でもない、何かを盗んだ訳でもない!何もしていないんだ!『技術者』だろうと僕は犯罪者じゃない、人間なんだよ!あいつらに否定をされながら残りの人生を死んで過ごすなんて、まっぴらごめんだ!!」
迸る感情のままに言葉を叩きつけ、目の前の人を睨みつける。
「国相。彼は」
駆け寄った軍人を、讃岐国相は手で制した。
そして僕に視線を戻し、彼はゆっくりと問い掛けた。
「レオン君。殺される事以上に、君が許容できない事は何だね」
僕は彼の目を見る。彼の瞳の中に、初めて僕は鋭い閃光が走ったのを見た。
「君は何が許せず、そして何を渇望しているのかな」
「……『技術者』というだけで、否定される事」
枯れた喉から声を絞り出してその問いに答えた。
「僕は人です。……人としての生活が欲しい」
僕が訥々と述べている間も、述べた後も、病室は酷く静まり返っていた。
「そうか。うん」
沈黙を破ったのは、讃岐国相だった。
「『犯罪者じゃない、人間だ』、か。全く以てその通りだ。……ふ、」
丸眼鏡の奥の瞳が輝きを帯びた。
さっきの鋭い閃光ではない、喜びと期待の混じった光が、そこにはあった。
彼の肩が震え出す。次の瞬間、讃岐国相は弾けるように笑い声を上げた。
「人間は罪を犯したら裁かれるべきだ。しかし君は罪を犯してなんかいない。生まれた事は罪ではないのだから罰を受けるべきではない。当然のことだよね。『技術者』も人間なんだから。……ふ、あっはっはっはっは!」
突然笑い出した彼に、僕も、楠という軍人も困惑の表情を浮かべる。
「ああ、はは。そうだね──その言葉が、聞きたかった」
讃岐国相は足元の鞄を取ると、中から一枚の紙を引き抜いた。
「『千華共栄国』は『技術者』の受け入れは行っていない。だが君がそう言うのならば約束しよう。──我々が『中央政府』へ君を引き渡す事は一切ないと」
先程までの態度を翻すかのような発言に耳を疑い、目を瞠る。
「本当ですか!?そんな事が」
可能なのか。そう僕が聞く前に彼は懐のポケットからペンを取り出し、紙と一緒に僕へ手渡した。
「これは契約だ」
それは一枚の羊皮紙だった。
一目で高級と分かる紙面に、見知らぬ文字で何やらびっしり文字が書かれている。
「この契約書にサインをするなら、『技術者』の君を匿おう。ただし『桜都』では無理だ。さっきも言った通り、君にこの青空の下は提供できない」
一番下には下線のみ引かれた空欄があった。
「君を引き取ってもらうのは別の場所だ。安心していい、そこで君が『技術者』だからと言って迫害される事はないだろう」
ただし。そう言って言葉を切り、彼は僕を試すかの様な視線を向けた。
「魑魅魍魎──俗にいえば悪魔かな。君が一生を過ごすのは、鬼や化物が跋扈する地だ。それでもよければ、君を歓迎するよ」
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