砂漠でも走る

 走り続けて行くうちに、だんだんと雪が少なくなり、いつもの草原に戻って来た。そしてまたさらに走っていると、あったかくなって来た。そしてだんだんと草が少なくなって来た。




 草原の地面の色は、明るい茶色が多い。氷原や雪原の地面は真っ白か、真っ青。たまに土が見えても、ずいぶん濃い茶色だった。それでここは、真っ黄色だ。




「今日はずいぶんと元気がないな、まあいいけど」



 誰かが空を向きながらそう呟いていた。何が元気がないんだろう。そしてそうやって元気がない事の何が問題なんだろう。



「空の太陽だよ、今日は珍しく元気がなくてね、そのおかげで暑くないよ」



 背中に二つの大きなコブを背負ったラクダさんは、ぼくにそう親切に教えてくれた。草原と今ぼくがいる所、どっちが暑いんだろう。


 ここには土なんて物はない。草原と違って少しだけ丘やくぼみはあるけど、どっちを向いても真っ黄色だ。そして、雪と同じように埋まっていく感じだ。暑いのか涼しいのかちょっとよくわからない。

 わかる事は、もしここに大雨が降って地面が固まったら、めちゃくちゃ走りやすくなるんじゃないかなって事ぐらい。そんな地面を走った事があるのかよと言われるかもしれないけれど、なぜかそう思えてしょうがない。



「あはははは」


 ラクダさんは笑っていた。この砂漠って所では、ほとんど雨なんか降らないらしい。草原だってそうだよと言ったら、砂漠では三ヶ月に一回ぐらいしか降らないらしい。草原では十日に一回ぐらい降るから、それだけでもだいぶ違うんだなってのがわかる。


「君は馬なんだろう、早くここから走り去った方がいいよ。今日はめずらしく涼しくていい天気だけど、こんな日はめったにないよ。ふだんはもっと太陽がカーッと照ってね、君なんか」




 ラクダさんはその後もなんか言っていたみたいだけど、覚えていない。その時にはぼくはもう、ラクダさんの早く走り去った方がいいって言葉を聞いてすでに走り出していたから。




 走っておなかが空いたぼくは見た事のない不思議な植物にかじりついた。とげとげしくてちょっと口が痛くなっちゃったけど、それでも実にみずみずしくておいしい植物だ。

 他のラクダさんが言うにはサボテンって言う植物らしい、もしこれが毎日食べられるって言うのならばここに住んでもいいかもしれない。


 そう思ったけど、それにしても日差しが暑い。どうやらこれが砂漠って所のいつもの暑さらしい。その上に他に草も水もない、まあ今食べたサボテンがおいしかったから当分はいいけど、やっぱりここで暮らすのは大変そうだ。それに足があつい。そのせいでちょっと走っているとすぐ足が焼けちゃう。そんな時はわざと足を砂の中に潜らせてみるとけっこう冷たい。抜け出すのがちょっと大変だけどそれでも長く走れるようになる。


 そんな事を繰り返しながらぼくは砂漠を走っていると、小さなくぼみを見つけた。そのくぼみの中にある砂だけなぜかちょっと湿っている感じだ。なんとなくぼくはその砂をなめてみた。やっぱり砂だけど、ちょっとだけ水分があった。そしてぼくはここを走りたくなった。


 ―――なんて走りやすいんだろう。さっきぼくはこの砂に大雨が降って地面が固まったらすごく走りやすくなるんだろうなと思ったけど、まさにその通りの場所が今ここにあった。本当に速く走れる、そしてブレーキもかけやすいし曲がりやすい。もし砂漠の全てがこんな場所だったら本当にいいなと思いながら、ぼくは夢中でそこの小さなくぼみを駆け回った。


 駆け回っている内に、だんだんと涼しくなって来た、そして暗くなって来た。でも疲れる事はなかった。本当に楽しいと疲れなんか忘れちゃうんだろうなって事なんだろう。ぼくはそのまんまそこで寝る事にした。










 久しぶりに夢を見て、目覚めたらまだあんまり明るくなかった。


 どんな夢かって?昼間と同じように、ここを駆け回っている夢。ずっとずっとそれができたらいいなと思うけど、でもたぶん無理なんだろう。だからぼくはすぐにまたどこかへと走ろうと思った。


 薄暗いけれど、昼間みたいに暑くはない。だから結構走りやすい。相変わらず砂はからからで、足を突き出すたびに埋まりそうになる。昔、沼みたいな所を走った事もある。あの時は体じゅうぐちゃぐちゃになって、真っ黒だったはずのぼくの体が真っ茶色になっていた。でもあれもあれで走るのはめちゃくちゃ楽しかった。また走りたいとは思うけど、いったいどこにあるんだろう。昔すぎて覚えていないや。


 走っていたぼくの視界に真っ赤な太陽と緑色の地面が見えた。朝が来たんだ、そして砂漠から草原に戻って来ようとしているんだ。あ、元の草原かどうかはわからないから、戻って来たのかどうかはわかんない。




「おいお前」


 そんなぼくを、呼び付けたひとがいた。誰だろうと思って走るのをやめて首を横に振ると、ぼくの足元から声が聞こえて来た。


「お前は誰だよ。馬?馬がなんでこんなとこにいるんだよ。俺?俺はサソリだよ」


 その声を出しているサソリさんは、ぼくの足の下から目の前に向かって歩いて来た。八本の足に二本のハサミ、そして長い尾っぽに針。これまで見た事のない生き物だ。


 ああ、いけない、あいさつをしなきゃ。おはよう。


「おはようじゃないよ、まったくお前はここに何しに来たんだ」


 サソリさんは、ぼくにシロクマさんと同じ質問をして来た。


 なんでサソリさんもシロクマさんと同じようにそんな事を聞くのって言ったら、サソリさんはびっくりしたみたいにハサミを振り上げて尾っぽを立てた。


「お前、氷原から砂漠まで来たのかよ!長い事ここで暮らしてるけど、そんな奴は初めてだぜ、まさか走って来たなんて言わねえよな」


 えーと、その、言っちゃだめ?


「はあ……お前、腹は減ってねえか」


 あんまりすいてない、サボテン食べたから。のどもあんまりかわいてない。


「俺はこの砂漠では戦士って言われた奴やつだ、このハサミと針で、獲物を襲ってその肉を食べる、それが俺の生き方って奴だ。お前さんの肉を全部喰っちまおうとすれば、あと百年は食い物に困らねえだろうな」


 それはやだよ、走れなくなるのは嫌だから。


「俺は事実を説明しただけだよ、だいたい馬の肉なんて今までいっぺんも喰った事はねえ。もし俺が馬の肉をうまく喰えなかったら、俺もお前も死んじまうだけだ。どっちだって得しねえだろ」


 なるほど、じゃあどうすればぼくとサソリさんに得になるの?


「お前はここから早く出てけ、俺はまた別の獲物を探す。それでいいだろ」


 わかったよ、これからそうする。でもちょっと教えて欲しい。足が八本あるのってどうなの?


「んなこと言われてもよ、生まれてこの方ずーっとこうだもん、とくに何にもねえよ」


 もしぼくに足が八本あったらどうなっていただろう。もっともっと速く走れるんだろうか、そして長く走れるんだろうか。草原や氷原、砂漠や沼地に山だけじゃなく海の上とかも走れるんだろうか。教えて欲しい。


「おい、お前はこのハサミとか針とか、恐ろしくないのか」


 ちょっと怖い、でもそれでサソリさんは生きているんでしょ。ぼくがこの足を使ってあっちこっち走って生きているように、サソリさんはそのハサミと針の力で生きているんでしょ?だから別にどうって事はないよ。


「もし今から俺がお前をこのハサミと針で襲おうとしたらお前は逃げるか?」


 当たり前だよ、走れなくなるの嫌だから。と言ったらサソリさんはぼくに飛びかかって来た。ぼくはあわてて向きを変えて走って逃げたけど、サソリさんは追いかけて来た。もちろんぼくは逃げたけど、サソリさんはそれでも追っかけて来た。


「………本当はもっとお前を追いかけたいよ。お前を仕留めてみたいよ、でも俺にも限界って奴がある。あばよ、またいつか会いたいもんだな。今度はお前を仕留めてやるから」


 しばらくするとサソリさんは大きな声をぼくに投げて砂漠の向こうへ走り去って行った。いったい何がしたいんだろう、やっぱりぼくには今ひとつわかんない。







「なるほどねえ」


 おや、ぼくにここが砂漠だって事を教えてくれたラクダさんだ。いったい何?


「あのサソリは、この砂漠での僕の仲間でね、相当な腕前の戦士なんだよ。あのサソリにそこまで言われるってのは、まあキミがそういう存在だって事だから。その事を覚えておいた方がいいよ」


 あの、えっと、どういう意味?ぼくはただ走るのが好きなだけの馬なんだけど……ああラクダさん、ちょっと……。


 結局、ラクダさんは答えを教えてくれなかった。何なんだろう。まあいいか、こういうよくわからない気分は、走って吹き飛ばすに限る。

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