第七話 - ウシロガミ - 13

 レジを打ち終えると、大江山おおえやまさんが背後に立っていた。

「お疲れ平桐ひらぎり。さっきの客、どうだった?」

「あ、はい。何とか無事におさまったみたいですよ。協力してもらって、ありがとうございました」

「バカ、うちの客のことだろう。俺が協力しないでどうする」

 フン、と鼻を鳴らしながら大江山さんは腕を組む。

「それよりお前、白神しらかみさんとこのお嬢ちゃんと顔見知りだったのか」

「あー、はい、まあ、そうっすね」

「どういう知り合いなんだ。クラスの友達か?」

 俺は苦笑いする。

 友達、ね。


 大江山さんには適当に答えて、俺はその場を離れた。時計を見れば就業時間は過ぎている。田舎の電車は本数が少ない。付近に住んでる大江山さんや他のスタッフさんはともかく、ぼやぼやしてると俺は次の電車まで、一時間近く待つ羽目になる。


 白神に声をかけてから、俺は勤怠を切り、店長や先輩たちにも声をかけ、その日は上がった。ロッカールームへ入り、着替える。ふと思い出して鏡を見ると、後ろ頭の手――《後神うしろがみ》は消えていた。おそらくこれはいつも見えているというわけではなく、本人が強く相手のことを思ったときや、何かもどかしい思いをしたときに、一時的に現れるものなのだろう。

 やれやれ、難儀なものだなと。そんなことを思いながら、俺はロッカーを閉じる。


 私服になった俺が店の表へ回ると、白神が手持ても無沙汰ぶさたそうにして立っていた。


「待たせたか?」と俺が声をかけると、

「あ、平桐くん」と白神が笑う。

「お疲れ様。待ってたけど、待たされてないよ」

 面白い言い回しだ。

 白神が言うには、今日は宗二さんの車で帰るのだそうだ。先ほど連絡を入れたから、しばらくすればやってくるだろうとのことである。


「悪かったな、見合いの邪魔して」

 俺が言うと「いいよ、別に」と白神は笑った。「どうせうまくいきっこないお見合いだったし」


「それだよ。どうしてうまくいきっこなかったんだ? 黒部くろべに想い人がいたからじゃないのか?」

「ぶー、教えませーん」

「なんだそら」

 思わず俺は笑ってしまう。

「にしては楽しそうに話してたけどな」

「楽しいのと恋愛は別です」

「そういうもんか」

「恋愛と結婚も別です」

「マジか。すげえな」

「脊椎反射で会話するのやめなよ、平桐くん」


 ふたりしてけらけらと笑っていると、遠くから車のヘッドライトが見えた。ライトは段々と近づき、大きくなって、ドレスを着ている白神をきらきらと輝かせる。車はやがて俺たちの目の前までやってきて、しかしそのまま減速することなく通り過ぎた。白神の家の車かと思ったが、どうやら違ったらしい。


 俺は白神をずっと見ていた。


 視線に気づくと白神は、にこりと小さく笑って、空を見上げる。俺も釣られて見上げれば、雄大な星空。思えばいったいいつぶりだろう。星なんぞ見るのは。


「ねえ平桐くん。言葉ってさ、難しいよね」

 なんの話だろうか。と俺は白神に視線を戻す。白神は笑って続ける。

「言葉はたまに嘘をつく、って話だよ。思ったことと逆のことを言っちゃったり、自分の気持ちなのにうまく言葉にならなかったり、本当に大事なことはその先にあるのに、いつまでたっても辿り着かない。

 でも、言葉にしないと何も起こらない。何を信じていいかわからない。難しいよね、言葉って。どうしたらいいんだろうね、私たちは」


 俺は、迷った挙句口を開く。しかし白神の方が先に、話し始めた。


「私、この前電話したとき、実はちょっとだけ期待してたの。平桐くんが『見合いなんてやめとけ』って言ってくれるんじゃないかって。ズルいことしちゃったや」


 てへ、と舌を出す白神を見て。

 はにかんだような笑顔を浮かべる白神を見て。

 俺はしばし言葉を失ってから、笑った。


「奇遇だな。俺も本当は『やめとけ』って言おうと思ってた」


 うふふ、と白神も笑う。

「逆のこと言った癖に」

「言葉はたまに嘘つくからなあ」

「もー、ばか」

 言って白神は、再度星空を見上げる。


「でも、それが聞けて良かったよ。……うん、ひとまずはこれで、満足かな」


 その表情は残念そうでもあったが、星空を反射して輝く白神の目には、どこか清々しい色が浮かんでいた。

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