本編

レイ視点

第2話 レイの光

「あ、もうそろそろ帰らなきゃ」


 日が傾いてきた空を見上げ、レイはふと呟いた。


「もうそんな時間?相変わらず、レイのお父さんは過保護だね」

「……そうだね」


 どこか歯切れ悪く答えるレイに、ロイを少し首を傾げながら帰り支度を始めた。


「…ロイ、また来週も会える、よね?」


 そう問いかけるレイは、いつもより硬い表情と笑顔を浮かべる。明るく強気なレイらしくない。


「?当たり前だよ。今日と同じ時間に、集合だからね」

「そう、だよね!うん、また来週、待ってるからね!!」


 ロイがそう答えると、すぐにいつも通りあたりが華やぐような笑顔を浮かべて、来たときと同じように去っていくロイを手を振って見送った。


「……」


 一気に静かになったそこを、少ししてレイはいつものように踵を返し、ロイとは違うルートで街へと帰っていった。



   ◆  ◆  ◆



 レイはこの街、いや、この国有数の商会の一人娘だ。いつも仲の良い両親とレイを慕う可愛い弟、優しい使用人たちに囲まれ、上質で流行の最先端をいく服やアクセサリーを身にまとい。とても幸せに暮らしていた。

 ……少なくとも、周りにはそう、見えているだろう。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 家であるルクフォード商会の正面入口を潜り中に入ると、近くにいた商会で雇っている従業員が頭を下げてきた。


「もう……お嬢様、またこちらからお帰りになられたのですか?ここはお客様用の出入り口ですよ。従業員用の出入り口から入るように、いつも言っているではありませんか」


 そう困ったように従業員は苦笑して、レイと視線を合わせるように腰を屈めた。


 商会の中にいた客たちは、それを見て微笑ましそうにクスクスと笑い眺めている。この商会では、レイが従業員の誰かに優しく叱られている姿は日常茶飯事なのだ。


 レイはそれをチラッと見たあと、ニコッと微笑んだ。


「ごめんなさい。でも、お客様の顔が見たかったのよ。私だってここの、一人娘なんだから。

 それじゃあお客様の顔も見れたことだし、私は行くわね」


 レイがそう答えるのもいつものこと。


 タッと駆けて去っていく姿を確認し、客たちはいつものように自分たちの手元へと視線を戻すのだった。




 ――パタン


 背後で扉が閉まる音が聞こえる。


「お前、また正面から入ったのか」


 従業員用の扉から商会の裏へと回ったレイは、目の前にいる男にそう声をかけられた。


 その男の瞳にはレイに関する興味もなく、嫌悪すら浮かばない。あえて言うなら、その目に浮かぶのは、レイに対する多少の煩わしさといったところか。それこそこの男がレイに向ける感情は、悪くいえばそこらのいつでも切り捨てることのできる駒、良くいえば商売価値のある大切な商品、そんな物に向けるものだった。

 決して家族に向けるものではない。


 そう。この男は、レイの血の繋がった実の父親だった。


「……はい」

「客の反応は?」

「いつも通り、微笑ましいといったものばかりでした」

「…そうか」


 それだけ言って去って行くこの商会の会長・ヴェルトを静かに見送り、自分の部屋へと向かう。


 その顔は、あの明るく優しい女の子と同一人物だと思えないほどに無表情で、なんの感情も浮かばない。


 誰にも会わず無事に部屋へと入った途端、レイはゆっくりと崩れるようにして椅子に座った。


「よかっ、た……」


(今日は、それほど機嫌が悪くなかったみたい……。誰にも会わずにここまでも来れたし…)


 ほっと安心したあとでも、レイの顔に笑顔は浮かばない。


 椅子から立ち上がり、ドレッサーの前でかがんで鏡を覗き込む。


「……」


(……ロイが見たら、どう思うんだろう?)


 片手を頬に当て、もう片方の手を鏡の中の自分にあてる。

 鏡の向こうの自分は、何度見ても無表情で、何を考えているのかよく分からない。



“ルクフォード商会の#一人娘__レイ__#は幸せだ”


 それが世間の共通認識。

 けれど実際は、レイは幸せとは言い難い生活を送っていた。


 穏やかで朗らかなのに遣り手と知られている父は、レイに対して商会が成り上がるための商品としての価値以外に見出そうとせず、それどころか、機嫌が悪いときは暴力を振るわれることもあった。


 優しく美しいと有名な母は、実際は家では癇癪持ちで、美しい自分に似て美しいレイが気に食わないらしい。悪口や食事抜きは当然、視界に入れば手に持っている扇子や鞭で叩かれるのはいつものことだ。気に食わないなら視界に入れなければ良いものを、二日に一度は部屋を訪れて叩いてくるのだ。どうやら、レイを傷つけて自尊心を保つ他に、傷物にして醜くしてより自分の優位を確かにしたいようだった。


 無邪気だけど賢く愛らしいと評判の弟は、父と同じようにレイを物としか見ず、むしろレイを利用している節すらある。ただ、父と違いその心には確かな嫌悪が住み着いていた。


 使用人や従業員だってそうだ。

 一見優しく可愛がってくれているように見える従業員は、その実裏で陰口を言い合っているのを知っている。いつも商会の出入り口付近で繰り広げているあの茶番劇だって、嫌々と相手をしているのだ。その時だって、目の奥に暗いものが仄めいている。

 使用人はもっと顕著だ。嫌がっているのを隠しもしない。その方が雇い主やその家族に気に入られると知っているから、客を上げるとき以外は常に無視や悪口、いじめたりと忙しい。


 質が悪いのは、父、母、弟、従業員に使用人、そのどれもが外面が良いことだ。

 暴力を振るうときは必ず服の下、特にお腹のあたりを狙い、叩くときは必ずレイの薬ですぐに治る範囲まで。

 外に出るとき、父や母は“可愛い愛娘”として扱ってきて、必ず流行最先端のものを送ってくる。

 弟は“自慢の姉”とばかりに外でレイといるときはあとをついて回り、あちこちで「お姉ちゃん大好き!」と姉弟仲の良さを全面に押し出す。

 使用人と従業員は、人前では“愛らしい”“微笑ましい”とばかりの顔をして注意し、“困った愛らしいお嬢様”を心配する自分をアピールする。


 そんな中で小さい頃から過ごしてきたレイは、取り繕うことや愛想笑い、そういったものばかり覚え、心や感情は育たず凍りついたままだったのだ。


 それを溶かし、芽吹かせ、育ませてくれたのが他でもないロイ。

 レイが心から微笑み、泣き、悲しみ、楽しみ、喜び、怒り、笑うのはロイといるときか、ロイについてのみなのだった。


 レイの心は、それ以外では決して動かないし顔も出さない。


 レイが死のうと決意したときに出会ったのがロイだ。だからロイは光。レイにとっての、生きる唯一の光なのだった。

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