お題:いつかし【厳橿】 神威のある、繁茂した樫の木。「斎橿」とも書く。

 和歌山県は昔から木の国とも呼ばれ森林の豊かな土地である。

 山深く徒歩では行き着くことが不可能だとされる奥地には、厳橿いつかしと呼ばれる樫の霊樹が存在する。沖縄・屋久島にある縄文杉の樹齢二千年をも超える、巨大で気高い大木であるが地元の人間以外にはあまり知られていない。厳橿の樹液を飲めば長生きし、毛虫のような形状の花を噛めば尋常ならざる力を宿し三日三晩眠らず心体が覚醒状態となるという。


 その樹をある青年が発見した。

 平安時代に時の権力者が、祈祷のため七日七晩かけて森を分け入り山を登って到達したという文献を頼りに、まず陸からの登攀とうはんを試みた。が、奥深く底の見えない濠と垂直で高くそびえる崖に阻まれ断念した。不思議なことに横方向にいくら迂回しても登れそうな地点は見当たらないのだ。そこでヘリを利用してパラシュートで目的地点付近に空から降下することにした。一度目は突風で吹き飛ばされたが二度目には成功した。


 そこはジャングルではあるが妖精が棲まうかのような静けさと荘厳さがあり、絶滅したかと思われる動植物や昆虫等で溢れている場所であった。真夏であるにもかかわらず冬の入口のような寒さと空気に満ち、常緑樹の枝葉が屋根となり昼でも光がほとんどなく薄暗い状態であった。

 あとで調べると中心の霊樹から半径1キロメートル部分だけが地上から浮いた高度のある天空城のような地形で、端は全て断崖絶壁と濠でとざされ、なるほどこれでは陸から到達するのは不可能な聖地であることがわかった。


 樹の幹を削ぐとオレンジというよりは赤に近い透き通った樹液が吹き出た。舐めると甘くピリリとした刺激があった。表面の皮をはぎ燃やしてみると、小さな青白い炎で二十四時間も燃え続けた。

 捕まる所はほぼなく、アンカーを刺しながら樹を登ると下から見るよりはるかに高く、20メートル登ってもまだ頂点が見えない。

 夜になり途中の枝で休むとかすかに光る花が咲いていた。折って口に含むと頭が覚醒状態になり眠くならなかった。夜が明けて再び登りはじめるがいくら登ってもキリがなく、永遠に頂点には至らず断念しそのまま山を降りた。


 この現代日本の中に存在した人類未踏の聖地のレポートを写真とともに発表すると反響を呼んだ。

 未知の神木。麻薬的な花。奇跡の樹液。永遠に燃える木片。それらを求めて多くの登山家が下からの登攀に挑戦したが失敗し命を落とした。空からはスカイダイバーが降下を試みたが、暴風雨が発生しヘリすら近づくことができなかった。

 ある財閥は重機を用いて山を切り開き崖を切り崩し濠に橋をかけようとしたが、強烈な雷雨で土砂崩れが起き重機ごと押し流されて失敗した。その土地は国有林であったため、政府は自衛隊に陣を張らせ監視させ、外部からの侵入を遮断した。


 懇意にしている教授からは二度と近づくなと言われたが、青年は金のなる木の魔力に抗えずもう一度聖地を訪れようとした。

 自衛隊に変装し現地に近づき、下山するときに残しておいた自分だけがわかる秘密のルートから断崖を登攀し神木へと近づいた。連日の雨で根が露わとなり土が流れ、青年は硬いものに足をとられた。それは山のように折り重なった大量の人骨の一部であった。膝から下ががっしりと喰い込み動きがとれなくなった。引き抜こうとするががっしりと地面に挟まった骨は、足を切断でもしなければ抜けないほどである。

 そのまま数十日を樹液をすすることで青年は生き延びていた。救援信号の狼煙のろしは神木の枝葉にはばまれて空まで届かない。携帯の電波も圏外。窮途末路きゅうとまつろの状態に陥った。

 青年は自身の周りに広がる骸骨の数を見て、この樹が人間の生き血を養分としてここまで育ち、それゆえ樹液が赤いのだと悟った。そしてまた自分がこの樹の生命の一部となり死ぬことで秘密は未来永劫守られていくのだという現実を受け入れた。


 厳橿いつかし。そこはかつて陸の流刑地であった。

 大罪を犯した者や戦に敗れたものが送られ死にゆく場所であった。罪人たちは生きている限り周辺の濠を深く掘り続け山の一部となり死んでいったという。

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