お題:かんせい【甘井】 うまい水の出る井戸。

 とある地方に甘井かんせいという、うまい水が出る井戸があるといいます。うまいだけでなく甘いのです。そのまま飲んでも疲れた体が元気になり、大工をすれば器用に家を建て、スポーツをすれば県下一の実力を持つほど上手くなり、妻のまずい料理も旨くなり、不良の悪ガキは立派になるそうです。


 ここに算数が苦手な女の子がいました。

 掛け算は理解できるのだけど、分数の割り算がどうしてもわかりません。なんで分子と分母が逆さまになるのか不思議でしょうがないのです。そこで思考が止まってしまってそれ以上やる気が起きなくなってテストは散々でした。

 だから少しでも頭が良くなることを期待して井戸まで歩いて行きました。滑車にかかった桶で中の水をすくい上げようとしたのだけどそうとう深そうです。ようやくちからいっぱい縄を引き上げたのだけど水は一滴も桶には入っていません。

 これまでそうやってたくさんの人たちが汲み上げてきたので底にはほとんど水が残っていないようです。


 女の子は、中を覗いてみようと体ごと乗り出したら中に落ちてしまいました。井戸の底にはまだ少しだけ水が残っていました。女の子は舐めるようにすすった所で意識を失ってしまいました。

 気がついた時には家の布団で寝ていました。誰かが落ちるところを見ていて救急車に連絡してくれて助かったのだといいます。でもそれからは割り算ができるようになって算数で100点を取れるようになりました。


 それからも女の子は困ったことがあるとこっそり井戸に行き、中に入って水を飲みました。底にわずかに残っていた水は、ほとんど全部その女の子が飲んでしまったみたいです。

 ただ副作用がひとつあって、体内の水分が抜けなくなるのでとっても太ってしまいました。

 お母さんにはダイエットしたほうがいいんじゃない?と何度も言われたけど、この体の中の井戸水がなくなってしまうとまた馬鹿に戻っていじめられてしまうと思うと、女の子はこのままの方がいいやと運動は全くしませんでした。


 その後女の子は、体型はそのままで年頃の大学生になりました。いわゆるかわいいという感じではないし太ってはいるのだけれども彼氏もできました。

 女の子の唾液はとても甘くておいしいと言い、彼氏はディープキスをいつも要求してきました。それまで単位を落として留年中だった彼氏はメキメキと頭が良くなり、飛び級で大学を卒業して研究者になりました。噂を聞きつけていろんな男の子が女の子に近寄ってきました。一方女の子はやせてスタイルが良くなったはいいけど勉強ができなくなり卒論もかけず就活も婚活も失敗してしまいました。


 女の子はすがるようにまた田舎の井戸に戻りました。荒れ果てた草原の中に井戸はまだありました。底に飛び降りたら少しだけ水が湧き出ていました。

 あの時と同じようにすすってみましたが全く甘くありませんでした。ただの水に戻っていてもう昔のような効力は発揮されないみたいです。その時大きな地震があり、上から石が落ちてきて女の子は中で生き埋めになってしまいました。


 気がつくと実家の布団で寝ていました。また誰かが助けてくれたようです。鏡を見ると何年も過ぎ、だいぶ歳をとっているようでした。階下から小さな女の子の声が聞こえてきました。


「ねえねえおかあさーん、わり算教えてよ。今日の算数の宿題なんだ」

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