お題:いさらみず【細小水・水潦・潦水】 少しあふれこぼれ出る水。

 咲子はもう目が見えない。

 兄のヘッドマウントディスプレイをこっそり借りて見た映像が原因だ。


 2020年に発売されたその画期的メガネ型映像装置は、電子信号が網膜だけでなく視神経や脳細胞にまで働き現実よりもリアルだという触れ込みで、瞬く間に全国に波及した。音楽フェスやゲーム・映画はもちろん、学校の授業や食事、恋愛、旅行、宗教、戦争まであらゆるジャンルのコンテンツのソフトも発売された。

 なかでも人気を誇るのはスポーツ選手の視点がリアルタイムで楽しめるというライブ配信で、オリンピンクの時期には誰もがメガネをかけて金メダリストの興奮を味わうことができたという。


 咲子はただロックアイドルグループのライブを見たかっただけであった。が2時間のライブを見たあと、ヘッドマウントディスプレイを外して残ったものは真っ白な現実社会だけであった。

 大衆の人気をとるために開発競争が激化し、次第に映像表現が過激になっていく中で、脳や神経に異常をきたし失明するユーザも少なからずいた。その1人になってしまったのだ。

 何も見えず、何も聞こえない。レーシックの手術でも数時間は失明状態になることがあるという。しばらくして元に戻るだろうと考えたが改善することはなかった。

 その日は自室で眠り、翌日また兄が出かけたあとにメガネをかけた。すると仮想世界の景色と音は知覚出来た。しかし外すと何も見えない。何度繰り返しても一緒で真っ白だ。その現実に咲子は絶望した。


―――


 「そんなメガネ、私が生きているうちに完成するのかしら」


 そうつぶやいて女は一粒の涙を流した。女は生まれつき目が見えない。ボクはその彼女に、週一回創作した物語を話して聞かせるストーリーテラーを仕事にしている。彼女の目からこぼれる細小水を集めるために。できるだけ悲しい物語で彼女を泣かせるために。


 イサラミズ。純国産の超高級香水。製造過程は極秘。人間の涙だからだ。普通の人間の涙は塩辛くわずかに汗臭い。それに比べ特異体質の彼女の涙の香りは神々しく、色も水晶のように青く輝いている。

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