第34話
空から雪が降ってくる。雪を見てから、雪だ、と月夜は思った。季節外れではないが、予想外ではある。彼女は、あまりテレビを見ないから、天気予報は確認していない。空はたしかに曇っていた。暗いから、気づかなかった。これが、ホワイトクリスマス、というものらしい。
人は、なぜ、勉強するのだろう? 一度勉強したからといって、それですべてが身につくわけではない。必ず、失われる部分が存在する。決して完全にはならない。それなのに、何度も同じことを繰り返して、内容を記憶して、少しでも自分の能力が上がれば、と期待する。いずれ死んでしまうのに、どうしてそんなことをするのか、月夜は不思議に感じる。
彼女は、言うなれば、学校の成績のために勉強している。自分の能力を上げる、ということを、勉強の目的にしていない。それは、つまり、やらされている、ということでもある。学校に通って、与えられた課題をこなして、次に進む。それらはすべて計画されている。けれど、習得の精度には個人差があるから、すべての生徒が、計画された通りに目標を達成できる、というわけではない。人間は、生まれながらにして不平等なのだから、すべての生徒の勉強の量や質が同じでも、結局のところ差に変化は生じない。だから、能力のない生徒は、能力がある生徒以上に勉強しなくてはならなくなる。どうして、そんな不合理なことを求めるのか。能力がないのなら、もう、それで良いではないか。どうして、それ以上鍛錬しなくてはならないのか。しても、仕方がない。だって、いつか死んでしまうのだから……。
自分が発見した成果が、自分が死んだあとで、ほかの人に受け継がれる。それが楽しいから、学問を極めるのだ、と言う人もいる。けれど、いつまで、そんなことを続けるつもりだろう? 終わりがないのに、いったい何を目標にしているのか。それが、月夜には分からない。生命は、そういったサイクルに縛られている。それを断ち切ることはできない。断ち切ろうとすれば、たちまち環境というシステムに阻害される。人間にそのサイクルを断ち切らせないために、世界には、予め、安全装置が組み込まれているのだ。では、それは何のためだろう? そう考えても、結局何の答えも出ない。それは、目標や、目的を掲げるのが、人間に特有な行為だからかもしれない。では、人間が、目標や、目的を掲げるのは、どうしてだろう?
そう……。目標や、目的なんて、本当は存在しない。
人間が、存在すると錯覚しているだけだ。
それらがあれば、素晴らしいと感じるし、それらがなければ、価値はないと感じる。
だから、皆、将来の夢を掲げて、それを頼りに生きている。それがなければ、まともに生きることすらできない。生物として、ここまで脆弱な種はほかにない。人間は、弱い生き物だ。生物という集合の中で、最も生きる能力を持っていないのではないか。
横を向いて、月夜は紗矢を見る。
紗矢は、死んだのに、まだ、こうして、この世界に留まっている。それは、彼女が人間だったからかもしれない。やはり、目標や、目的がないと、死後の世界でも生きていけないのだ。だから、ここに座って、自分と会話をする、そのために生きている、と思い込んでいる。あるいは、ほかにも、目標や目的が存在するのかもしれない。
ほかの、目標や、目的。
では、それらがすべて達成されれば、紗矢は消えてしまうのか?
消えるために、目標や、目的を掲げている?
なんて、馬鹿げているのだろう……。
そして、なんて、寂しい存在なのだろう……。
「月夜、何、考えているの?」
紗矢が訊いた。
「少し、わけの分からないこと」
「へえ、どんな?」紗矢はにこにこ笑って話す。「聞かせてよ。そういう話、大好きだよ」
「紗矢は、何のために、ここにいるの?」
「私?」紗矢は少し不思議そうな顔をした。「うーん、なんとなく、かな……。……月夜は、どうして、生きているの?」
「どうしてだろう……」
「それを、考えていたの?」
「うん、まあ、そう」
「そういうときって、あるよね」
「そう?」
「うん……。私も、よく考えたよ。死んでしまいたい、とも思った。結果的に、その願いは叶ったけど、でも、死んでも、何も変わらないんだよね。いっそのこと、死ぬことを目標に、それだけを楽しみに生きられたら、どれほど素晴らしかっただろう、と、今になって思うよ。彼と、毎日、それだけを頼りに生きる。どう? 素晴らしいって思わない?」
「少し、思う」
「まだまだ、楽しいことは、あったかもしれないね。今さら、もう遅いけど……。月夜は、そうならないように、祈っているよ。なるべくなら、死ぬのは早くない方がいい。まあ、こんなこと、いちいち言わなくても分かると思うけど……」
「自分から、死ぬのは、いけないこと?」
「いいこと、ではないよ」紗矢は笑った。「いけない、とは言えないけどね」
「私が、死にたいって言ったら、どうする?」
「私は、止めるかもしれない」
「うん……。それは、正しい、かな」
「……どうだろう。正しいことなんて、何もないのかもしれない」
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