隠された手紙

葛西京介

1.作家と探偵と私の関係

 2020年の初夏、ある風の強い曇った日の昼下がり、私は友人の作家・小木おぎゆず(もちろんペンネーム)と一緒に、大阪の天保山にある彼のワンルームマンション「サン・ジェルマン」4階の一室、つまりそこしかない部屋で、創作と調べ物の二重の苦楽にふけっていた。

 友人は肩書きとしては一応ミステリー作家なのだが、30歳にして大したヒット作もなく、創作の傍らアルバイトで稼ぐお金で食いつないでいる貧乏作家だ。

 私も同じくアルバイトの身だが、彼の書く作品のために調べ物をしたり、ストーリーやプロットやトリックのアイデアを出したり、彼の書いたものを読んで添削したり、時には彼の代わりに文章を書いたりもしている。もしかしたら私は彼と共作していると言えるかもしれない、と最近思いつつある。もっとも、アルバイトの方がずっと稼ぎがいいので、作家なんて興味もないけど。

 ちょうど今月末〆切の原稿を出版社へ送る準備をしているときに、インターホンが鳴り、マンションの入口に来客があることを告げた。友人の方が暇そうにしていたにもかかわらず、私の方がインターホンに近いところにいたため、仕方なく私が出ることになった。最近カラー液晶化されたインターホンの画面には、友人の大学の先輩で探偵のさと義助よしすけ氏の姿が映っていた。何となくいやーな予感がしたが、一応は愛想よく「いらっしゃい、どうぞ」と言って、マンション入口のロック解除ボタンを押した。

 数分して安里氏が部屋のドアを開け、入ってきた。他人の家を訪問するのに手土産一つ持たず、それでいていかにも如才ない笑みを浮かべているところからは、何か無理難題を押しつけようとしている様子が感じられた。友人が立って先輩を出迎えた。

「やあ、安里先輩、お久しぶりです」

「ああどうも、ご無沙汰しとって」

「どうぞ上がって下さい。狭いところですけど。お茶でも出しますわ」

「いやいやお構いなく」

 手土産を持って来ないような人にお茶を出す気遣いなんかいらんのとちゃうの、と思いながら、なぜかお茶を用意するのは私の役目になってしまうのだった。

 ワンルームマンションのそこしかない一室の空きスペースに、3人で車座になって座ると、足の踏み場もないという感じになる。他には友人の執筆机(というほど大したものではない)と2段ベッドとテレビラックがスペースを埋めている。私がノートパソコンを置いて調べ物などをする小さい丸テーブルは、お茶を置くために使われ、ノートパソコンは可哀想なことに床の片隅に追いやられている。歩き回るときに、コードに足を引っかけませんように。

「最近は車で尾行することが多いんですか」

 友人が安里氏に聞いた。安里氏は個人探偵ではなく中規模の探偵事務所に所属していて、主に素行調査に携わっている。友人はおそらく、安里氏の手が顔よりも日焼けしているのを見て、車の中にいることが多い(ハンドルを持つ手は日焼けしやすいので)と考えたのだろう。

「最近どころか、いっつも車で尾行することの方が多いで。電車に乗るとICカードに行き先が記録されてまうから、行動を隠したい奴はあんまり電車使わへんのや」

「いやあ、それくらいは僕も知ってますけど、今年は特に回数多かったんかなあと」

 友人は負け惜しみを言った。どうせ日焼けを観察するなら、帽子をよく被ってたんでしょうね(顔の下半分の日焼けが濃い)とか、変装用の眼鏡は2種類持ってるんでしょうね(目の周りの日焼け跡がぼやけてる)とか言えばいいのに。ただ、それって推理するようなことでもない、探偵にとってごく普通のことだと思うけど。

「まあ、回数は多かったなあ。依頼自体が多かったし、俺も尾行のベテランになったから起用されることが多いんや」

 その割に安里氏の着ているスーツは見栄えがしない。仕事が多かったのなら給料いっぱいもらってるはずなのに。買い換えできないほど忙しかった? でも、いつも同じスーツを着てると尾行の時にバレやすいと思うけど。

「それより、君の本の方はどうなん。それほど大忙しっちゅう感じでもないみたいやけど」

「そんなことないですよ。結構忙しいです。何を見てそう思いました?」

 また友人が見栄を張る。友人の書いたものが本や雑誌に載るたびに、彼は自分の知り合い全員にメールやSNSで告知している。だから安里氏が彼の近況を知らないはずはない。もっとも、安里氏がそれらの告知を無視しているという可能性は大いにあるけど。

「まず、プリンタ用紙の買いだめが少ない」

「いえ、最近はメールを使って文書ファイルで出版社とやりとりするんで、紙を使うことが少なくなったんですよ」

「本棚に小説誌が少ない。掲載された数が少ないからやろ」

「うち狭いから、スキャナーで取り込んで、本自体はすぐ捨ててしまうんです。買うのもみんな電子ブックにしました」

「部屋があんまり片付いてない。編集者が来てないんやろ」

「打ち合わせは全部、下の喫茶店使うんです。それに、出版社も経費削減で出張でけへんから、ほとんどメールでやるんです」

 安里氏の探偵社では出版業界のことについてはあまり調べが行き届いていないらしい。しかし、友人の仕事が少ないのは実は当たっている。ただ、それを部屋の様子から推察するのはたぶん無理だと思うけど。せいぜい、パソコンが古いままだとか、OSが古いまま(ウ○○○○ズ7)だとか、ワープロソフトが古いまま(一○郎2010)だとか、それくらいかな。

「そんなことより、先輩が扱った事件で、何か面白いのありませんか? 複雑なトリックなんかは期待しませんから、浮気の原因がめちゃくちゃおもろいとか、尾行をまく方法がめちゃくちゃ突飛やったとか、証拠品の隠し方がめちゃくちゃ奇抜やったとか」

「最近の推理小説はそっち系が流行はやってるんか?」

「正統派のトリックは、大御所の人しか使わへんのです。無名作家は何か斬新なこと書かんと注目してもらわれへんのですよ」

 言うこと矛盾してるなあ。結構忙しいんだったら無名作家じゃないのに。でも、斬新なことしないといけないのは事実。ただし、斬新すぎてネットのブックレビューでこき下ろされることもある。批判されても評判になったら勝ちっていう考え方もあるけど、私はあまり賛同できない。

「そやなあ。そしたら、最近のでちょっと面白いのがあったから、話したろか?」

 いや、実はそれを話に来たんちゃうの。しかも話だけやなくて、相談しに来たんとちゃうの?

 お願いします、と友人が言った。安里氏がお茶を飲み干したので、私がおかわりを注ぐ。どうしていつも私の役割なんやろ。業務上のことやからあんまり他の人には話せんといて欲しいんやけど、と安里氏が言う。え、それやったら作品のネタにできへんのとちゃう?

「話は至って単純なんや。俺だけでも解決できると思うんやけど、誰でもできる簡単なお仕事がけっこう多くて、ちょっと手伝ってくれる人がおったら紹介してくれへんかなーと思って」

「僕でよければお手伝いますよ! ちょうど今月分の作品を書き上げて、月末まですることがないですし」

 え、いや、送る原稿をまだプリントアウトしてないし、その後、送る作業もあるやん。全部私にやらせるつもり? 暇があるなら次の原稿書き始めたらいいやん。

 それにしてもあの出版社、そろそろメールで原稿送付できるようにしてくれへんやろか。紙もったいないし、テキストデータをCD-Rに焼くのもめんどくさいし、後の修正でまた同じようなことするのが一苦労やし。

 しかし私の思いを無視して、安里氏は友人に依頼のあらましを話し始めた。


(つづく)

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