28 吸収

 マリノは僕を見るなり、ててて、と駆け寄ってきた。

 足元で立ち止まると、ぺこりと頭を下げる。

「アルハにい、ありがとう」

「僕は何もしてないよ。でも、どういたしまして」

 屈んで目線を合わせ、顔を上げてもらう。

 マリノは首を横に振った。

「なにもしてなくない。アルハ兄がいなかったら、ベー兄あぶなかった」

「そんなことないよ」

「あるの!」

「わかったよ。大きな声出すとメルノやヴェイグが起きちゃうから、静かに」

 否定する僕と、否定を否定するマリノ。マリノがどんどん声を大きくするから、僕が折れた。


「どうしてこんな時間まで起きてたの?」

 立ち上がり、当初の目的だった水をコップに汲んでからテーブルにつく。マリノも水を飲むかと聞いたら、いらないとのこと。

「ウーちゃんが、ごめんなさい、って」

「ウーちゃん? ウーハンのこと?」

「うん」

「ウーハンに謝られるようなこと、されたっけ」

 水を飲みながら、首をかしげる。心当たりがない。

「アルハ兄をそえものあつかいした、って言ってたよ」

「ああ、添え物か。そんなの、気にしてないって伝えてもらっていいかな」

「わかった」

 コップの水を飲み干しても、マリノはまだ話足りなさそうな顔だ。


 実は僕とマリノって、あまりこうして話したことがない。

 僕自身が小さい子と接した経験に乏しくて、どうしたらいいか分からないっていうのが正直なところだ。

 ヴェイグは弟妹がいたからか、子供の相手が上手い。

 だから、ヴェイグが小さい子と話す時の仕草を極力真似るようにしている。

 目線の高さを合わせるとか、極端な子供扱いしないとか。所詮、付け焼き刃だけど。


 僕がもやもやと考え込んでいると、マリノが僕を見つめて妙なことを言い出した。


「アルハ兄って、やさしいね」


 たまに言われるんだけど、僕は違う。

「優しいっていうのは、ヴェイグみたいな人のことだよ」

 通りすがりの子供を助けたり、僕がいじけてても文句ひとつ言わずに付き合ってくれたり。

 見返りを求めずに誰かに手を差し伸べられる人が、優しい人だと思う。

「でも、アルハ兄はいつも助けてくれるよ」

「僕のは自己満足だよ。目の前で誰かが傷ついたりするのが嫌なだけなんだ」

 この世界では相手が魔物に限れば、僕が力ずくでなんとかできるってのも大きい。

 仮にチートやスキルがなかったら、同じようにやれるか怪しい。

 傷つきそうなのがマリノやメルノ、ヴェイグだったら、どうしよう。冒険者をやるのが確定路線なら、武器の扱いくらいは覚えるだろうから……一応、立ち向かうかな。

 徹頭徹尾、自分のことしか考えてないから、自分とその周囲さえ無事なら、それでいい。

 こんな考え方の人間が、優しい人なわけがない。


「ほんとうにやさしいひとは、自分のことやさしいって言わないんだって」

 マリノが、にいっと笑いながら、僕にそんなことを言った。

 どこで覚えてきたんだろう。メルノかな。

 反論したいけど、マリノに敵う気がしない。

 立ち上がり、マリノの頭をわしゃわしゃと撫でる。

「もう遅いから寝よう」

 マリノもそれで、笑顔のまま自室の扉の前へ向かった。

「おやすみなさい」

「おやすみ」



“アルハ”

 部屋に入るなり、ヴェイグに声をかけられた。そういえば感覚遮断してなかった。

「うるさかった?」

“いや、問題ない。

「ごめん」

“別にうるさくは……”

「そっちじゃない」

“気にするな”

「ありがとう」

 やっぱりヴェイグは優しい。



 翌朝。

 マリノはもう大丈夫とはいえ、念の為に一日休養をとることにした。

 皆で一緒に家事を片付ければ、昼前には余裕で終わる。

 昼食を済ませた後、僕とヴェイグは異界に入った。


 昨日僕が眠ってしまった時に、また白い世界と、竜と人が戦っている光景を視たことを、ヴェイグに話した。

“黒竜と人が、か。そんな話は聞いたことがないな”

「なんとなく、ラクには聞きづらいんだよね」

 竜関連なら竜に尋ねるのが手っ取り早い。だけど、竜が惨殺されていた話を竜にするなんて、趣味が悪い。

“話すかどうかは一先ず置こう。それで、その黒竜の魂がアルハにあると。例の、混ぜられた魂のことだろうな”

「僕もそう思う」

“受け入れるのか?”

 既に力の一部は受け入れてある。それ以上に、つまり全部を。

「そのつもり。でも」

 これまでに2度、受け入れかけた。そのたびに、ヴェイグのことを忘れたり、不穏な言動をしたりと、いい思い出がない。

 また迷惑を掛けるかもしれない。

 ヴェイグは何を今更って言ってくれるだろうけど、僕が気にする。


“ならば俺は、それを受け入れたアルハを受け入れよう”


「え?」

 予想外のことを言われて僕が固まると、ヴェイグが続けた。

“アルハがどうなろうと、アルハはアルハだ。俺を忘れても、性質が変わっても、これまでと同じだ”

「忘れた時は、ヴェイグは交代すらできなかったじゃないか」

“元々そういう覚悟で身体を間借りしている。閉じ込められる場所がアルハの身体ならば、悪い話ではない”

 大真面目に、めちゃくちゃ怖いことを言ってくれる。

「嫌だよ、そんなの」

“悪くはないが、俺もできれば避けたい。そんな事態にならぬよう努めてくれ。まあ、無用の先案じだろうがな”

「頑張る」

 口に出しておく。


 目を閉じて、自分の内側に集中する。

 黒い竜の姿を強くイメージして、湧き上がる力をそのまま自由にさせる。

 心臓が一際大きくドクンと跳ねた。

「う、わ」

 一瞬、押さえきれないかと思った。違う。僕はこれを、取り込めばいいだけだ。

 身体中にどんどん巡らせて、なじませる。

 スポンジを一つだけ海の中に沈めても、海が干上がることはない。

 でも、僕はこの力を、いくらでも吸収できる。


“凄まじいな”

 力のことか、僕のことか。ヴェイグの声は楽しそうだ。安心する。

「もう少しで終わるよ」

 流石に無尽蔵ではなかった。

 最後のひとしずくをするっと呑み込むと、力の奔流は止まった。


 目を開けて、あたりを見回す。暴走しても被害が少ないよう、場所を異界にしておいた。

 特に必要なかったかもしれない、というのは結果論かな。

「ヴェイグ、気分は?」

“変わりない。アルハはどうだ”

「僕も。……よかった」

 思わず脱力してその場にしゃがみ込んだ。

“どうした!?”

「大丈夫。ほっとして、気が抜けただけ」

 身体に渦巻いていた力は、全て自分の思い通りになった。

 それで思考が短絡的になったり、ヴェイグを忘れたりしなかった。

 ちゃんと、できたんだ。

“今日はもう休め。ここを出たら替わる”

「うん」

 異界から出てヴェイグと交代しようとした時、誰かの気配を察知した。

 メルノが家の外に出ていて、その誰かと話をしている。

「デュイネが来てる」

 デュイネはトイサーチ冒険者ギルドの統括だ。

「しまった、挨拶してない」

“俺も失念していた”

 ランクが英雄ヒーロー以上の冒険者は、ギルドで歓待を受けるやつ、すっかり忘れてた。

 慌てて外へ向かった。

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