5 手負いの獣をどうするか

 あまりのサイズに現実感が遠い。

 山の内部は思った以上に大きな空洞になっていた。

 空洞の一番下、広い部分の四分の一を、丸まった赤い竜の体が埋めている。

“アルハ、よく見たい”

 ヴェイグと交代すると、大空洞につながる穴からほとんど身を乗り出すような姿勢になった。

「大きいな。ディセルブの城ほどある」

「お、ヴェイグか」

「どうしても自分で見たくてな。替わってもらった」

 ハインはすぐ交代に気づいた。ヴェイグはハインに頷くと、竜の観察を再開した。

“何か解る?”

「魔力の気配がない。アルハはあれの強さをどう感じる?」

“かなり強そう。でも言われてみれば、何か物足りない感じもする”

 人間がこんな間近でごそごそしているのに、竜は一向に目覚める気配がない。

 ヴェイグは気が済んだのか、僕と交代した。


「どうする?」

「そうだな……。今のままでは判断材料が少なすぎる。起きる気配もないし、もう少し近寄るか」


 ロープを下ろし、それを伝って竜と同じ地表に立つ。

 間近でみると、より一層大きく感じる。

 起きて立ち上がったら、ディセルブの城の倍ぐらいのサイズになりそうだ。


 ハインと二人で、竜の周りを調べた。

 周囲には、僕の身体が隠れるほどの大きさの赤い鱗が点々と落ちていた。体表をよく見れば、ところどころ剥げたように抜けていて、地肌が見えてしまっている。身体に埋もれた顔は、眉間に皺が寄っていて、なんだか苦しそうだ。

「鱗が落ちてるって、おかしくない?」

 魔物は死ぬと消える。ドロップアイテムの牙や角は、そういうアイテムであって、死んだ魔物の一部とは違う物体だ。

 こんな風に、生きている魔物の一部が消えずに落ちてるのは、ありえない。

「確かに。竜は魔物ではないのか?」

 気配は魔物に近い。近いだけで、そのものではない。魔物の気配は種類によって差があるから、竜はこういう気配なんだと思ってた。


「痛そうだな」

 ハインに聞こえないほど小さく、つぶやいた。鱗は、人でいうところの皮膚や爪みたいなものだと思う。

 赤い竜の地肌は白い。でも鱗が剥げたであろう部分は、少し赤くなっている。

「治癒魔法、効くかな」

 今度は普通に声に出して言った。僕と違うところから竜を観察していたハインが、目を剥いてこちらを見た。

「正気か!?」

「責任は取るよ」


 僕がやろうとしてるのは、怪我をした野生の熊に手当をするようなものだろう。相手が人に懐く確率はゼロに近い上、その後人間を襲う可能性はかなり大きい。

 それでもなんだか、放っておけない気がしたんだ。


 ヴェイグが同じ気持ちでいてくれた。

 右手を渡すと、すぐに最大出力の治癒魔法を発動した。

「足りる?」

“恐らく”

 治癒魔法で消費する魔力は、相手の状態で増減する。竜は身体が大きいし、具合の程度もわからない。ヴェイグの魔力で足りなければ、渡すつもりで準備する。

 僕が手を貸さずとも間に合ったようだ。


 治癒魔法の光が収まると、体表が明らかにツヤツヤになった。禿げた部分も新しい鱗で覆われて、健康的に見える。

「本当に治したのか……」

 ハインが呆気にとられている。それでも、僕の行為を止めなかった。

 竜からそっと離れて、しばらく見守る。やがて、地鳴りのような音がして、竜が少しだけ身動ぎした。


「うっ、あ」

 ハインがうめき声をあげる。竜から発せられる威圧のせいだ。

 前に、僕がはじめて[威圧]を使った後、ヴェイグに“竜でも逃げ出す”なんて言われたのを思い出す。こんな、本物の竜の[威圧]に比べたら、僕のなんて児戯みたいなものだ。

“アルハは平気なのか”

 ヴェイグも少し影響を受けているようだ。身体の中にいるのに、引き気味になっている。

 僕はと言うと……確かに圧力は感じる。でも怯むほどじゃない。

 多分、敵意が全く感じられないからだ。


「治癒の魔法を使ったのは誰ぞ?」


 重苦しい声が空洞内にこだまする。

 威圧感も増した。ハインは岩の壁に背中をべたりとくっつけて、座り込まないようにするのがやっとだ。


「ええと、とりあえず僕かな」

 挙手して、返答する。ヴェイグのことは追々話そう。

「なんで普通に会話できるんだよ」

 青い顔をしたハインが突っ込んできた。なんで、と言われても返答に困る。

 ハイン、顔色まで青くなるとますます……いや、なんでもない。


「ふむ、魂がふたつか。ならば儂も、とりあえずお主に礼を言おう」

 説明するまでもなく、ヴェイグの存在を見抜いているようだ。さすが竜、なのかな。

「それと、厚かましい頼みで悪いが、魔力を少し分けてもらえぬか。完全に枯渇したようで、全く回復せぬ」

 枯渇から回復しないことなんてあるのか。

 左手で竜の身体に触れる。相手は竜だし、どのくらい必要かわからない。全部渡すつもりで魔力を操ると、僕と竜の全身に放電のような現象が起きた。

「お……多い多い! もうええぞ」

 多かったらしい。魔力を止めると竜が全身をぶるりと震わせ、辺りが揺れた。

「いや、しかし生き返ったわ……。それで、儂に何か用か? 治癒と魔力の礼に、儂にできることなら叶えようぞ」

「なら、少し話をしてもいいかな」

「話であれば、礼とは言わず何でも話す。それ以外で願いはないのか」

 おや、まさか竜にも恩倍返しシステムが浸透してる?

「ひとまず威圧をやめてくれる? 仲間の具合が悪そうなんだ」

 ハインは息も絶え絶え、ヴェイグも息を詰めて極度に緊張している。

「この姿が拙いようじゃな。しばし待て」

 言うが早いか、竜の身体がみるみる縮み、あっという間に簡素なローブを着た人の形になった。

 あちこち跳ねた真っ赤なロングヘアに、金色の瞳。人間の年齢で言えば二十代くらいに見える。身長はオーカよりは低い。そして……とても女性らしい体つきをしていらっしゃる。


「女性だったのか」

「その括りで言えばそうなるのう」

 口調はそのままで、声の質は見た目通りになった。

 こうなってようやく、ハインが復活した。ヴェイグも肩の力が抜けたようだ。


「儂のことはラクと呼べ」

 僕たちも、ヴェイグも含めて名前を告げた。

 それからハインと僕で、ここに来た理由を話した。


「成程。お主らを見て人もマシになったかと思うたが、気が早かったな」

 町の人が怯えているから、討伐するか否かということになっていると話した時の反応だ。

「申し訳ない」

 頭を下げたのはハインだ。

「いや、いい。町のものには安心せよと言うておけ。どのみち、身体が治れば去るつもりであった」

「去るって、どこへ?」

「説明が難しい。ここではない場所じゃ」

 本当に説明が難しいらしく、ラクは片手を顔の前で振って説明を拒んだ。


「怪我をしてこの場所にいた理由を聞いてもいい?」

 町とギルドの話が一通りすんでから、気になってたことを聞いた。

「だから、どうしてタメ口叩けるんだ?」

 ハインが小声で何か言ってきた。どうして、と言われてもなぁ。

「お主もタメ口でええぞ?」

 聞こえてたらしい。ハインが首を横にぶんぶんと振って「滅相もない!」と返すと、ラクはカラカラと笑い声を上げた。

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