3/Little Angel

 いつものように仕事を終えて穴倉いえへ戻ると、黒革の分厚い鞄を大事そうに抱えた少女がいた。

シルクのような亜麻色の髪と白いワンピース。何より、こちらを見据える瞳の青さは見間違いようがなかった。


「なんで、ここに、居るんだ」


 俺がそう問うと「また会いましたね」と、少女は朗らかな表情で丁寧にお辞儀をしてみせた。

 幻覚か、夢ではないか?と真っ先に疑ってみたものの、鈴をはじいたように響く明るい声と、あの白い花のような青みのあるほのかに甘い匂いはどうしようもなく現実だった。


「いや、孤児院はどうした」

「シリウスさんに預けられてすぐ、腕章をつけたヒトたちがこれを持たせてくれて。それで色々あって、ここにお邪魔することになりました」

 そういうわけでよろしくお願いしますと、少女はにっこりと微笑んだ。


「腕章……あぁ軍部の連中か、一体どう云うつもりだ?」

「あ、そういえば」

 思い出したように、少女はバッグを床に置く。どさりと鈍く音を立てたバッグの中には、思いもよらず大金がどっさりと詰め込まれていた。


「なに?この、カネは」

「腕章のヒトたちが、貴方にこれを渡せとのことでした。先日の依頼の報酬プラス報酬の先払いだそうです」

「おい、そんなのありかよ」


 ——こうして俺と少女の、奇妙な日常が幕を開けたのだった。



 ◇



 毎日仕事を終えて帰るとあの少女がいる。ただでさえ疲れている中で、やけにしつこく引っ付いてくる少女を引き剥がすのは、何気にとても体力が要る作業だった。

 やがてそんな生活が何回か続き、いつしか俺は少女に根負けしていた。


「そう言えばシリウスさんは人間、なんですよね?」

 少女は窓に映る赤色の空を見上げながら訊いた。


「そうじゃなかったら、いったい何だっていうんだ」

「オオカミ……人間?」

「まぁ、間違ってはいないな」

 汚染されたこの世界を生きるために、意図的に肉体を改造した者がいるのが今や当たり前になりつつあるいま。俺やグリドのような生まれついてのモノはそれほど多くはないが、どちらにせよ真っ当な人としての姿をとどめている存在は残り滓程度すらいるかどうかも怪しい。

 そういう意味では今の俺たちは、という意味では人間と呼ぶのが正しいだろう。


「正直、俺から見ればお前の方が異常だ。いまはまともなカタチをしてる奴のほうが希少なんだ。

 それこそ人としてのカタチを保てている奴なんてよほど腕の立つろくでなし魔術師か、天使羽虫かのどちらかだ」


 天使、それは魔法使いが人間の信仰をもとに作り出した幻想。その名残は主たる魔法使いが姿を隠した後でも『遺物』として残っていた。

 居住区に降りてはヒトを喰らう異形のバケモノ。あるいは、魔法に魅せられた愚かモノの成れの果て。


「もしも私が天使だって言ったらどうしますか?」

 少女は俺を見て、冗談のつもりか、それとも本気なのか他人事のように呟いた。


「お前が天使だったら?当然狩るに決まっている」

「そうなんですか?」

「ああ、天使は一匹残さず狩りつくす」

「どうして、そんなに嫌いなんですか?」


 ふわりと宙を踊る亜麻色の髪。その四肢は細く、皮膚は薄くて柔い。

 その首筋に手を当ててほんの少し指先に力を入れただけでも、ぽきりと壊れてしまいそうな姿弱さ。そんな少女は幻想ユメじみて、これ以上ないほど完璧に人にみえた。


「どうして嫌いか……あいつらは、俺からすべてを奪った。それだけだ」

「そう、ですか……そうですよね」

 そう呟いて、小さくうつむいた少女の横顔は老成した魔女のような静けさと、ひどく悲しげな表情いろを含んだまま、窓から差し込む乳白色の光をじっと見据えていた。

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