非凡と善良⑭

【東条鼎】


 勝機を見て賭けに乗ったものの、時間を置いて頭に上った血が引いたところで、そう安易に事は運ばぬやもしれないと思い直した。


 俺は自分の作品に相応の自信を持っている。『相応の』と付けたのは過信も過小評価もしていないということだ。プロには届かないが、アマチュアの域にはなんとか片足を浸けているレベル、といったところか。


 並いるアマチュア作家たちと比べて俺の筆力が劣っていることは素直に認められよう。しかし一方で、アマチュア以下の書いた作品はどれも俺の作品の足元にも及ばないレベルだということは胸を張って言える。


 アマチュアか素人かの線引きは、公的な選考を突破したことがあるかどうかだと俺は勝手に解釈している。少なくとも今の文芸部員の中に、俺に勝る筆力を持った者はいない。


 ストーリーの斬新さだとかキャラクターの扱い方だとか、何かしらの一芸に特化した勝負であれば、俺の作品に勝らずとも劣らない作品を仕上げてくる奴は一人か二人いないでもない。だが、どんなに一芸が秀でていようと、『てにをは』の使い方もままならないほど文体の乱れた作品は、とても読めたものじゃない。


 小説とは突き詰めると筆力こそが絶対的なイニシアチブを握る世界だ。どれだけ最高級の食材を仕入れても、それを適切に捌けるだけの腕がなければ、全てが無為に帰すだろう。


 ストーリーやキャラクター等々の付随的な要素は、筆力が拮抗して初めて、優劣を左右する因子として勝負の土俵に上ってくるわけである。文学に関してそこそこ嗜みを持った人間に評価を委ねれば、まず間違いなく俺に軍配が挙がるだろう。


 しかし、此度、作品の出来をジャッジするのは、文学に精通した評論家ではない。推し量るにほとんどが同校の生徒、いわば活字に対する教養の浅い若年層である。彼らは多少の文体の乱れは苦にしない。むしろ形式張って教科書のごとく整頓された文章の方が、普段から読書慣れしていない彼らの目に馴染まないのではないかと危惧されるのだ。


 日常的に本を読む習慣のない人間は、三行以上の文章を目で追えないという俗説を聞いたことがある。端的な会話文だけ追っていれば話の流れが掴めるような平易な文体で綴られた作品が好まれるだろう。いわゆるライトノベルという奴だ。


 そうとわかっているなら俺もライトノベルを書けばいい、という安直な話ではない。無論書こうと思えば書けなくもないが、俺が専門とする観念的なテーマを題材にしては、重厚な物語性とポップな語り口がマッチせず、どうにも薄味の作品になってしまうのだ。


 本気でラノベを書くなら、既存の純文学作品を単に書き崩すのではなく、題材選びからプロット作成に至るまで、全ての過程をいちからやり直す必要がある。とはいえ、ラノベの素養をほとんど持ち合わせていない自分がたった一ヶ月の付け焼き刃でどうにか仕上げられるほど甘い世界でないことも承知している。


 数日犠牲にして本気でラノベを書き上げるべく、いくつかプロットを練ってみたが、やはり自分が書きたいと思える水準に達する物語を見つけることは叶わなかった。あれこれ模索しているうちに、気づけば印刷所への提出期限は三週間を切っていた。これから新たなプロットを練り上げて小説の型に仕上げるのは、どう見積もっても厳しいだろう。


 となれば、当初文集に寄稿する予定だった純文学作品で勝負に臨む他にない。だが、どう高望みしても、これがただの高校の文化祭で持て囃される作品に化けるとは到底思えないのだった。


 苦肉の策で石崎にも連絡を取り、作品を見せて現代の高校生に受けそうかどうか尋ねてみたが、案の定、うーんと首を傾げられてしまった。


「出すところに出せば、それなりの評価が見込める出来に仕上がっていると思う。しかし、読解力に難がある学生が相手だとどうだろう。ちょっと受け入れられるのに時間がかかるかもな」


 寸分の反論の余地もない、的確な意見だと思った。

 芳しくない状況だ。自分のただの思い過ごしだったならば良かったが、石崎にまでそう予見されるなら、十中八九、悪い読みは的中するだろう。


 小康路は賭けを持ちかけた時点で幾分か俺が劣勢であることは確信していたような口振りだったが、なるほど、その自信は確かな根拠に裏打ちされたものだったわけか。それも俺の作風を重々理解していたからこそ為せたことだろう。もし本当にここまで状況が見通せていたなら、あの男が一枚上手だったと素直に感服するほかない。


 心の中で白旗を挙げかけていたその時、東条、と石崎が呼びかけてきた。その声と顔色には少しだけ緊張の跡が滲んでいるように感じられた。


「勝負に勝つことだけが目的なら、一つ腹案がある」


 いつになく躊躇いがちな口調で、石崎は言った。

 話を聞いて、かつての部長の物々しい態度の訳を理解した。その腹案とやらは確かに、一端の物書きに献上するには、少しばかり勇気を奮わせる必要がある内容だった。小説を書き上げることに関して人一倍熱量があり、並外れてプライドの高い俺のような人間が相手ともなると尚更に。


 だが、俺の中に怒りの感情は微塵もなかった。それよりも、単純に面白そうだなというのが、率直に湧き上がった感想だった。

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