モノクロ探偵部

吉宮享

第1部

第1章 脅迫状

1-1.ようこそモノクロ探偵部へ

 依頼人は、扉の前で立ち止まっていた。

 彼女の目の前にあるのは、『208』と札がついた普通の教室。

 数年前まではクラスの教室として使われていたらしいが、今は少子化の影響で空き教室になっている。

 ――そしてこの教室は現在、『とある部活』の活動拠点となっている。

 彼女はその『とある部活』に用があって来た。

 しかし教室の扉をノックできずにいる。

 理由は簡単。教室の中では何やらお取込み中のようだった。


「なー、頼むから手伝ってくれよ」

「自分で何とかして。あたしだって忙しいんだから」

「いやほんと、明日の追試落ちると今度こそやべーんだよ。なんせ特別補習だぞ」

「自業自得。同情の余地なし。勉強さぼって小テスト落ちたのあんただし」

「そんな~」

「つべこべ言わずに手を動かした方が身のためよ」

「冷てーこと言うなよー。お前が教えてくれりゃ楽勝なんだからさー」


 扉の向こうから声が漏れている。

 一つは軽々しい男性の声、もう一つは聞き覚えのある女性の声。

 ともあれ、会話が終わるまでもう少し待ってみよう。


「ほら、人に教えると自分のためにもなるっつーだろ? 俺と一緒に、この計算式の迷宮ラビリンスを解き明かそうぜ。勉強しとかないと後で痛い目見るぞ」

「どの口が言うか。まさに今、あんたが痛い目見てる最中でしょ」

「それほどでも~」

「……たしかに反面教師としての説得力は随一ね」

「だろ? そう思うなら――」

「でも、あたしはちゃんと勉強してるから大丈夫。誰かさんみたいに痛い目見る前にね。だからほら、安心してよ。あたしのことは気にせず頑張ってね」

「見捨てんなー!」


 懇願する男性の声に対し、女性の声は終始、呆れた様子だった。

 でも――うん、聞いてる限り確かに自業自得だから仕方ない。


「あのさ、せめてその作業中断して、俺の話ちゃんと聞かね? さっきから受け流してばっかじゃねーか」

「……そもそもこの作業あたしに押しつけたのは誰だっけ? 『新しいチラシ作ろうぜ』って言ったくせに、その作業を全部人に放り投げたのは一体誰だっけ?」

「そんなの後でいいだろ。それより俺の勉強を――」

「ふーん。あんたのために、どんなデザインが目を惹くか考えたりして、昨日からチラシ作りに一人黙々と勤しんでいた、そんな健気なあたしの努力は『そんなの』なんだ……。へー……」


 徐々にトーンの下がる女性の声。不穏な雰囲気が、教室からにじみ出ていた。

 そしてまた、女性の声が続く。


「……うん、でも仕方ないよね。学生の本分は勉強だもんね……。よし! じゃあ頑張ってるあんたを労って、肩でも揉んであげるよ!」

「え、何? なんでそんな急にテンション高くなるの? 人間、そんな嬉々として他人の肩揉むことあるか? なんか怖ぇから遠慮しとこーかな……」

「まあまあ遠慮せずに。……それっ!」


 ――ゴリッ。

 磨り潰したような鈍い音が、依頼人の耳へ届いた。気がした。錯覚かもしれない。


「ぎゃあああああああ!」


 到底、肩揉みで発せられるような声ではなかった。


「ちょっと待て痛ぇって! お前これ労う気ないだろ! なんか肩からゴリッて音したよ!? 悪かった! 謝るからそれもうやめて!」

「う~ん。騒がしくて耳障りだからやっぱり一度こらしめよ」

「嘘だろ!?」

「嘘じゃないことくらい、あんたが一番わかってるんじゃない?」

「そりゃそうだけど――ってストップストップ! 話せばわかる!」


 誰かが椅子から荒々しく立ち上がり、駆け回る。それを誰かが追いかけ、その過程で接触した机や椅子がガタガタと動く。

 そんな様子を易々と連想させる喧噪が、教室から廊下まで響いている。

 扉を隔てた向こう側は、だんだんと物騒なことになってきていた。


 どうやらいくら待っても、教室に入るタイミングなんてできやしないようだ。

 依頼人は、ついに扉を叩く決意をした。

 一息ついてから、コンコンコン、とノックする。


「ちょい、ちょい待って! チラシは勉強やったら手伝うから!」

「手伝うも何も、発案者あんたでしょ? あと教室散らかるからあんま逃げないでよ」

「逃げるよ! 目が怖いもん! 微妙に笑顔なのがなお怖いもん!」


 喧騒は続く。

 …………。

 ドンドンドン、と強めに扉を叩く。


「あ、誰か来たみたいだな! よし、これにて一時休戦だ!」

「休戦? わかった。続きまた後でね」

「訂正! 休戦じゃなくて終戦な!」

「はいはい」


 それから数秒後。

 開かれた扉の向こうには、先ほどの声の主と思われる男子生徒と女子生徒の姿があった。

 男子生徒は依頼人の姿を確認すると、笑顔で明言した。


「ようこそ『モノクロ探偵部』へ!」


 依頼人は、本当にこの人で大丈夫だろうか、と一抹の不安を覚えた。

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