賑やかな星08

 最初は微かに揺れただけだった……なんて回想を挟む余地もないほど急激に、大地の揺れは強くなる。


「なん、だ。この揺れ……!?」


 揺れに耐えられず、継実は思わず座り込む。ミュータントとなった彼女の体幹は普通の人間の比ではない強さだ。震度七であろうと、それを凌駕する未曾有の大震災でも、二本足で悠然と立てる。

 だが襲い掛かってきた揺れは、そんな継実すらもしゃがみ込ませてしまう。もしも直下型地震の形でこの揺れが起きたなら、人間の作り出した都市など壊滅を通り越して跡形も残らないだろう。最早自然災害の規模ではない。

 ネガティブに続く厄災。いや、或いはこの揺れは惑星ネガティブが接近した事による異変ではないか。何しろ虚無の存在という、奇妙で異様な存在だ。ましてや惑星規模のサイズとなれば、近くでは物理法則がおかしな事になっていても不思議はない……

 頭の中に湧き出す疑念。しかしその疑念はすぐに取り払われる。

 花中が笑い、フィアがつまらなそうに唇を尖らせていたからだ。


「来た……!」


「ようやくですか。さっさと動けば良いものを本当にグズなんですから」


 二人は何かを知っている。ならば何を知っているのか? それを問い質したい継実だったが、揺れがあまりに激し過ぎた。口を開けばすぐに舌を噛む。噛んだところで即座に再生出来るが、噛みながらでは話なんて出来ない。

 だから何も聞けないまま、『それ』が現れるのを待つしかなかった。

 どんっ、と大きな爆音が轟く。しかしそれはかなりの遠方。近くではないにも関わらず、震動と音が伝わってくる。一体どれだけ巨大なものが現れたのかと、継実はその音の方に振り向く。

 そこにあったのは、地平線の先で雄大に伸びる巨大な柱だった。


「……ほへ?」


 思わず継実は瞬き。しかしどれだけ目を瞬かせても、見えたものは消えない。

 柱と称したが、いっそ壁と呼んだ方が正確だろうか。それは地平線の彼方にあるにも拘らず、視界内の地平線の大半を占めるほどに幅が広い。それだけでも腰が抜けるほど巨大だが、高さに至っては空高く、雲を突き抜けた遙か先……一体何処までいっているのか、先端が見えないほど伸びていた。

 そしてこれほどの大きさを誇りながら、その表面は

 色も白や灰色ではなく、鮮やかな桃色。蠢き方はさながら脈拍のように規則的であり、されど機械ほど誤差がない訳でもない。

 つまるところそれは明らかに生命体の一部だった。

 継実はこれまで、幾度となく巨大生物を見てきた。体長百メートルのフクロミツスイ、一千メートル超えの大蛇、一千五百メートルの異星金属生命体……どれも継実達の常識を凌駕してきた存在だ。

 しかし此度のこれは、ミュータントや異星人のインチキをも上回る。一体幅だけで何十キロあるというのか。高さに至っては何千キロあるのか。生命として、というより存在としての規模が違い過ぎる。

 驚きから呆けてしまう継実だったが、今度は背後から爆音が響く。まさか、と思いながら反射的に振り返れば、直感した通りそこからも巨大な肉の柱が生えてきていた。

 今度はすぐに見たからか、空高く伸びていく姿を目の当たりに出来た。途方もなく巨大でありながら、まるで小動物のように素早い動き。一体先端はどれだけの速さを出しているのか、継実には想像も付かない。

 そして先が伸びていく方角を意識すれば……肉の柱は、惑星ネガティブに向かっていた。


「(……いやいやいやいや、いやいやいやいやいや!?)」


 まさかの考えが過り、思わず否定してしまう。だがどれだけ否定しようとも、肉の柱は惑星ネガティブに向けて伸びていくのを止めようとしない。

 そして何より、同じく揺れでへたり込んでいた花中が……笑っている。大胆不敵な、成人の癖して小学生にも間違われるぐらい小さな身体に似つかわしくないほどに。

 語ってもらわなくても構わない。見せ付けられた笑顔が全ての答えである。

 この巨大な、どんなミュータントよりも非常識な肉の塊こそが、花中が待ち望んでいた『友達』なのだ。


「かか、か、花中ぁ!? あ、あ、アンタの友達、その、な、なんなのこれぇ!?」


「えへへ。自慢の、友達です!」


「友達少しは選びなさいよぉ!」


 継実がしどろもどろになりながらツッコミを入れても、花中は萎縮するどころかむしろ自慢げ。こんな肉塊すらも友達と呼ぶのは、ちょっとばかり正気度が低過ぎではないだろうか。フィアが(嫉妬心たっぷりな)鋭い眼差しで肉塊を睨む気持ちが、ほんの少し継実にも理解出来る。

 生えてきた肉塊は二本だけではない。音や震動が感知出来ない、地平線の遥か彼方にも猛烈な勢いで伸びてくる肉塊が何本も見えた。いずれも惑星ネガティブに向けて伸びていく。

 いくら数十キロの厚みがあるとはいえ、空の彼方まで伸びてしまえば肉眼でその姿を捉えるのは難しい。しかし粒子操作能力を応用し、僅かな光を分析すれば肉柱が地球の遥か上空一万キロ地点まで伸びているのが分かる。本数も数十本なんて規模ではなく、数百本は存在していた。ぐねぐねと柔軟に動く姿を見るに、肉柱というより肉触手と呼ぶ方が正確だろうか。

 惑星ネガティブは、果たしてその肉触手に気付いているのかいないのか。特段遅くなったり早くなったりした様子もなく、惑星ネガティブは地球に近付いてくる。触手の長さが一万キロもあるのだ。現在の惑星ネガティブから肉触手の先まで、たったの四万キロ……秒速十五キロで進めば僅か四十四分で過ぎ去る。

 そして継実達の飛行速度で一万キロの道を旅するのに必要な時間は、約一時間。

 宇宙へと出発するには頃合いの時間だと、継実は思った。


「有栖川さん! 出発、しましょう!」


「……! 分かった!」

 

 予測していた通り、花中が出発を促す。継実は即座に返事をし、自分達の役割を果たすべく空に飛ぶための力を溜め始めた


「継実!」


 直後に、継実は名前を呼ばれた。

 継実はすぐに振り返る。そうすれば、何十メートルも離れた先でこちらをじっと見ている……モモと目が合った。

 モモの周りでは今もネガティブ群団との戦いが繰り広げられている。油断すればネガティブに飲まれかねない中、逃げも隠れもせずに継実だけを見据えていた。そうしながらモモは大きく、胸が膨らむほどに息を吸い込み、


「帰ってきたら……いっぱい私を撫でなさいよ!」


 その空気全てを使った大声で、継実にそう伝えてきた。

 声は難なく継実の耳まで届く。だから継実も大きく息を吸い込み、満面の笑みを携えて、返事をする。


「ああ! 嫌がって離れようとするぐらい、徹底的に撫で回してやるんだから!」


 継実の声が大気を震わせる。フィアが鬱陶しそうに顔を顰めるぐらいの大声。ネガティブ達が視線を向けてきたが、そんな事はどうでも良い。

 ここで届かせなければ、約束しなかったら、きっと自分は此処に戻れない気がしたのだから。

 果たしてその声は……等と心配する必要は微塵もない。ミュータントの本気の大声となれば、例えそのための能力を持たずともちょっとした爆薬並の威力は出せる。間違いなく声はモモの下に届き、故に彼女は花よりも明るい笑顔を浮かべる事となった。


「あ! モモさんずるい! あたしもあたしもー!」


 その声はミドリにも聞こえたようで、彼女はモモとの視線の間に割って入ってくる。邪魔よ退きなさい! いいえどーきーまーせーん! ……そんな言葉が音でなく、二人の動きから伝わった。

 最後はネガティブ、とそれを追い駆ける肉食恐竜の登場で、二人纏めて逃げ出す始末。極めて何時も通りであり、しばらくは死にそうにない。

 これなら安心して空に行ける。身体に溜め込んだエネルギーも十分な水準に達した。今度こそ憂いは一つもない。

 継実と花中はタイミングを合わせて膝を曲げ、花中の背中にフィアが跳び付いた――――それを合図に、継実達は空へと飛び立つ!

 生身で空を飛んだ事は、継実としては一度や二度ではない。されどそれは移動だったり戦闘だったりでの使用で、基本的には高高度まで上がる事はなかった。空飛ぶミュータントと空中戦をしたところで勝ち目がない事も、あまり空高く飛ばなかった理由の一つである。

 しかし此度の継実は高く飛ぶ。星の外にある領域へと達するために。


「ギ、ギギャギャ……」


 高度五十キロを超えたところで、翼長五メートルはありそうな鳥が見えてくる。外観から判断するにナンキョクオオトウゾクカモメ(ちなみにトウゾクカモメ科に属す鳥でありカモメではない)が巨大化したもののようで、獰猛な顔付きと鋭い足の爪を持っている。

 近くにいるのは一個体だけだが、相手は大空で暮らす飛行戦のエキスパート。もしも襲われたなら、継実であれば簡単に殺されて雛の餌にされてしまうだろう。だが此度は花中とフィアが一緒だ。

 ナンキョクオオトウゾクカモメはこちらの実力を計り、手に負えないと考えたのか。一瞥するだけで襲い掛からず、そのまま何処かに飛び去っていった。

 襲われなくて一安心……したいところだが、南極の大空に大型生物がいた以上油断は出来ない。それに先のトウゾクカモメが最大級とは限らないのだ。もっと大きな生物がいて、こちらを虎視眈々と狙っているかも知れない。


「(もっと速く……速く……!)」


 継実がスピードを上げると、花中も一緒に飛ぶ速さを上げていく。

 更に飛ぶと大気がどんどん薄くなる。また大気分子一つ一つのエネルギーが増大し、凡そ二千度ほどの高温となっていた。

 熱圏と呼ばれる領域である。もうこの時点で普通の生物では満足な呼吸が出来ないほど大気は薄い。継実は能力を用い、体内の酸素と二酸化炭素を分解・化合してエネルギーを確保。花中も恐らく同じ方法を採用し、フィアは外観を形成する水に溜め込んだ大量の酸素でこれを耐えてる。また気圧の低下により身体の水分が急速に蒸発しようとするが、粒子操作能力を応用して水の『相』を固定化して水のままにした。降り注ぐ放射線は粒子スクリーンで弾く。

 かくして地上を飛び立ってから約三十秒で高度百キロを突破。文明が滅びた今、国際航空連盟人類文明が定めたルールに大した意味などないし、そもそも異論もある基準だが……此処から先が『宇宙空間』である。

 ついに継実は、星の外に飛び出したのだ。


「(……いやー、手からビームを撃っといて言うのも難だけど、宇宙に生身で出るとかいよいよインチキだなぁ)」


 初めての宇宙空間に適応した自分の身体に、ミュータント歴七年の継実も頬を引き攣らせる。尤も、すぐにその表情はキラキラと好奇心に染まった。

 全方位に広がる星空。

 南極では空気が澄んでいるため、星がとても綺麗に見えるもの。しかしそれでも大気が存在する以上、どうしても星の光は拡散し、滲み、本来の美しさは失われていく。

 だが此処は宇宙。空気なんてなくて、本当の星空が空を満たす。隙間なんてないと思うほど無数の星々が煌めき、継実の身体を明るく照らしてくれる。なんと美しい景色なのか。ミュータントになって『感動』なんてすっかり忘れていた継実だが……此度の景色は野性的な心すら震わせる絶景だった。

 しかしだからこそ、自分達が向かう側にある存在――――惑星ネガティブの姿がハッキリと見えるのだが。


「いよいよ、近付いてきましたね」


 不意に、花中の声が聞こえてくる。

 見惚れていた事を自覚して恥ずかしくなったのに加え、何故宇宙空間で声が聞こえるのか分からず継実は少しパニックに。しかしすぐに自分の行為が恥ずかしいものではないと、そして粒子操作能力を用いて指先を震わせ、相手の頭に触れれば骨伝導の要領で声を届けられると気付く。

 花中の指は継実のこめかみ辺りに触れていた。継実も手を伸ばし、花中のこめかみに触れながら『話す』。そうすれば継実の声も花中に届く。


「うん。といってもまだ何十分か飛ばないといけない訳だけど……」


「ええ。でも、あと数十分です」


 花中の言葉に継実は頷く。

 数十分。

 『ただの時間』と思えばちょっと長いようにも思えるが、しかしこの後に地球の命運を左右する戦いをすると思えば、あまりにも短い『猶予』だ。気負わなくて良いとは思っているが、それでもやはり継実の心の奥底、理性の部分からはじわじわと不安が込み上がる。

 逃げるように継実は惑星ネガティブから視線を反らし、背後にある地球を視界に収める。

 するとその地球では、あちこちが眩く光っているではないか。

 煌めきは一瞬だったり、長々と輝いていたり、赤かったり、黄色かったり、青かったり……光に合わせて大地に溝が出来たり、逆に盛り上がったり、大きな津波が発生したりしていた。核兵器でもなければ人類文明には到底作り出せない規模の閃光や地殻変動は、間違いなくミュータントの仕業。そうした破滅的光景と共に、地球のあちこちに黒い球ことネガティブが降下していく様子も見える。

 地球上空を飛んでいるネガティブの数は不明。確実に言えるのは、南極で継実達が出会った数など端数に過ぎないような大群だという点だけだ。世界中に降下したネガティブは、そこで出会ったミュータントと激しく戦っているに違いない。

 地球上の生き物全てが、滅びに抗っている。

 ミュータントが栄えていなければ、地球は破滅的な被害を受けていただろう。恐らく地殻内部に入り込んで、内側から虚無に還されて消滅していた筈だ。ミュータントがいるから、地球はまだ地球の形を保っているとも言えよう。

 継実もまたミュータントの一人、いや、一匹の生き物。

 所詮は責任を背負う必要はない。しかし地球に住むものとして、ここらで根性ぐらいは見せなければ、居心地が悪いというものだ。


「……良し!」


 気合いを入れ直し、継実は再び前を向く。

 そんな継実の決意を嘲笑うように、惑星ネガティブのスピードは一定だ。なんら変わらず、淡々と進むのみ。地球までの距離は刻々と縮まっていく。

 地球側から生えた無数の肉触手は、相変わらずうようよと蠢くばかり。一万キロほど先まで伸ばすつもりはないらしい。即ち待ちの態勢。

 徐々に距離を狭めていく、二つの惑星サイズの存在。あまりにも巨大な存在の激突は、果たしてどんなものになるのか?

 答えは間もなく明らかとなる。

 超越的存在同士の激突が、継実達の前で始まるのだった。

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