生物災害06
よもや、ミドリの言葉を待っていたのだろうか。或いはミドリが自らの存在を『視認』し、それを継実達に伝えるのを察知したのか?
そうとしか思えないタイミングで『そいつ』は、これまで微塵も出していなかった力を発した。
力の気配が飛んできたのは、ミドリが豪雨の理由を知るために見ていたであろう海の方。力は随分遠くから飛んできているようで、気配を感じる方角を継実が探ってみても何も見付からない。
しかし力だけは間違いなく継実の下にまで届いている。そしてその力を感じ取ったのは、当然三人の中で最も気配に疎い継実だけではなかった。
「あっ……」
モモの口から漏れ出るのは、達観に染まった声。
人間を守るためなら勝ち目のない相手にも恐れず立ち向かい、どんな危機的状況でも力を振り絞ったモモが、一瞬で諦めてしまう。そして諦めたまま思考が停止していた。こんなモモの姿、継実は一度も見た事がない。
「はふ……」
ミドリに至っては気絶した。継実では姿すら見えないほど離れた存在が発した、力の気配だけで。
一番鈍いからこそ、継実だけが我を保っていた。されどそれは、継実が揺らがぬ決意に満ちている事を意味しない。
これが何モノの発する力なのか、どのような原理の力なのか、詳しい事は全く分からない。それでも一つだけ確かな事がある。
コイツだけは何をしても駄目だ。
本能的に瞬時に感じ取ったのは、絶対的な『絶望』。目が合ったら殺されるとか、敵対したらいけないとか、機嫌を損ねないように振る舞わないととか……そんな低次元な話じゃない。抗えるかどうかなどと考えている時点で愚鈍であり、何処に逃げようかなどと怯えるのも間抜けが過ぎる。
地球上の全ての生命は、コイツのご機嫌一つで運命が決まる。
地球の裏側にいようが、宇宙に逃げようが。コイツが『その気』になれば誰もが死を免れないだろう。いや、そもそもコイツはこちらの事を認識出来るのか? 力の差があり過ぎて、何をしたところで気付いてもらえるとは思えない。人間が、バクテリアを踏んだかどうかなんて分からないように。それぐらいの力の差があるのだ。
相手の姿すら見ていないのに、継実は心から絶望した。
――――絶望するだけで済んだ。
「(ヤバい、ヤバいヤバいヤバい! 逃げなきゃ不味い!)」
継実は誰よりも鈍かった。だからモモのように思考停止するほどの達観も、ミドリのように気絶するほどの恐怖も訪れず。全身をガタガタ震わせながらも、逃げるための方法を考える。
全力で遠くに逃げる? 却下だ。アレがちょっと力を出せば、
なら全力で防御を固める? 逃げるよりは多少マシだろう。しかしマシなだけだ。例えるならミュータントになっていない人間が目前に落ちてきた水爆相手に、薄っぺらい紙一枚を盾として構えるようなもの。〇・〇一ミリぐらい生存可能な距離が伸びるかも知れないが、伸びたところでなんだというのか。
残す手は、隠れるぐらい。
「(……隠れる?)」
ふと脳裏を過ぎる手段。絶望しきった故に、パニック状態にならずに済んだ頭はそこに意識が向く。
隠れた生き物は、どうなるか?
簡単だ。その場から姿を消す。もしかしたら近くに居るかも知れないが、見えないのだから他の生物からしたらいないも同然である。そしてその時が来るまでじっとしている筈だから、その領域はさぞや静かになるに違いない。
それが出来ない動きの鈍いもの……イモムシなどは、兎にも角にも蛹になるという無茶もするだろう。しかしある程度活発に動ける生き物なら、その『隠れ場所』に向けて駆け出す筈だ。
例えば、継実達が出会ったドブネズミ達のように。
「(ネズミは何処に向かってた?)」
思い出すネズミ達の行動。そうだ、彼等は自分達が来た方に猛ダッシュしていた。だから簡単に捕まえる事が出来た。恐らくあのネズミ達の目的地は、海沿いの何処かだったのだろう。
ならば、もしかしたら――――あるのではないか。
海の近くに『安全地帯』が。
「モモ! ミドリ!」
継実が大声で呼び掛ければ、モモはハッとしたように我に返る。失神したミドリの返事はないが、継実はすぐにミドリの頬をばちんっと叩いて、その衝撃で叩き起こした。
「逃げるよ! 海側に、安全な場所がある!」
それから、断言するように告げた。
「あ、安全って何よ!? 継実だってあの馬鹿げた力を」
「説明してる暇はない! 兎に角今は、私を信じて!」
反論するモモに、なんの説明にもなっていない言葉で継実は説得する。
信じて、という言葉を使ったが、ハッキリいって確信なんてない。大体海沿いといっても広いもので、何処を目指せば良いのかも分からない有り様。
だが、ここでじっとしていても生存率は〇パーセントのまま。されど動けば、或いは〇・〇〇〇一パーセントぐらいにはなるかも知れない。
だったら、やらない理由はないのだ。
「……分かった。全部任せたわよ!」
「任せとけ、相棒!」
継実はモモと手をぶつけ合う。信頼を交わした二人は、すぐに行動を起こした。
まずモモはミドリを脇に抱えて持ち上げる。未だ事情が飲み込めていない様子のミドリだが、継実に何か考えがあるのは察したのだろう。不安げに、だけど期待するように継実を見ていたので、継実は可能な限り不遜で自信に満ちた笑みを見せ付けた。
家族を確保したらすぐに出発だ。何時何が起きるか分からない今、一時すらも遅い。
だから継実は先陣切って外へと出た。
未だ大雨が続く、夜の世界へと。
「ぐぉっ……!?」
その雨の中に当たった瞬間、継実は呻く。
ミュータントにとって、どんな土砂降りだろうと脅威にはなり得ない――――洞窟に居た時まで抱いていた信念は、叩き付けられた雨粒により粉々に砕ける。
洞窟内でぐだぐだやってた時も雨脚が強くなったと感じていたが、『力』が継実達に届いた後は更に強くなったらしい。ミュータントと化していない人間なら、恐らく一瞬で物理的に叩き潰されているほどの勢いとなっていた。金属製のヘルメットを被ろうが、防弾ジョッキで身を包もうが、この雨は容赦なく全てを貫く。雨の弾丸という表現が比喩では済まない状態だ。実際洞窟の外に広がる地面は、草に覆われている場所は無事だが、そうでない、露出した地面は打ち砕かれている。この雨が上がった時、ニューギニア島はその形を一変させているだろう。
幸い物理的威力でいえば継実に限らず、モモとミドリにとっても『致命傷』を与えるものではない。しかし身体に対し多少の負担を与え、体力を削ってくる。あまり長い時間浴び続けるのは危険だ。
それに問題は一つだけに限らない。
「継実!? 今何処! 全然見えないわ!」
雨の密度が高過ぎて先が見えないのだ。元々夜で暗いという事もあり、モモは継実を完全に見失っていた。
「(ぐっ……雨が、邪魔して……!)」
継実はモモの下に戻ろうとする。が、継実にとっても雨の所為で『視界』が狭い。それは単に光学的な意味だけでなく、能力による観測も難しくしていた。ノイズが多過ぎて、継実の能力でもモモの動きを捉える事が困難なのである。
なんとか先程の声を頼りに場所を絞り、モモの居場所を特定。傍まで駆け寄った継実は今度こそ離れないようにと、モモの手をしっかりと握り締める。モモも継実の手を握り返し、ちょっとやそっとでは離れないよう確かめた。
これで離れ離れにもならないように出来た。しかし次の問題が継実達に襲い掛かる。
「はっ、はぁっ、はっ……うっ……」
モモに抱えられているミドリが喘ぎ始めた。それも、かなり苦しそうに。
原因はすぐに分かる。雨粒が多過ぎて、周辺の大気が押し出されている状態なのだ。つまりこの辺り一帯は空気のない酸欠状態と化している。
継実も段々と息苦しさを覚えてきた。完全な無酸素ではないものの、そう長くはいられない環境なのは違いない。
雨粒が降っている全領域で空気が押し出されているため、例えばモモが傘のように体毛を展開して雨粒を避けても、空気は中に入ってこない。出来上がるのはただの真空空間だ。雨に打たれるよりはマシだが、状況は何も解決しない。
「モモ! 弱いので良いから電気を出して、雨粒を分解! 出来た酸素を私が送る!」
「任せたわ!」
そこで継実は酸素の合成を行う事にした。殺人降雨といえども、主成分が水なのは変わりない。電気を流せば酸素と水素に分離する。
継実は粒子操作能力を用い、その酸素をモモとミドリ、そして自分自身の体内に送り込む。これで呼吸は出来るようになった。
相変わらずろくに行く手は見えないが、ようやく前に進めるだけの状態にはなった。海を目指して、継実はモモの手を引きながら歩く。
しかし歩こうとすれば、雨はそれをも邪魔した。莫大な量の水が地面に撃ち付ける事で弾け飛び、その飛沫が継実を全方位から襲ってくる。ただの人間なら穴だらけになるところ、継実はこれを無傷でやり過ごすが……全身から『圧』を掛けられて、前に一歩踏み出す事すら一苦労。秒速数キロを出せる筈の歩みは、足腰を悪くした老婆のように遅々として進まない。
このままでは海に辿り着くよりも、何かが起きる方が先だろう。
「(ああクソっ。嘗めていた……!)」
モモを掴む手に一層力を込め、モモとミドリを引っ張るようにして歩きながらミドリは思う。
災害ではミュータントは殺せない。
それは今でも思っている事。実際ただの土石流や津波、火山噴火や雷程度なら、難なく生還出来ただろう。ミュータントの能力はそれほど強く、星の力をも圧倒しているのだから。
しかし此度の災害は、星の力で引き起こされたものではない。
恐らくは遥か遠方に現れ、島の生物達を恐れさせた『力』の持ち主によるもの。これが奴の能力、という事はないだろう。あの力で何かをしたなら、こんなもので済む筈がない。けれどもその力のほんの一部、漏れ出た分だけでも使えば、きっと可能だと継実は思う。
故にこの豪雨はこう呼ぶべきだ。
「(正に、『
細菌やウイルスではなく、天候を変化させる事による災禍。大雨で何もかも押し流す所業は、どこぞの宗教に出てくる『天罰』に思えてくるのも、そんな印象の一因かも知れない。
だが、決してこれは天罰ではない。
威力こそこれまでの地球では、きっと四十八億年の歴史で一度もなかったようなものだろう。しかし所詮は雨だ。継実が能力を用い、モモが電気を放てば、どうにかやり過ごせる。七年前の地球生命なら一掃出来たかも知れないが、今の自分達ならちょっと大変な豪雨でしかない。
そう、この豪雨を引き起こしているのがどんな化け物だとしても、あくまでも生物だ。神様でもなければ運命でもない。確かにこちらを巻き込む事など厭わないだろうが、狙ってくる事もあり得ない筈。
諦めるには、まだまだ早い。
雨という『イベント』を挟んだお陰か、継実は少しずつ希望を取り戻していた。勿論未だ海の方から飛んでくる力の気配は感じており、毎瞬絶望の底に叩き落とされるような感覚は味わっている。だが、慣れてしまえばその絶望感は、例えるなら台風直撃中に外へと出ているような気分で落ち着いた。危機的状況だが、生き残る可能性はあるのだ。諦めるのはまだ早い。
継実は希望という感情を原動力に、一歩前に進む度に歩みを速めていく。能力を使って雨粒の軌道をほんの少し変えれば、一気に歩きやすさが増した。一つ一つの絶望も、ちゃんと対処すればなんとかなる。
洞窟から出て一分。進んだ距離は僅か十数メートルだが、元より海沿いに位置していた洞窟だ。これだけ歩けば、海の傍まで辿り着ける。
何も見えないが、粒子操作能力を応用して継実は半径数メートルの地形を把握。海沿いの、岸壁に辿り着いた事を知った。
「(さぁて、問題は此処からだ)」
島の生き物達は何処に逃げ込んだのか。未だに分かっていない、一番大事なところを今になって継実は考える。しかしその頭は今やすっかり冴えていた。情報を高速で処理し、答えへの道筋を切り開く。
島の生き物が何処かに隠れたというのなら、そのヒントが島には残されていた筈だ。ネズミ達が海を目指していた時のように。そして継実達は一度、森に入る前に海沿いをのんびりと散策している。きっと、そこに避難場所のヒントがあったに違いない。
自分達はあそこで何に出会った? 何を見てきた? 絶望から蘇った知性は、粒子の動きをも完全な精度で予測する演算力を総動員。脳に刻まれた情報を片っ端から解析していき――――
ふと閃いた、その時である。
視界を塞いでいた雨が吹っ飛んだのは。
「……は?」
突然の事に呆気に取られてしまう継実。だが、その頭はすぐに現実へと引き戻される。
数百度はあろうかという熱風が、継実達に襲い掛かってきたのだから!
「きゃああああっ!? な、なん、なん!?」
「ぐっ……モモ! 大丈夫!?」
「なんとかね! この程度じゃ流石に問題ないわ!」
自分達の中で一番高熱に弱いモモの安否を気遣う継実だが、モモからは強気な言葉が返ってくる。
モモの耐熱性の低さは、あくまでも程度の問題だ。かつて戦ったホルスタインが放った水爆級の高熱でも、なんとか生き長らえる程度にはタフである。こんな数百度程度で倒れるなどあり得ない。
継実が不敵に笑えば、モモはにやりと笑みを返す。どちらも調子が戻ってきた。ようやく本調子といったところである。
それでも、此処から生還出来る確率はあまりにも低そうだが。
「ぁ……あ、ぁぁぁ……!」
モモに抱えられているミドリががたがたと震えている。顔はすっかり青ざめ、目には涙が浮かんでいた。
そして景色は、まるで昼間のように明るく染まる。
星空は見えない。これまでの人生で見たどんな雲よりも黒いものが、空を覆っているのだから。しかしそれでも地上は今、昼間のように眩い。
それほどまでに強い光を放っているのだ。地上、いや、海上に現れた『太陽』は。
「ついに、神様がお出ましって訳ね……!」
継実は今まで雨に遮られて見えなかった、自分の真っ正面を見据えながらぼやく。
眼前の大海原に浮かびながら太陽が如く煌々と光り輝く、巨大な大蛇に向けて……
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