第五章 南海渡航
南海渡航01
「うーみーはーひろーいーなぁーおっきぃーなぁー」
口ずさんでみる、懐かしい歌。
恐らく声に出して歌うのは小学校低学年以来の歌詞に、継実は思わず微笑んだ。こうして歌ってみると、海というものが『日本人』にとって親しみのあるものだったと強く感じられる。勿論時には津波や荒波などで多くの命も奪っている荒々しい自然でもあるが、食べ物という形でそれ以上の恵みをもたらしてくれるものだ。それに温室効果ガスである二酸化炭素の蓄積など、環境面でも海の存在は欠かせない。どれだけ酷い目に遭わされても心から憎めないのは、自分達が海に生かされていると本能的に自覚する故か。
そうした憧れや嘱望、そして親しみや畏敬の念を、幼い子供にも伝えようとしたのがこの歌なのかも知れない。
「? いきなり唸り声を出して、どうしたのですか?」
「何々? なんか威嚇しなきゃ不味い奴でもいた?」
なお、宇宙人とケダモノは先の歌声を歌とすら認識せず。特にモモは警戒音だと勘違いする有り様。
歌い手である継実は、ぷくりと頬を膨らませた。
「唸り声って言うな。歌だよ、歌」
「え。今の歌だったのですか? いや、でも歌ってもっと、こう、透き通るような……」
「ハッキリ言って良いわよ、だみ声だって。相変わらず音痴よねぇ。つか普段綺麗な声なのに、なんで歌う時だけだみ声になんのよ」
「分かってないなぁ。ビブラート利かせてんの、ビブラート。プロの歌声ってやつ」
「だからだみ声だっつってんのよ」
議論を交わせども平行線(継実視点)にしかならず、歌の良さが分からない畜生二人(継実的意見)の考えは変わらない。やはり自分こそが真の人間なのだと、継実は謎の自尊心を抱く。
尤もそんなちっぽけな自尊心は、目の前に広がる雄大な景色を見ていたら、呆気なく押し流されてしまったが。
――――地平線の彼方まで続く、一面の青さ。
朝の爽やかな日差しを受け、キラキラと水面が光り輝いている。穏やかな波が何度も押し寄せ、彼方まで続く白い砂浜を綺麗に平していく。海の家だのサメ避けネットだのという無粋な人工物は影も形もなく、何処までも自然が支配していた。
風に乗ってやってくる磯の香りはとても強く、波の音色は何時までも聞いていられるぐらい心地良い。空から聞こえてくるカモメ達の鳴き声が混ざれば、まるで天然の演奏会。風景の美しさと相まって、見る者の心を癒やしてくれる。
海。
日本の周りをぐるりと囲う雄大な自然の風景が、継実達の目の前に広がっていた。ちなみに背中側には雄大な草原が広がり、こちらも景色の美しさを見せ付けていたが、たった今そこを通り抜けたばかりの継実達の興味は向かない。今は全員、海に夢中である。
「それにしても、ようやく辿り着けたわねぇ。ここまで来るのに何度死にかけた事か」
「あはは……大トカゲ級の化け物に三度も出くわしましたからね。あの草原でも、危うくダニに血を吸い尽くされるところでしたし……もう、ほんとやだこの星」
モモはけらけらと楽しそうに笑いながら、ミドリは肩を落としながら、それぞれがこの旅の思いを言葉にする。
三日前に森を抜け出た継実達であったが、世界はまだまだ続いていた。岩場、山岳部、そして草原……様々な環境、そしてそこに暮らす多種多様な生物達が継実達を
そして三日間の旅路の果てに辿り着いたのが、この海。
この場所自体に特別なものはない。少なくとも継実からすれば、思い出も何もあったもんじゃない、初めての場所だ。しかし何度もピンチを切り抜けた先で見付けたこの地に、感慨を抱かぬ筈もない。
こんな気持ちになれただけでも、旅を始めた甲斐があったものだ。継実はそう思った。
……思ったが、継実達の旅の目的はそれじゃない。此処は終点どころか中継地点その一に過ぎず。
故にこの美しい景色の意味合いは、思考が現実に戻るのと同時に逆転する。
「……で、どうする?」
「そうですね。どうしましょうか、これ」
二人は継実の顔を見ながら、そう尋ねてくる。
継実も二人の顔をちらりと見た。別段二人は自分の意見が聞きたい訳じゃない……家族達の色々達観した表情から継実はそう思う。勿論『名案』があれば嬉しいだろうし、こちらがちゃんとした意見を出せば真面目に考えてくれるだろうが……期待していない今だからこそ、言える答えもある訳で。
「ほんと……どうしたもんかなぁ」
だから継実は、同意するようにぼやいた。
母なる大海原。恵みをもたらす文明の立役者。確かに海というのは有り難い存在である。
しかしながら今の継実にとっては、難攻不落の巨大要塞。
何しろ旅の目的地である南極へと向かうには、この大海原を『生身』で渡らねばならないのだから……
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