横たわる大森林15

 勝った。手から伝わる確かな手応えに、継実はそう確信した。

 尤も、勝利の余韻に浸る暇もなくその身体は大空へとぶっ飛び――――近くの巨木に顔面からぶつかる事となるのだが。


「ぎゃぶっ!? え、わわ、ぎゃんっ!」


 顔面の痛みで怯んでいたら、そのまま落ちて今度は背中を打つ。別にこんな程度なら今の継実には瀕死でもダメージにならないが……兎にも角にも格好悪い。


「ちょっとぉー、折角の必殺技なんだからちゃんと決めなさいよー」


 情けない姿を晒してしまった継実に、相棒であるモモの言葉と目付きは辛辣だった。


「うっ、うっさいなぁ。実戦じゃ初めてなんだから上手くいく訳ないでしょ!」


「あら、上手くはいったでしょ。アイツは仕留めたんだから」


 痛む顔を擦りながら抗議する継実だったが、モモは何処吹く風。アレを見ろとばかりに何処かを指差すのみ。

 その指先を目で追えば、継実の顔にも笑みが戻る。

 ――――頭のない大トカゲ。

 首の断面からは血、ではなく光と炎のようなものが溢れ出ている。しかも十数メートルにもなる柱が出来上がるほどの勢いで。恐らく大トカゲが自爆のために貯め込んでいたエネルギーだろうが、さながらよく振った後考えなしに蓋を開けた炭酸飲料が如し。炭酸飲料と違い、アレに触れようものなら継実の手など簡単に消し飛ぶだろうが。

 頭を失ってなおも見せ付ける生命力だが、その生命力も蓋がなければあっという間に枯れ果てる。吹き出す光と熱は徐々に弱まり、やがて尽きた。自爆寸前だった身体は力を失い、そのまま倒れ伏す。見た目は巨大な身体なのに、倒れた時に生じた振動は悲しいほど弱々しかった。

 もう、命は感じられない。

 寿命間近で産卵直後、更に小動物達の猛攻までも受けた疲弊状態とはいえ――――継実達が倒したのだ。

 旅で初めて仕留めた獲物として。


「……………や「やったあああぁーっ!」ぶぐえっ!?」


 込み上がってきた衝動のまま継実は喜ぼうとした、が、枝の上で待機していたミドリの声がそれを邪魔する。ついでに彼女は継実目掛け落ちてきたので、その膝が継実の顔面にめり込んだ。

 疲弊しきった今でもこの程度の物理的衝撃でダメージを受けるほど柔ではないが、カッコ悪い自分は想像出来たので継実は精神ダメージと苛立ちを覚える。とはいえ悪気のないミドリが抱き付いてくれば、そんな気持ちも吹っ飛んでしまうのだが。


「凄いです! あの大トカゲを一発で倒しちゃうなんて!」


「ふふーん、どうよ? 私と継実が昔考えた合体技よ!」


「合体技! 甘美な響きです……」


 興奮するミドリに、自慢げなモモが答える。宇宙人的にも合体技というのはロマンがあるらしく、ミドリは目をキラキラと輝かせていた。握り拳まで作る姿は、少女ではなく少年のよう。


「そんな凄い技、どうして今まで使わなかったのですか? フィアさんの時にこれを使えば、もっと簡単に勝てたかも知れないのに」


 だからこうして言葉にした疑問も、恐らく悪気なんて全くない素直なものなのだろう。

 実にご尤もな質問だ。されどモモと継実は黙ってしまう。互いに顔を見合い、どちらがどう説明するかアイコンタクトで確認する始末。ミドリは首を傾げて訝しむが、継実もモモも中々話し出さない。

 しかしこれは説明が難しいだとか、ましてやミドリに教えられない事があるとかという事は一切なく。

 単純に使というのが情けなくて、あまり話したくないのだ。


「……ミドリ。一つ想像して欲しいのだけど」


「? はい、なんですか継実さん」


「繰り出すのに二人が揃わないといけなくて、エネルギーのチャージやらなんやらに時間が掛かる技を、合体技を使わなきゃ倒せないような敵が見逃してくれると思う?」


「……あー」


 渋々継実が一つ尋ねてみれば、それだけでキラキラ輝いていたミドリの目が曇る。夢も希望もない現実を知った、つまらない大人の目だった。

 この合体技には色々と準備が必要である。

 まず合体技なので当然二人がある程度近くにいないと出来ないし、継実を傷付けないためにモモが送るエネルギーは少しずつにするしかないので凄く時間が掛かる。おまけに一度送り込まれた電気は使いきらないと纏った継実に襲い掛かるので、一度準備を始めたら中断が出来ない ― するなら大きなダメージを覚悟しないといけない ― 有り様。更に更に継実単身では出せないようなエネルギーを扱うので、細かな制御が出来ず直進的な攻撃にしかならない……等々欠点を挙げれば切りがない。

 故に編み出したものの実際に使えるような機会は一度も訪れず。今日この時までずっと『温存』する事となったのである。ちなみにこの必殺技を考えたのは七年前――――継実十歳の時。「自分とモモの力を合わせれば、一人じゃ勝てない相手もきっと倒せる。一足す一は二じゃなくて十にも百にもなる筈。昔読んだ漫画にそう描いてあった!」……などという子供ロジックで編み出した技だ。


「まぁ、倒せたんだから結果オーライよ。それよりも継実」


 モモは綺麗に話を纏め、ある場所を指差しながら継実を呼ぶ。

 継実も気持ちを切り替えて、モモが指し示したもの――――大トカゲと、その周りを見遣る。

 継実達が戦っている間に、小動物達と天敵達の争いも終わっていた。満足したのか天敵達の姿も見られず、僅かな小動物達がいるだけ。その生き延びた生物達は大トカゲの亡骸に群がっている。新たな獲物にみんな夢中な様子だ。

 そして一部の生き物達は、地面を掘り起こしている。中から出てきたのは白い玉こと、小さな卵。

 ネズミもヤモリもカラスもその卵の殻を叩き割り、中身を美味しく頂いていた。口周りを卵黄でべたべたにし、貪るように次々と平らげていく。

 大トカゲがどれだけの数の卵を産み落としたかは分からないが、この調子だと恐らく一個も生き残れないだろう。


「(……守りきれなかったか)」


 命を賭した行いが報われなかった大トカゲに、少なからず継実は同情する。自分達がちょっかいを出さなければ、もしかしたら孵化するまで大トカゲも体力が持ったかも知れないと思えば尚更だ。

 されどこれもまた自然界。産んだ子供が全滅なんてそう珍しい話ではない。何処かで環境に対しより適応的な個体がたくさん増えたなら、不適応な個体が同じだけたくさん死んでいる。自然のバランスというのはそうやって取れているのだ。大体襲っておいて可哀想と感じるのも、なんとも身勝手な話である。

 そんな事よりも、だ。自分達は卵よりも大きなお宝を手に入れた。感傷に浸る前に、そちらの吟味をすべきだろう。

 継実達は大トカゲの亡骸に歩み寄る。先客であるネズミ達は継実巨大生物がある程度近付くやささっと隠れるように逃げたが、あんな小さな生き物に逐一構うつもりもない。

 しゃがみ込み、継実は大トカゲをじっと見る。死してなお感じる存在感。エネルギーを使い果たし、すっからかんになるまで漏れ出てしまった身体は若干干からびているというのに、未だに『生命力』を感じさせた。今にも蘇り、失った活力を取り戻すため自分達に襲い掛かるのでは……そんな馬鹿馬鹿しい想像が脳裏を過ぎる。

 これほどの生命を口にしたら、どれほどのエネルギーが得られるのか。

 ……こんなのはオカルトだ。此処にあるのはタンパク質と水と微量元素の塊であり、成分分析を行えば数値化出来るものでしかない。それでも神秘を感じてしまうのが人間というもの。


「いただきます」


 継実は手を合わせてから感謝の一言を告げて――――大トカゲの身に直接噛み付いた。

 鱗はすっかり剥がれ、皮もボロボロになっていて硬さはない。継実が噛んだまま引っ張れば……ぶちりと音を立てて皮と肉が口の中へと入り込む。口触りは絶望的なまでにぼそぼそ。脂肪分どころか水分も殆ど感じられない。長い戦いで消耗した挙句、最後の自爆未遂で殆ど全ての栄養素を使い果たしたのだろう。

 ハッキリ言って、美味しいものではない。

 だけどタンパク質はしっかり含まれていて、継実の身体を潤していく。森の中で繰り広げた戦いにより失われた体重はみるみると回復し、自分が持ちうる最大の力が肉体に戻ってきた。

 それは生の実感。文明社会の中で忘れていた、生き物として当然の感覚。野生だからこそ味わえる命の有り様。


「……ああ、生き返る」


 これでまた命を繋げたのだと、継実は心から感じ取った。


「はぐはぐ! がつ、もぐもぐもぐもぐ」


 なお、肉食獣であるモモはそんな余韻などお構いなしに食べていたが。本当の野生はあっちであり、継実はまだまだ文化的である。


「……不味い」


 ちなみに更に文化的な宇宙人は、こんな反応だった。渋々食べている感が物凄い伝わる表情まで浮かべている。確かに美味しくないとは継実も思っていたので、その意見に批難も反対もしないが。

 それでも感動も何もない二人の反応に、継実は思いっきり顔を顰めてやった。


「アンタ達ねぇ……もうちょっと思うところとかないの?」


「? 今のうちにさっさと食べとかないと、後が大変よ」


「やっぱりあたし文明人なので……見た目とか未調理には慣れましたけど、根本的に美味しくないものはちょっと」


 苦言を呈しても二匹は考えを改めず。モモに至ってはそれ以上言う事などないとばかりに、もうトカゲ肉を食べる事に夢中だ。ミドリは一口食べて、止めてしまっている。

 しかしどちらも誤りという訳でもない。肉食獣であるモモが肉を貪り食うのは正しいし、殆ど肉体的な消耗をしていないミドリは無理にタンパク質を摂取しなくても良いだろう。むしろミドリの分を継実とモモの二人で分け合う方が合理的というもの。

 勿論継実のように、生きている事を実感しながら食べるのも良し。野生の世界だからこそ、誰に咎められるものではないのだ。

 がつがつと貪るモモの横で、継実はじっくり噛み付き、もう一口分の肉を喰らう。飲もうと思えばすぐに喉を通るものを、ゆっくり強く噛んで、ほんの僅かな肉の旨味を絞り出した。

 自分は此処で生きていける。

 旅を続けていける。

 肉の味を堪能する度に感じる命の感覚。ごくりと喉を鳴らせば、それが自分の身に馴染んだように感じられた。もう一度この感覚を体験したく、継実は三口目を頂くために口を開けた

 瞬間、ずどんっ、という音が継実の目の前で鳴る。


「……………」


 継実はぴたりと固まった。モモも同じく手を止めていて、ミドリはそそくさと後退していく。

 出来れば現実逃避をしたいが、それをすると死んでしまうのが自然界。死にたくないので、継実は小さく息を吐いた後にゆっくりと顔を上げた。

 継実の至近距離にあったのは、毛むくじゃらで真っ黒で可愛らしい顔をしたツキノワグマ(体長三メートル級)。

 そしてツキノワグマは大トカゲの亡骸の傍で、ちょこんと座っている。

 ……恐らくこのツキノワグマは、ずっと近くの茂みの中に隠れていたのだろう。継実達が大トカゲを仕留めるその時まで。圧倒的に強い力を持つツキノワグマからしたら、弱っちい継実達から獲物を奪うのが一番楽。だからそうしようとしているのだ。

 これぞ正に大自然。


「……だからさっさと食べれば良かったのに。つーか何時もそうしてるのに、なんで今日に限って感傷に浸ってる訳?」


 口いっぱいに肉を頬張るモモからの駄目出し。ぐうの音も出ないとはこの事だ。「人間なんだから人生の節目的なイベントで感傷に浸っちゃうのはしょうがないでしょ」という言葉が喉まで来ていたが、継実はぐっとそれを飲む。

 それはさておき。

 大トカゲの肉を得るため、継実達は死力を尽くした。大自然的には誰がどう頑張ったかなんて関係ないが、人間的には大事である。労力を掛けて得られたものを諦めるというのは心理的にかなりの負荷だ。諦めたくないし、諦めきれない。

 が、だからといって日本最大級の獣であるツキノワグマと戦うなんて、自殺行為以外の何ものでもない訳で。


「あ、あの……こちらの半分ほどを献上致しますので、どうかもう半分をこちらに分けていただけませんでしょうか」


 よって継実が選んだのは、ぺこぺこと人間的服従心お辞儀を見せながら交渉に乗り出す事。

 直後、ツキノワグマは大トカゲの身体にべしんと前脚を乗せた。

 交渉決裂までに掛かった時間は僅か五ミリ秒。ミュータントでなければ即答とすら認識出来ない速さだ。継実の脳は全力で理解を拒んだが。

 残念ながらツキノワグマは、分からないからといって許してくれない。


「ガァゴオアアッ!」


 力強い咆哮一発。

 それだけで継実の本能は現実を受け入れ、考えるよりも前に身体が回れ右をしてしまう。


「ご、ごめんなさぁーい!?」


 そして呆気なく逃げ出すのだ。


「ひぃーん! 二口しか食べられなかったぁ! これじゃあ全然回復なんてしてないのにぃ!」


「だから言ったじゃん、さっさと食べなって。また獲物を見付けて体力回復させないと、次の場所にも行けやしないわよ」


「あははは……あたし達、何時までこの森にいる事になるんでしょうねぇ」


 悲鳴を上げながら逃げる継実の後ろで、モモとミドリが呆れたように笑い合う。疲れたような笑みだったが、嫌がる訳でも馬鹿にする訳でもなく、心から楽しんでいる。

 無論逃げるのに必至な継実が、背後の家族に気を回す余裕なんてある筈もなし。そして逃げる事で体力を消費していく身体は、モモが言うように新たな獲物を食べねば長旅なんて出来そうにない。

 二日後に病気で弱ったイノシシを見付けるまで、継実達一行はまたしても森の中での滞在を強いられるのだった。

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