横たわる大森林10

 森の中には無数の生命がひしめいている。

 継実もそれは既に実感済み。数えきれないほどの命を支える巨大樹や、有り余るほどのフルーツだって目の当たりにしてきた。それに過酷な生存競争に適応した結果、森の生物達は隠れるのが上手い。例え気配がしなくても、近くに潜んでいる可能性は非常に高かった。

 ましてや大トカゲが産み落とした卵という、美味しくて高タンパクで安全な食べ物があるのだ。大集結もするだろうし、クマや野犬のような大型肉食獣以外の動物もやってくるだろう。

 だから、今目の前に広がる光景は何一つおかしくない。

 ――――半径十メートルの空間を埋め尽くすほどのカラスの大群や、何百ものヤモリやネズミなどの動物達が一斉に現れたとしても。


「いや、やっぱこれおかしいでしょお!?」


 等と現実逃避をしてみようとしたが、過酷な自然環境で鍛え上げられた本能は敵前逃亡を許さず。しかと現実を認識した継実は、最早範囲を絞る事も忘れて大声を上げた。

 今まで隠れていた行為を無下にする絶叫だが、既に隠れる事に意味などない。鳥も獣も隠れる事を止め、身を潜めていた場所から跳び出したのだから。

 大トカゲが今まで守っていた、卵がたっぷりあるであろう産卵場所目掛けて。


「なんでアンタがビビってんのよ! ほら、さっさと行くわよ!」


 ついでにモモも獣達と同じく、動揺はしていなかった。


「いやいや! なんでそんなに冷静なの!? 確かに他の生き物が潜んでいるとは思っていたけど、これは流石に多過ぎでしょ!」


「臭いから大体の数は分かってたし。むしろ少ないぐらいよ。三~四割ぐらいは様子見を決め込むみたいね」


「あと一・五倍ぐらいなんかいるの!?」


 モモの語る言葉に継実は気が遠退きそうになる。『この状況』そのものは予想していたが、ここまでの数は考えてもいなかったのだから。


【あわ、あわあわあわわわあわわ!?】


 ましてやこの状況すら考えてなかったらしいミドリは、脳内通信ですら慌てふためくだけだ。


「ほらー、ミドリも行くわよ。早くしないと卵、先に取られちゃうわ」


【ま、待ってください! なんですかこれ!? なんでこんな動物達が!?】


「そりゃみんな卵を狙ってるのよ、私達と同じようにね。前に話してなかったっけ?」


【話してません~!】


 情けない声を上げるミドリ。モモはすっかり話したつもりのようだが、継実が覚えている限り、ちゃんと話す事は出来ていなかったと思う。

 これが、卵を奪い取る上で最大の問題。

 同じく卵を奪おうと目論む、『ライバル』との競争だ。美味しくて栄養価満点で安全な卵を、他の動物達が狙わない筈もない。継実達が産卵に勘付いたように、他の動物達の中にも勘付いたモノがいるのは自然な事。大トカゲが産卵するタイミングを、継実達と同じようにひっそりと待っていたのだ。

 親の大トカゲは卵にさして執着しない筈。だから無闇に刺激しなければ特に問題とならないが……ライバル共は違う。ライバル共は獲物である卵を。継実達のように、或いはそれ以上に空腹で追い詰められていれば尚更だ。

 しかも果物と違い、卵の数には限りがある。恐らく死闘になるだろう。話を聞いていないミドリにそんな覚悟はないだろうが、ある程度予想していた継実は覚悟だけならしていた。

 が、こんな大群は想定外。

 想定外だったので継実の足は止まっていた。継実が動かなかったのでミドリも立ち止まったままで、モモも単独で突っ込むのは危険と感じたのか茂みからは出ない。ある意味継実達は出遅れたのだ。

 ――――端的に言えば、継実達は好運だった。様子見を『意図』して決め込んだモノ達と、結果的に同じ行動を取れたのだから。

 そうでないモノが愚かだったのではない。不運でもない。ワニガメが襲い掛かり、大トカゲが逃げ出す……それが最大の好機なのは間違いないのだから。

 しかし残念ながら此度の問題は『引っ掛け問題』だった。親の状態を見極めねばならないという、そんな引っ掛け。


「シャアァァアッ!」


 大トカゲは逃げ出さなかった。それどころか立ち上がるや、突撃してきたワニガメに甲羅の上から組み付く。巨体にのし掛かられたワニガメは僅かに動きが鈍るも、この程度の重さなど問題ないとばかりに前進。大トカゲの体躯がどれほどあろうとも、体重ではワニガメの方が上。大トカゲの身体をワニガメはずんずん押していく。

 大トカゲもこの結果は最初から分かっていただろう。そして分かっていた上でやったからには、秘策があるのは当然の事。

 大トカゲは全身の筋肉をぼこりと膨らませた。

 身体が倍の大きさになったのではないか? まるで漫画の敵キャラのような肉体の肥大化をするや、大トカゲはワニガメを更にがっちりと抱きかかえる。すると今まで前進していたワニガメは、大慌てで後退しようと足をジタバタし始めたではないか。

 しかしおかしな事に、ワニガメは後ろに下がれない。

 大トカゲが押さえ付けているのだ。卵の天敵が自ら逃げようとしているにも拘わらず。それどころか大トカゲは二本足で立ち、ワニガメを持ち上げてしまう。鋭い爪の伸びた片手でワニガメの足を掴み、

 ぶちりと、その足を引き千切る。


「カッ……ヒュ……!」


 足を千切られたワニガメは、反撃をしようとしてか頭をもたげた。しかしその頭も大トカゲは片手で掴み、ぐりんとワニガメの首を三回転。呆気なく捻じ切る。


「シャッ!」


 更には片腕に力を込めれば、ぐしゃりと甲羅に守られた身体まで砕いて潰してしまったではないか。

 これにはミドリのみならず、継実やモモも驚愕する。確かに大トカゲは五メートルの巨体を有していたが、見た目がカナヘビらしい事もあって非常にスリム。筋肉が膨張した今でも、まだまだ筋肉ダルマと呼ぶには程遠い細さだ。対するワニガメは一メートル程度ながらもガッチリとした体躯を持ち、非常に重たそうな身体付きをしていた。単純な体重差は恐らくそこまでの開きはなく、こんな一方的にやられるというのは想定外。

 大体カメのミュータントはどいつもこいつも頑強だ。頭や手足を捻じ切るだけなら兎も角甲羅を、しかもどう考えても抱え込むのに向いていない構造であるトカゲの腕で粉砕するなど、生半可な力で出来る事ではない。継実が粒子操作の応用で優れた身体能力を持つのとは訳が違う、『特別』を感じさせた。

 恐らくこれこそが大トカゲの能力。身体能力の強化か。しかしだとしても、あまりに強過ぎる。同等の体躯の相手を圧倒するなんて普通ではない。なんらかの『代償』を支払わねばここまでの力は発揮出来ない筈だ。

 或いはフィアのような例外的存在なのかも知れないが、そうだとするとワニガメや小動物達の行動が解せない。もしも大トカゲがこの森の圧倒的支配者なら、ワニガメ達は大トカゲに近付かなくなる筈だ。近付く個体は死に、近付かない個体が生き残るという、ごくシンプルな自然淘汰によって。

 一体コイツはなんなんだ――――継実が考えを巡らせる中、大トカゲはまだまだその目に怒りの炎を燃やし、全身から放つ覇気を強めていく。


「シャアアアッ!」


 そして仕留めたワニガメの身体を、空飛ぶカラス達目掛け投げ捨てた!

 まるで砲弾のように飛ぶワニガメの身体。躱しきれずに激突したカラスの一羽がバランスを崩して落ちてくる。とはいえ流石はミュータント。飛行のため脆弱な骨格となっている鳥類でも、大砲染みた衝撃で死なないどころか大した怪我もしていない。ふらふらしながらもカラスは地上に降り立った。

 直後、大トカゲが振り下ろした尾っぽの下敷きとなり、カラスは地面の染みとなったが。

 場が一瞬静まり返る。卵を狙っていた動物達が止まり、誰もが困惑した様子を見せていた。

 唯一止まらなかったのは大トカゲ。


「シュアアアアアアッ!」


 怒りに満ちた咆哮と共に、手近なところで呆けていたヤモリを殴り潰す! ぐしゃりと肉片が飛び散り、鮮血で身体が汚れても大トカゲは気にも留めない。

 近くの誰かが死んで我に返る獣達。逃げるモノも卵を狙うモノもいて、場は一瞬で混沌に満ちた。しかし大トカゲの猛攻は止まない。逃げるネズミを追い駆けて叩き潰し、飛んできたカラスを噛み殺しては吐き捨て、鋭い爪でヤモリをまとめて数匹引き裂いてバラバラに。相手がなんであろうと関係なく、口に入ったモノを食べすらしない。

 あたかも、皆殺しにしてやると言わんばかりに。


「ひぇえええっ!? と、トカゲってこんな怖い生き物なんですかぁ!?」


 最早脳内通信をする余裕すらないのか、ミドリが生の声で悲鳴を上げた。宇宙人である彼女にとって地球のトカゲは未知の生物。モンスター映画さながらの攻撃性を前にして、恐怖したに違いない。とはいえ怖いながらも、これはこういうものだと『受け入れる』事は出来ただろう。

 だが、継実は受け入れられなかった。

 七年前の世界において、トカゲといえば臆病な動物の代表格みたいなものだ。子供が捕まえようと近付けば、足音一つで素早く石垣の隙間に逃げてしまう。草原にもトカゲは棲み着いていたが、継実が知る限りどれも臆病で、ちょっと近付くだけですぐに逃げてしまう奴ばかり。

 大トカゲは身体が大きくなった事で、そうした性質が消えているのだろうか? だとしてもこの凶暴性は何かおかしい。ミュータントは文明さえ簡単に滅ぼす力を持ち、いざとなれば敵に立ち向かう闘争心の強さがある。しかしながら無闇に殺しまくるような凶暴性はない……そんな虐殺をしたところで『無意味』なのだから。無意味な事はしない方が楽というものである。

 なのにこの大トカゲは暴虐の限りを尽くす。

 卵を守るため? しかしいくらなんでもこの攻撃性は滅茶苦茶だ。まるで卵は一個も渡さないと、命を燃やしているような激しさ。人間の母親であれば子を守るためなら悪魔にもバーサーカーにもなるだろうが、コイツは子育てなんてつい最近までしてこなかった爬虫類。たかが数世代で、子供のためにここまで激烈な怒りを燃やせるようになるものか? いや、それ以前にこんな出鱈目な力を使い続けたらエネルギーがすぐ底を付く。卵を守るためにここまで必死になるのは、進化的にも不適応としか思えない。

 訳が分からない。『常識』で測れない。おまけに大トカゲは見境なく、目に付いた生き物全てを攻撃している。見付かるだけでターゲットになるのなら、此処に居る事自体が危険だ。

 こんな存在からは逃げるに限る。

 思考を目まぐるしく巡らせた継実が至った結論は、逃走。卵が惜しいなんて言っていられない。今すぐ逃げなければ卵どころか命を失いかねないのだから。


「継実! ミドリ! 行くわよ!」


 ところがモモは継実の考えと真逆の意見を述べる。

 その言葉が言い間違いでも聞き間違いでもない事は、宣言通り前へ、大トカゲの方へと歩き出したモモ自身の行動が物語っていた。

 まさかモモは錯乱しているのか? 最悪の可能性が継実の脳裏を過ぎるも、すぐにそれは違うと理解する。ただしモモの言動によってではなく、周りの生き物達の動きによってだが。

 大トカゲは今も暴れまくっている。筋肉が膨れ上がった以外の身体付きは相変わらずトカゲのままなのに、振り下ろした拳は大地を揺らし、蹴り上げた足は爆風を巻き起こす。暴力の権化としか言いようがない、不条理な力で次々と命を奪う。

 そんな危険な存在から、何故か小動物達は離れようとしない。

 それどころか後ろからこっそり近付いて手から出した謎ビームを当てたり、背中を突いたり、謎の液体を吐き付けたり……『攻撃』までしているではないか。確かに小動物達もミュータントであり、その攻撃の威力は生半可な存在になら有効だろう。だが相手もまたミュータントならば、体重差相応のダメージにしかならない。相性を加味しても、ちょっと血が滲む程度が限度の筈。

 まだ卵が諦めきれないのか――――いいや、そうではないと継実は察した。いくら卵が高栄養の食品であり、親からその卵を奪おうとする以上多少のリスクは織り込み済みとはいえ、ここまで危険な奴に突撃するのは合理的じゃない。ましてや攻撃するなんて、自分が反撃のターゲットになる危険を考えればあり得ない選択肢である。

 逆に考えれば、何かがある筈なのだ。小動物達がここまでなら命を賭けても良いと思えるだけの、何かが。


【も、モモさん!? なんでトカゲに近付くんですかぁ!?】


「この機を逃す手はないからよ!」


 困惑したのは継実だけではなく、ミドリも同じ。しかしミドリからの問いにも、モモは力強く答えた。一片の迷いもない物言いは、継実の考えを裏付ける。

 一体どういう事なのか。改めて考えてみたが、どうにも閃かない。理由が分からないが故に動けず、立ち止まってしまう。

 するとモモは足を止め、くるりと継実達の方へと振り返る。

 犬であるモモだって学習しているのだ。大トカゲを最初に追跡した時、説明が抜けていたから失敗したのだと。だから今度はちゃんと説明してくれる。

 継実のやる気の炎を一発で灯す言葉と共に。


「アイツ、寿命が近いわ! ――――仕留められる筈よ!」

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