横たわる大森林03
「ワオオオオーンッ!」
甲高い鳴き声が、真っ暗な森の中に響き渡る。
森の奥に向けて走っていた継実であったが、その足の速さは音などとっくに抜き去るもの。なのに鳴き声が聞こえたという事は、声の主は自分達の進路上に居る事を意味していた。警戒心を高めるよう、モモとミドリに視線を送る
直後、継実の腕に痛みが走った。
「――――いっ!?」
痛みに反応して振り返れば、腕には一頭の『動物』が噛み付いている。生い茂る木々の葉により森の中は夜よりも暗く、普通の人間の目では何に襲われたかの確認すら出来なかっただろう。しかし今の継実の目なら粒子の動きを捉えられる。相手の輪郭ぐらいであれば、光などなくとも丸見えだ。
薄汚れていたが間違いない。腕に噛み付いてきた動物はシェパードだ。モモのようにミュータント化し、けれども継実のような人間とは出会えなかった個体……野犬だろうか。
モモ以外の犬も継実は好きだが、相手の鬼気迫る形相からして遊んでほしい訳でないのは明確。このまま喰われて堪るものかと、継実は粒子ビームでこの畜生を吹っ飛ばそうとするが、シェパードの方が一手早い。バリバリと身体から電撃を迸らせた。
「おっと、同族にケンカを売るのは癪だけど、家族を喰わせる訳にはいかないわよ!」
その攻撃を妨げたのはモモ。
同じく電撃を操れるモモがしがみつこうとすると、シェパードは躊躇いなく継実の腕から口を放して離脱。モモの腕を回避し、遅れて継実が発射した粒子ビームも躱した。
「やるじゃない! でも三対一で勝てると思うな!」
腕の傷を即座に修復し、臨戦態勢を整える継実。思い返せば七年前、まだ幼かった頃に中国や韓国で犬食が行われているという話を聞いた事がある。当時は犬を食べるなんて可哀想だの野蛮だのと思ったものだが、喰うか喰われるかの人生経験をした今は違う。そちらがこちらを喰うつもりなら、こっちも全力で喰ってやるのみ――――
【駄目です継実さん! 逃げないと包囲されます!】
そんな意気込みは、ミドリからの脳内通信により打ち砕かれた。
「(ちっ! コイツは囮か!)」
どうやら一匹だけで襲い掛かってきたのはこちらの気を惹くため。その隙に仲間が包囲し、全方角から襲い掛かる算段らしい。
三対一で勝てると思うなと、継実は確かにそう言った。しかし恐らくこのシェパードも同じ事を思っただろう。周りには木々が乱立している事もあり、シェパードの仲間である野犬の姿は見えない。だがこのままぼうっとしていたら、あっという間に囲まれて、食い殺されるのは自分達の方だ。
ミドリの方を見れば、彼女は一点を指している。あちらが手薄、と言いたいらしい。ミドリの指示に従って継実は走り、モモも同じ方へと駆け出す。
継実達が居た場所に何十という数の電撃が撃ち込まれたのは、それから間もなくの事だった。
「ぴゃあっ!?」
「ちょっとちょっと! 今の電撃、確実に私よりも強かったわよ!?」
「と、兎に角逃げて! このまま一気に森を抜けよう!」
背後に迫る雷撃を尻目に、継実達は全力で駆ける! されど相手はモモ以上の電撃の使い手。継実達の中で一番の速さを誇るモモは電気の力で超スピードを手にしているが、それ以上の電気を生み出せる野犬達がモモより遅い筈もない。
未だ野犬達の姿は見えない。いや、見えないように木々の後ろに隠れているのか。されど継実はその存在感をしかと捉え、逃げる自分達を追ってきているとひしひしと感じていた。
その証拠とばかりに、電撃は絶え間なく飛んでくる。秒速二百キロ超えの、超速の一撃だ。継実は粒子操作で水分子を操り、モモは体毛に電気を流してこれを回避。ミドリはモモに守られ、なんとか切り抜けているが……あまり長くは持つまい。何か策を練らなければ不味い。
「(ん? あれ? 気配が消えた?)」
そう考えていた継実だったが、ふと、背後の気配が感じられなくなった事に気付く。振りきったとも思ったが、速度は野犬達の方が上である。
向こうだって腹ペコだから襲い掛かってきた筈だ。時間は掛かるかも知れないが、狩れた筈の獲物を見逃すなど、相応の理由がなければおかしい。
何があったのか。答えは間もなく明らかとなった。
ぼふんっ、と継実が突っ込んでしまった事で。
「……あっ」
「あわわわわ」
モモがしまったとばかりに声を漏らし、ミドリが明らかに動揺する。
継実は、ぶつかってしまったモノに顔を埋めたまま考えを巡らせる。
ごわごわとした毛の質感、暖かいを通り越して熱いぐらいの体温、そして毛皮の奥にある筋肉の硬さも頬で感じられた。脳はすぐにこの物体の正体を幾つかリストアップ。どれだという確信は持てないが、どれであろうとも大差ない。
今すぐ離れないと死ぬ、という意味では。
「ぐぉ!?」
継実は反射的に身を逸らした、直後、無造作に巨大な物体が迫ってくる! 物体は継実の頭があった場所を正確に捉えており、もしも仰け反るのが数瞬遅ければ、頭部への直撃は避けられなかっただろう。
付け加えると、その打撃を受け止める自信など継実にはない。
七年前であっても、人間が身の丈三メートルはあろうかという巨大なクマの一撃を受けたなら、あの世行きは確実なのだから。
「グルルルル……」
「くっ……」
獰猛な目付きで凝視してくるクマ(恐らくはツキノワグマだろう。身体は馬鹿みたいに巨大化しているが)に、継実は咄嗟に粒子ビームを撃ち込む。ビームはツキノワグマの顔面に見事命中……いや、躱されなかっただけか。継実としてもこんな攻撃で倒れるほど柔とは思っていない。あくまで命中後に起きる爆発で、目潰しをしただけだ。
だからツキノワグマが平然と、片手で眼前の煙を払うところは想定内。
想定外だったのは、ツキノワグマが片腕をこちらに向けて伸ばしてきた事。
そして伸ばされた指先に、煌々と輝く光の弾が現れ始めた事だ。
「――――は。え、まっ……!?」
本能的に理解した継実は、理性が混乱の極地にありながらも、素早く両手を構える。
ツキノワグマの指先から放たれたのは『粒子ビーム』。
継実と全く同じ技を、このツキノワグマはやり返そうとしてきたのだ! 継実は自身の能力をフル発動させて飛んできた粒子の軌道を操作。飛んできた亜光速の粒子をどうにか彼方へと吹っ飛ばすが、撃ち込まれたパワーの大きさで身体がびりびりと痺れてしまう。
「継実! 援護するわよ!」
継実のダメージを察知し、モモが前へと出る。すかさず電撃を放ち、これもまたツキノワグマは避けずに受けた。
そう、避けない。
それどころかにやりと笑ったように口許を歪めるや、ツキノワグマは全身から電撃を放った!
「嘘――――ぎゃんっ!?」
自分の攻撃を返されたかのような攻撃に、一瞬動きが止まったモモは避けられず。直撃を受けたモモは悲鳴を上げた。電気が得意技にも拘わらずダメージを受けたという事は、それだけ相手のパワーが上だった証に他ならない。
「こ、ここ、こうなったらあたしが!」
なら、もしもミドリの技を……イオンチャンネルの操作さえも倍返しされたら?
「駄目! ミドリ、ストップ!」
【ふぇっ!? え、な、なんで】
「アイツは多分受けた攻撃を上乗せして返す能力がある! ミドリの攻撃を上乗せして返されたら、本当に全滅しかねない!」
継実が語るのはある種の想像。草原に暮らしていたツキノワグマは、そんな能力など持っていなかった。しかし同じ種類の動物でも、生息環境により身体能力や機能に違いがあるのは珍しくない事。ならばツキノワグマの能力が地域によって異なっていても、なんらおかしな事ではあるまい。
自分の攻撃で家族を殺すところだったと理解したのか、ミドリの顔が一気に青ざめた。気持ちは継実にも分かる。しかし今は後悔や恐怖に震えている場合ではなかった。
攻撃を与えた時にダメージが入っているなら、倒せる可能性はゼロではない。しかしごく僅かな確率だ。倒せばたくさんの肉を得られるだろうが、家族を犠牲にしてまで欲しいほど逼迫してもいない。
なら、取るべき手段は一つ。
「全力退避ぃ!」
「りょーかーい!」
逃げの一手である。
幸いにしてツキノワグマの足は遅く、継実達に追い付く気配はない。存在感がどんどんと遠退いていく。一先ず安全なところに退避しようと、ツキノワグマから更に距離を取るべく走り続けた。
「きゃあっ!?」
その時、ミドリが悲鳴を上げる。
「ミドリ!? どうし――――」
何があったのか、すぐに状況を確かめるべく継実は後ろを振り返った。
瞬間、血の気が引く。
ミドリの下半身が地面に埋もれていた。それだけなら穴にでも落ちたのだと、笑みの一つでも浮かべられただろう。
しかしミドリの身体に群がる、無数の虫を見ればそうも言っていられない。
虫の正体は、アリだ。ミドリが落ちたのはアリの巣の直下なのか、地面からぞわぞわと、数えきれないほどの数が湧いてくる。ミドリは必死に手で払い除けようとしたが、アリ達の猛攻は止まず。
しかもアリ達は侵入者をただ撃退しようとしているのではない。噛み付き、肉を千切り……喰おうとしているのだ。
これは罠だ。アリ達が獲物を嵌め、安全に仕留めるための。
「痛い! 痛い痛い! やだ、助けて!」
ミドリが悲鳴を上げ始めて、継実は反射的にミドリの傍に駆け寄る。アリ達は新たな獲物に大喜び。地面から更に噴出し、今度は継実にも襲い掛かる。
「ミドリ! 待ってて、今助ける!」
継実は己の能力により大気分子を分解し、素粒子へと変えた後ミドリの体表面に纏わせて透明な膜を形成した。全身をすっぽりと覆う素粒子の膜は、ただ高密なだけの大気を纏うよりも隙間がなく、より頑丈で、様々なエネルギーに耐性を持ち、しかも能力の相性的に制御が容易くて省エネという優れもの。
名付けるならば粒子スクリーン。フィアとの戦いでもっとちゃんとした防御技を身に付けないといけないと思い至り、一晩で考案した技だ。継実はこれをミドリに与えたのである。
アリ達は最初、いきなり現れた防壁に戸惑ったように動きを止めた。が、すぐに攻撃を再開。それまで自由気ままに噛み付いていたのに、一匹で無理なら三匹で挑むとばかりに集合・同時攻撃を仕掛けてきた。しかも顎になんらかの能力が発動しているのか、三匹同時攻撃を受けると粒子スクリーンが不安定になる。恐らく、このままでは破られてしまうだろう。
小さな虫が新技の守りを易々と破る事に、されど継実は怯まない。この程度は想定内。元より過酷な大自然相手に、粒子スクリーン一枚で家族を守りきれるなんて欠片も思っていないのだ。
秘策は、モモ。
「モモ! 思いきりやって!」
「合点!」
相棒の名を呼べば、彼女は全てを察して行動する。体毛を擦り合わせ、生み出すのは莫大な電気。
アリ達も何をされるか察したのか、次々と離れていく。しかし逃げるモノへの容赦など、捕食者たるモモにはない。あったところで、今の世では付け込まれるだけ。
「全員纏めて、消し飛べ!」
数百ギガワット相当の電撃が、アリ達とと継実達に降り注ぐ!
アリは電気に対する耐性があまりなかったようで、電撃により次々と消し飛んでいく。対して継実とモモは、粒子スクリーンにより電撃を堪え忍んだ。
アリのような小さな生き物に、点での攻撃は不利。モモのような広域攻撃が可能な家族に任せた方が合理的なのだ。
例えその結果、自分にダメージが積み重なろうとも。
「ぐ……ぅ……」
「つ、継実さん!?」
「大丈夫……ちょっと、守りきれなかった、だけ……」
「ああもう! また無茶してる!」
蹌踉めいた継実の肩を、モモとミドリの二人で支えた。継実はへらへらも笑いながら、焼け焦げた身体の再生に力を割り振る。
流石はモモの電撃。ミドリに怪我させまいと厚めの粒子スクリーンを展開したら、自分の分が足りなくなってしまった。
モモはそれに気付いているだろうし、ミドリも勘付いているだろう。こりゃ後でお説教確定だなと思いながら、継実はモモ達と共にアリの巣を後にした。
茂みを抜けた先で、体長五メートルはあるだろう巨大トカゲと遭遇するとは、夢にも思わずに。
「(あ、こりゃ死んだわ)」
継実は死を予感した。
外観から判断するにこの大トカゲは、どうやらカナヘビが巨大化した種のようである。とはいえ五メートルもの大きさとなれば、最早恐竜のようだ。無感情な目が継実達をじっと見ている。
七年前に生息していた普通のカナヘビは、主に昆虫やクモなどを食べていた。つまり肉食性。一応果実なども食べるようだが、まさかこの巨体をフルーツだけで養っている訳があるまい。今でも食性はあまり変わらず、自分よりも小さな『動物』を好んで食べているのだろう。
この巨体なら継実達も十分に餌となる大きさだ。ハエトリグモ・野犬・ツキノワグマ・アリとの四連戦を経て疲労した今、この大トカゲに勝つ事は勿論、逃げる事も難しい。
「(いざとなったら、私が囮になるか)」
最悪の事態を想定する継実。そんな継実の考えなどお見通しとばかりに、モモとミドリは継実の腕をがっちりと掴む。
これじゃあ逃げられないなぁと、覚悟を決めた継実は大トカゲを睨み付け――――
大トカゲは鼻を鳴らすと、ぷいっと、そっぽを向いた。そしてのしのしと、継実達から離れるように歩き出す。
継実達に襲い掛かろうという気配は微塵も出さず、そのまま姿を眩ました。
「……見逃して、もらえた?」
「アイツ、もしかして……」
どうして? 偶々満腹だったとか?
疑問や可能性は次々と継実の頭の中に湧いてくる。モモは何か勘付いたようだが、それを問い詰めたり、ましてや議論しているような余裕などない。
【継実さん! あっちの木に洞があります! 此処に隠れましょう!】
ミドリが脳内へ直接信号を送り、隠れ場所を見付けたと訴える。ミドリの方へと振り向き、彼女の指差す先に立つ七十メートル級のクヌギに目を向ける。その巨木には確かに大きな洞があり、自分達三人が休むに足る大きさがあるように見えた。
継実は歩き出そうとして、けれどもがくりとへたり込む。どうやら、腰が抜けてしまったらしい。すかさずモモが継実の肩を支えて立ち上がらせる。ミドリも反対側の肩を支えてくれた。
何から何まで世話になりっぱなし。
「(まるで、七年前の時みたい)」
頭の中を過ぎった考えに、継実は乾いた笑みを浮かべる。笑う継実を見て、モモ達は訝しげな顔を浮かべたが、今は避難を優先。そのまま洞へと連れ帰る。
人間に会うために始めた大冒険。
その胸に抱いた希望と勇気は、あっという間にへし折られてしまったのだった。
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