新たな世界16
「ぐへぇ~……」
自宅であるクスノキの洞の中で、継実はぐったりと仰向けに倒れていた。頬は緩みきり、全身から力が抜けている。服を一切纏わぬ全裸故瑞々しい肢体が露わとなっているが、恥じらいなく開いた己の股ぐらをボリボリと掻く姿に色香などない。
決して広くない洞の中ではあるが、一人で使う分には四肢を広げるぐらい出来る。大の字で堕落を貪る姿はある意味文明的なのか、それとも時間に追われるという事を知らない意味では野性的なのか。
どちらにせよ、『人間』的にはあまり他者に見られたい姿ではあるまい。如何に昨日、黒い靄と死闘を繰り広げて疲弊していたとしても。
「……あの、せめて股は閉じませんか?」
しかしながらすっかり人間離れしてしまった継実は、ミドリからの理性的な忠告に聞く耳すら持たなかった。
洞の入口にてこちらを覗き込むミドリに、継実はちらりと視線を向けるだけ。顔を動かすのすら面倒だと言わんばかりに、ぐーたらし続ける。
継実は普段からぐーたらしている訳ではない。というかそんな余裕などないのが自然界。時間に追われる事はないが、食べ物探しなどで毎日忙しいものなのだから。しかしながら昨日の黒い靄との戦いで負った傷もある ― 尤も既に再生済みだが ― ため、今日は安静にした方が良いとミドリに言われたのである。
言われたのだからしっかり休もうというのに、それを窘められては困ってしまう。股を掻くのは止めた継実だが、相変わらずだらだらし続けた。
「えー……休めって言ったのはそっちじゃん」
「言いましたけど、休み方がふしだら過ぎます。もっと文明的に振る舞ってほしいです」
「難しい事を仰る」
文明なんてもうとっくに滅びてんのに。口には出さなかったものの、気持ちが表に出ていたのか。だらけるのを止めない継実に、ミドリも呆れたように肩を落とす。
「もう、なんでこの人こんな……前に調べた時、もうちょっと真面目な知的種族だと思ってたのに……この人だけなのかな……」
それからぶつぶつと、珍妙な独り言を漏らした。
「ただいまー。継実、ちゃんと休んで、いるわね」
そうしていると、今度はモモが洞の中を覗き込んだ。
ミドリは継実の世話役 ― しかしお説教は継実も望んでいないのだが ― として残っていたが、モモは朝の食べ物探しに出向いていた。そのモモが帰ってきたという事は、何か食べ物を持ってきてくれた筈。
継実は力なく手を振って挨拶兼食べ物の催促――――しかし継実のアピールを覆い隠すようにミドリはぱっと振り替えり、今度はモモに訴え始めた。
「あっ、モモさん聞いてください! 継実さんったらこんなにだらけているんですよ!」
「? 休んでるだけじゃん。何か変?」
尤も、モモは犬である。だらだらするのがお仕事みたいな生き物からすれば、継実のだらけ方など『しゃんとしている』方だろう。
ぐーたらコンビの言い分に、ミドリはしばし地団駄を踏む。無論その程度で何が変わる訳でもなく、ミドリはむすっと拗ねるように頬を膨らませた。
なんとも可愛らしい反応。
どうやら、これが彼女の素らしい。昨日と比べればいっそ無遠慮とも取れるが、継実にとってはむしろ好ましい印象だ。もう何年も『文化的』な会話をしていないので、気遣いなどされても妙にくすぐったいのである。
だとしても、昨日と今日で随分と違うような気もするが……
「あ、そうそう。今日のごはんなんだけど、シカの死体見付けたから持ってきたわよー」
「ぅげっ。内臓引っ張り出されたみたいな殺され方してるじゃないですか……しかも傷口にめっちゃ小さな生き物湧いてるし」
「小さな生き物? ああ、ウジ虫ね。そりゃ何時間か放置されていた死体なんだから、ウジぐらい湧くでしょ」
「まさかと思いますけど、それ、食べるんですか……?」
「食べるわよ、勿論」
ぎゃーっ、という分かりやすい悲鳴を上げながら、ミドリは猛烈な速さで後退り。引かれたモモはといえば、ミドリが何故逃げたのか分からないとばかりに首を傾げる。
「何ビビってんのよ。昨日はイモムシ食べたじゃない。アレと似たようなもんよ」
「全然似てないです! それに衛生的にこっちの方が明らかに悪いです!」
「んー、確かに数値的な話をすればそうだろうけど。でも今までこーいうのを食べて病気になった事もないから、平気じゃないかしら? それに結構クリーミーで美味しいわよ」
極めて人間的な意見を述べるミドリであるが、モモは訝しむように目を細めるばかり。獣である彼女からすれば、死骸の肉を食べるというのは普通の行い。何が問題なのか分かるまい。
ちなみに継実は「ミドリの言いたい事は分かるけど私は食べる」派だったり。昔はこんなもの食べるぐらいなら飢え死にしてやると思ったものだが、実際飢えてみると死ぬぐらいなら食ってやるとなり、三度も繰り返せば何も感じなくなった。所詮人間もサルの一種。死肉や丸々太った虫を食べるのは自然な行いである。
そしてごろごろ寝転んでばかりいた継実は、まだ朝ごはんを食べていない。
「私も食べるー」
もぞもぞと這うように継実が洞から出ると、モモはどーぞどーぞと腐りかけの死肉を渡そうとし、ミドリは飛び跳ねて逃げた。
「ひえぇぇぇ……もうほんとこの星やだ……怖いし汚いし、なんでたった七公転でこんな事に……」
それからぼそぼそと、怪しげな独り言をぼやく。
本人としてどんなつもりかは分からないが、継実にその言葉はバッチリ聞こえていた。モモにも聞こえているだろう。
「ほらー、食べなさいよ。汚いって言うなら一応焼くわよ?」
が、モモはまるで気にも留めず。鹿肉に電気を通し、程良く焼いてみせた。腐り肉とはいえ、焼ければそれなりに香ばしい匂いが漂う。
お腹を空かせていたであろうミドリはごくりと生唾を飲み、「ありがとうございます……」と言いながら肉を受け取る。両手で掴み、顔を顰めながらもウジと共に肉をちまちま食べる姿は大変『文明人』らしい。
野蛮人と化した継実は生の鹿肉を齧りながら、ぼんやりと考える。
……正直、薄々勘付いている。これまでの言動も考慮すれば確定的であるし、黒い靄の存在や、出会った時の反応からして、まぁそれ以外の可能性はなさそうだと思う。七年前ならその非常識な存在に驚愕するところだが、今ならどうりでこの『世界』に慣れていない訳だと納得すら出来た。
恐らく昨日しようとしていた大切な話とやらがこれなのだろう。覚悟を決めて秘密開かそうとした、が、しかし気絶してお流れに。チャンスを逃してしまった事でどうにも言い出せず、こうして必死に自分の正体を臭わせている、のかも知れない。
なら、その伏線を拾わずにいるのも可哀想だ。こういうのは放置されるのが一番辛いものである。経験はないし、同じ感性とも限らないが、継実的にはそう思った。
「ねぇ、ミドリって宇宙人なの?」
なので、さらっと触れてみる。
「そうですよー。昨日言ったじゃないですかー」
するとミドリはあっさり答えた。
答えたが、その返答は継実の予想とちょっと違う。継実は眉を顰めながら話を続けた。
「……いや、言ってないから」
「えっ。でもあたし大切な話とし、て……あれ?」
「うん。あなた私の怪我を見て気絶してたから。話す寸前に」
「……あれ?」
首を傾げ、空を仰ぎ、また首を傾げ――――そしてミドリはガタガタと震え始める。顔は一気に青くなり、瞳孔が激しく泳いでいた。
どうやら、すっかり話した気でいたらしい。気絶した結果記憶が混同したのだろう。そして話した気になっていたので、もう隠す必要なんてないとばかりにべらべら喋っていたようだ。なんともおっちょこちょいな子だとは思うが、それ以上の感想は継実にはない。
確かに彼女が人間だと思ったから継実は接触した訳だが……人間じゃないと分かったところで、離れようとは思わない。その程度の理由で離れたくなるほど、継実はミドリの事が嫌いではないのだから。
「へぇー、アンタ宇宙人だったの?」
それはモモも同じようで、まるで世間話のように尋ねる。
あまりにも呆気なく受け入れられて、ミドリも段々と落ち着きを取り戻す。継実を見て、モモを見て、それから目を伏せる。
「……はい」
今更ながら、ミドリは自分の正体を認めた。重大な秘密があまりにもヘボい形でバレた事を恥ずかしがるかのように、だけどなんだか嬉しそうに、小さな身体を丸めながら。
宇宙人。
まさかそんなものが本当にいたなんて。いや、或いは来るなんてと言うべきだろうか。漫画や映画では何度もお目に掛かったが、こうして目の前に現れるのは予想外。しかしながら過去の言動を思えば、予想外は納得に変わる。
「(そりゃ七年間どうやって生きてきたか曖昧だし出鱈目な訳だ。この星にいなかったんだから)」
黒い靄の経験不足と言い、ミドリの能天気さと言い、宇宙というのは存外平和なところらしい。彼等がこの星の生物に良いようにやられていたのも、必然と言えよう。
そして先程思っていたように、彼女が宇宙人だろうがなんだろうがどうでも良い。
「そっか。まぁ、改めてこれからよろしくね」
「はいっ! よろしくお願いします!」
継実の短くて、淡々とした一言に込められた想いは、ミドリに通じたのだろう。彼女は満面の笑みを浮かべながら、元気な返事をしてくれた。
そう、彼女が宇宙人だろうが、或いは悪魔やら妖怪やらでも構わない。共に生き、困難は助け合い、楽しく笑い合えればそれで良い。
もう彼女とは、家族なのだから。
「それにしても随分人間に近い姿してるのね。私、宇宙人ってタコ型とかグレイみたいな奴だと思っていたわ」
「そういうタイプも中にはいますよ。あたしの場合も、この身体はお借りしてるだけですし」
「借りてる?」
「はい。この星に来た時、偶々死体が落ちていたので、それを乗っ取っています」
……その家族と家族の間で、何やらとんでもない会話が交わされていたが。
死体?
乗っ取り?
どちらの言葉からも、継実には不穏なものしか感じられない。
「……なんか、とんでもない事言ってない? 死体を乗っ取るってどういう事?」
「えっとですね、あたし達は本来不定形で、アメーバみたいな微生物なんですよ。単体では知能なんてないですけど、宿主の身体に残った神経細胞の繋がりから記憶を引き出す事で知性的に振る舞えます。まぁ、結構欠落はありますけど」
「ふーん。だから日本語を話せるし、北海道とかも知っていたのね。生きてる奴も乗っ取れるの?」
「普通の生き物相手になら出来ます。やらないですけどね、倫理的に……あとあなた達は普通じゃないです。免疫が強過ぎて、免疫系の病気でもない限り撃退されちゃいますから」
「あら、私達って宇宙的に見ても案外強いのね」
ミドリの説明にモモは鼻高々。宇宙でも自分の強さが通じると分かり、
だって、そんなのは、受け入れ難いではないか。
「あの、死体を乗っ取る事に、何か思うところとかって……」
「? 思うところと言いますと?」
「いや、ほら、だって遺族とかそういう」
まるで今までと立場が逆転したかのように、継実はしどろもどろになりながら尋ねる。
最初、ミドリは首を傾げた。継実が何を言いたいのか分からないかのように。モモも継実に訝しむような視線を向けるだけで、同意はしてない様子。
やがてミドリは傾けていた首を戻し、それからとても可愛らしく、無邪気な笑みを浮かべながら――――こう答える。
「うーん、他の種族の考えはよく分からないですけど、多分良い事なんじゃないですか? だってあたし達が死体を乗っ取ると、多くのご遺族の方は喜んでくれましたし。少数ながら酷く取り乱す方もいたり、継実さんみたいな質問をぶつける方もいましたけど」
継実の笑みが凍り付くほどの、純朴な言葉によって。
継実だって分かっている。そうなるのも仕方ない、というよりそういう価値観にならざるを得ない。死体を乗っ取る事に罪悪感を感じる文化より、むしろ良い事だと思う方が『適応的』だ。そして彼女達に乗っ取られた死体の遺族は、確かに大半は喜んだ事だろう。多少欠落しているとはいえ記憶を持っているのなら、それは故人の復活に他ならない。
しかし人間的には拒否感がある。冒涜的だという想いも込み上がった。尤も同じ地球生命であるモモはと言えば、継実と違って嫌悪や恐怖の感情を微塵も見せていない。死体になったらもう生きていた時とは違う存在。だったらそれをどう使おうと別にどーでも良くない? あとミドリは良い子だし……そんなモモの心の声が継実には聞こえてくる。
全く以てモモは正しい。『非合理的』なのは継実の方だ。
「(……やっぱり、宇宙人怖い)」
つまるところ脳裏を過ぎるこの想いは、人間独自の考え方のようで。
久方ぶりに感じた人間らしい感情に気付いた継実は、家族二人がキョトンとする前で、げらげらとお腹が痛くなるぐらい笑うのだった。
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