滅びの日03

 光がある。

 たった十年の人生ではあるが、明かりがこれほどまでに嬉しいものだと、継実は始めて知った。考えるよりも先に足が動き、駆け足で光に歩み寄る。

 坂のようにそびえる瓦礫を乗り越えそうになった辺りで、ようやく「もしかしたら変な人が居るかも」という考えに至り、一旦ぴたりと止まった。とはいえ光を無視して立ち去るなんて選択肢はなく、恐る恐る、継実は瓦礫の影から顔を覗かせる。

 瓦礫の先では、ぱちぱちと音を鳴らす火が燃え盛っていた。

 偶然の地形なのか、瓦礫の山が四方を囲い、すり鉢状の地形が出来ている。火があるのはその地形の中央部分だ。瓦礫の山にある廃材を折って作ったのか、数本の『薪』の中心で燃えている。所謂焚き火だ。あまり大きな火ではないが、しかし消えそうな気配は微塵もない。間違いなく人の手により付けられ、そして火力が維持されている。

 ならば。

 その焚き火の傍で動かない痩せた人影は、きっと生きている人なのだ。


「あ、あの! す、すみません!」


 継実は、思いきって人影に声を掛けてみた。

 変な人かも知れないという考えは未だにあるため、瓦礫の影に身を隠したまま。しかしそれでも頭だけは出しているので、焚き火の傍にある人影の動きはよく見えた。

 人影はくるりと、継実の方に振り返る。

 それは三十か四十ぐらいの男だった。頬が痩けており、目を大きく見開いている。こちらを見て驚いたのだろうか、少しだけ身動ぎした。


「……驚いた。生きている人がいたのか」


 次いでぽつりと、心底嬉しそうな声で独りごちる。

 継実も同じ気持ちだった。


「は、はい……あの、ほ、他に人は、いますか……?」


「いや、俺だけだ……十月とはいえ夜になれば冷える。そんなところにいないで、火に当たらないか」


 こちらに来るよう促され、継実は一瞬身を強張らせる。知らない男の人の近くに寄るのは、年頃の女子として避けたいところ。


「飲み物はないが食べ物はある。一緒に食べよう」


 その警戒心も、串に刺さった肉の塊を見せ付けられたら、瞬時に吹っ飛んでしまったが。

 継実はわたわたと瓦礫の山を乗り越え、慎重に下りながら、男の下に向かった。男は継実が来るまで殆ど動かず、降りてきた継実が立ち上がってから、その手に持っていた串を手渡す。継実はぺこぺことお辞儀をしながら、その串を受け取った。

 彼が食べるつもりだったのか、串に刺さっている肉は既に十分火が通っていた。漂う湯気と共に、肉の香りが継実の鼻をくすぐる。今まで感じた事もないような勢いで涎が溢れ、継実は堪らずその肉に食らい付く。

 涙が零れた。

 味を楽しむとか、香りを堪能する前に、ぼろぼろと泣いてしまう。考えるよりも前に肉を頬張り、噛み締め、飲み込んだ。ただただそれを繰り返す。


「ぅ、うう……ううぅ……!」


「慌てなくて良い。まだまだたくさんあるが、焼いていないからな。ゆっくりと味わえ」


 男は優しい言葉で宥めながら、生肉の刺さった串を焚き火の前に立てていく。継実はこくこくと頷いて、だけど身体は言う事を聞いてくれない。沸き立つ食欲が抑えきれず、無我夢中で食べてしまう。串一本の肉をぺろりと平らげ、焼き上がる傍から食べ尽くす。

 空腹なんて、最初の一本を食べ終えた時にはすっかり癒えていた。そもそも飢えたといっても、精々夕食を抜いた程度。年頃の女子ならダイエットと称して気紛れにやる程度のものでしかない。

 継実が肉を食べ続けたのは、その度に自分が生きているの感じられたから。

 もう食べられないと思うまで、継実の夕食は終わらなかった……






「あ、あの、ごめんなさい。私、好き勝手に食べちゃって……」


「気にしなくて良い。俺はもう、自分の分は食べ終えていたからな。小腹が空いたからもう一本食べようかと思っていただけだ」


 一通り食べ尽くして、満腹感に満たされた継実は自分の行いを恥じる。顔を真っ赤にして謝る継実に男は優しい言葉を掛けてくれて、継実はますます頬を赤くした。


「あ、あの、このお肉は、なんのお肉なのでしょうか? 食べた事のない味でした」


「……実は俺もよく知らないんだ。食べ物を探して瓦礫を漁っていたら、偶々見付けたものなんだ。得体の知れないものを食べさせてしまい、申し訳ない」


「い、いえ、気にしないでください」


 恥ずかしさから話題を逸らそうとしたところ、今度は謝られる側になってしまう。どうにもやっている事が空回りしている気がして、継実は口を噤んだ。

 ……そうすると今度は沈黙が流れ、酷く居たたまれない気持ちになる。

 十歳という年頃らしくお喋りはそれなりに好きな継実であるが、それは相手が同年代だからこそ。自分の倍以上年上の人と気楽に話せるほど、継実は社交的ではなかった。やっぱり何か話した方が良いのかとも思ったが、しかし一度立ち止まると半端に冷静なものだから、先の二度の失敗がちらちらと脳裏を過ぎる。羹に懲りて膾を吹く、とは少し違うだろうが、どうにも踏ん切りが付かくなってしまう。


「……今は一人なのか?」


 男の方から話題を出してくれなければ、もうしばらく継実は沈黙の中で悶えていただろう。


「あ、はい。えと、一人です」


「家族はどうした。はぐれたのか」


「……死にました」


「……そうか。すまない」


 謝る男に継実は「気にしないでください」と伝える。

 実際、継実はそれほど両親の死を気にしていない。完全に吹っ切れた訳ではないが、不思議と悲しみや悔しさ、そしてムスペルに対する憎しみは感じていなかった。あんなにも惨たらしい『殺され方』をしていたというのに。

 自分は親の死に涙しないような冷酷な人間だったのか、或いは肉親が死んだという事実を未だ受け止めきれていないのか。自分の心なのによく分からなくて、それが無性に――――気持ち悪い。


「あ、あの、あなたは、はぐれた家族とか、いないのですか」


 自分自身に感じてしまったものを誤魔化すように、継実は男に自分が訊かれたのと同じものを問う。

 後になって、自分と同じ境遇かも知れないじゃないかと気付いて狼狽える継実だったが、男は小さな笑みを浮かべた。


「元々独り身だ。こっちには仕事で来ていて、両親や親戚はいない。友人も……近くにはいないな」


「そう、なのですか」


「まぁ、友人は兎も角、親戚については田舎暮らしだ。地震ぐらいなら逃げ延びて、なんとかしてるだろう」


 優しい口調で語られたその言葉が、本当なのか、それとも継実に気遣いさせないための嘘なのか。継実には分からない。

 ただ、多分彼は優しい人なのだという気がした。

 その予感が正しいという確証もないが、しかし他者を信じるのにわざわざ確証なんてものは求めない。当初抱いていた警戒心を解き、継実の顔にしばらくぶりの笑みが戻る。

 そして信用と共に、これまでの恩に報いたいという気持ちも込み上がってきた。

 別段継実はそこまで義理や人情を大事にしてきた訳ではないが、一宿一飯の恩という言葉ぐらいは知っている。食事を分け与えてくれたのだから、そのお礼をしたいというのは人として普遍的な想いだろう。


「あ、あの。私、色々してもらってばかりで……何か出来る事がありましたら、遠慮なく言ってください。微力ながらお手伝いします」


 継実は自らの想いを言葉にし、男に伝える。

 男は一瞬目をパチクリさせ、それから考え込むように腕を組みながら空を仰いだ。とはいえその仕草はどうにも演技臭くて、最初から答えは決まっている様子。

 手伝ってほしい事があるなら手伝うし、ないなら、何時か恩を返そう。そう考えながら継実は男の答えを待ち、


「じゃあ、身体で支払ってもらおうか」


 男は、そう答えた。

 ――――訳が分からなかった。

 このフレーズを聞いた事がないという訳ではないし、仮になくとも考えれば意味ぐらいは理解出来ただろう。しかし継実は今、男の事をすっかり信用していた。そんな人ではないと考え、頭の中から可能性をすっかり消し去っていた。

 故に、理解すれば全力で逃げ出すところで身動き一つ出来ず。

 跳び付いてきた男の力を受け止める事も出来ず、押し倒されてしまうのだった。

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