【短編】おバカ探偵を救いたい! ~かつての名探偵が落ちぶれてしまったので助手の僕が頑張ることにしました~

ゆ♨

第1話


「犯人はこの中にいる」


 犯行現場となったリビングで彼女がそう言い放った瞬間、穏やかな秋日に似つかわしくない緊張がその場を支配した。

 ドラマや映画で使い古されたこの言葉も、これまで数多の難事件を解決してきた彼女――名探偵・神津恭子にかかれば、推理を披露する前の常套句へと変貌を遂げる。


「被害者の女性はご覧の通り、背後から包丁で一突きにされています。――松下君」


 慣れた様子で被疑者の3人に向けてうつ伏せの刺殺体を改めて確認させると、彼女はボブカットの黒髪とセーラー服を翻して僕の名前を呼んだ。

 僕はこれからの推理の展開を知らされていなかったので、一瞬なんで呼ばれたのか首を傾げそうになったが、話の流れからして凶器のことだろうと察し、慌てて鑑識の人から包丁の入った証拠品袋をもらってくる。事件現場で動き回るのは助手の役目だ。


「ほら、早くして。松下君」

「す、すいません。恭子さん」


 僕は慎重かつできるだけ素早く恭子さんに袋を差し出す。

 恭子さんはそれをどこか不満げな表情で受け取った。


「もう学校終わったんだし、わざわざ『さん』づけしなくてもいいのに」

「いえ、一応先輩なので」

「一応は余計だ」


 足を踏まれる。しかし、スカートから伸びる足は細く、威力としては心もとない。

 確かに恭子さんは僕より頭一つ分くらい小さいし、先輩としての威厳はあまり感じられないけど、さすがに同じ高校の先輩後輩の間柄なわけだし、日ごろから最低限の経緯は払っておくべきだろう。


「それより恭子さん。久しぶりの推理ですけど……大丈夫ですか?」

「大丈夫って、なにが?」

「いやほら、恭子さん退院明けですし、あんまり無理しない方が」

「ああ、そのことなら心配ご無用だよ。今日も朝ごはん三杯おかわりしてきたから」

「すごい。全然ご無用だとは思えない」


 僕はこの時、言い知れぬ不安を感じていた。

以前の恭子さんからは感じることはなかったであろう、胸のざわめき。外れたネジが収まる場所を探してカランコロンと彷徨っているような、どこか危うげな印象を覚える。心配だ。

 そして、悲しきかな、助手のこういった懸念は名探偵の推理並みに的中するものである。


「証拠品として押収されたこの凶器ですが、1つ不可解な点があります」


 心配する俺をよそに、恭子さんは推理を始める。透き通るような声音には一切の迷いがない。


「この包丁、剣先から覗くと刃角がやや左に寄っていることが分かります。ふつう、市販されている包丁は、右利きの人が利用することを想定して刃角を右に寄せて作ってあります。つまり、凶器となったこの包丁は左利き用なのです。被害者の男性は右利きですから、この包丁を普段から使っていたとは考えにくい。よって、凶器は犯人が持参した可能性が高く、左利きの人間による犯行であると推測できます」


 現場に残された証拠を手掛かりに、犯人像を組み立てていく。

 恭子さんは凶器の入った袋を後ろ手に持ちながら、死体の周りをゆっくりと巡る。

 蠱惑的に開かれた黒い瞳は犯人の輪郭を捉え、床を滑る軽やかな足取りは着実に真相へと迫っている――と思われた。


「次に、刺し傷についてですが、被害者の背中から腹部の中ほどにかけて斜め上方向に伸びています。下から突き上げるようにして刺しているのです。つまり、犯人は被害者よりも背の低い人物――被害者の身長は180cmそこそこといったところでしょうから――刺し傷の位置と方向から計算して、犯人の背丈はおおよそ150cm前後と目安がつきます」


 恭子さんがそう言った途端、張り詰めていたはずの空気が一転して――弛緩した。

いや、これは弛緩というより……呆気にとられているといった方が正しかった。


「「「…………!?」」」


さっきまで恭子さんの推理に聞き入っていた被疑者たちは、一様にして口をポカンと半開きにさせている

 かく言う僕も、『え?』と顔面に大きな疑問符を浮かべざるを得なかった。

 恭子さんは、いったい何を言っているんだ!?

 しかし、当の恭子さんは完全に自分の世界に入り込んでしまっているようで、場の異変に気付くことなく、得意顔で続きを語る。


「加えて、傷の深さが刃渡り14 cmの包丁に対して7~8 cmとやや浅いことから、歯を深く刺し込めない非力な人物、女性による犯行とみて間違いないでしょう。左利きで、身長150 cm前後の女性……ということは」


 やばいやばいやばいやばい。なんかもう推理のまとめに入ろうとしている!

 これは、助手として止めたほうが良いのだろうか……。

 とかなんとか考えている内に、恭子さんは左手を高々と掲げ、人差し指をピンと天井へ伸ばす。

 名探偵にしか許されない、推理の最後を飾る、あの決め台詞を言い放つために。


「犯人は――」


 もう止められない。

 恭子さんは狙いを定めるべく、被疑者たちに向き直った。

 そして案の定、固まった。

 天に向けられた恭子さんの人差し指はなかなか地上へと降りてこない。


「はん、にんは……」


 自信に満ちていた表情から急速に余裕が失われていく。小さな額は傍から見てもわかるほどの大粒の汗で滲んでいた。

 それもそのはず。

 なぜなら被疑者は全員、大柄の男性。


 150cm1からだ……。


「きょ、恭子さん……?」


 石化したように固まったままの恭子さんに話しかけようとして、僕はふと、現場の中でただ一人、恭子さんの推理と合致する人物がいることに気づく。

 箸も鉛筆も左利き、身長155cmの、大和撫子を体現したかのような美貌を持つ女性が今まさに僕の目の前にいるではないか。

 恭子さんもはっと何か思い出したように自分の姿を回し見る。

 そして、恭子さんはキョロキョロと辺りを見渡して、該当する人物が他にいないことを確かめると。

降ろした人差し指を自分に向け、解決とは程遠い苦み走った表情で、決め台詞の最後を締めた。


「犯人は、わたし……?」


 この日、1人の名探偵が死んだ。

 名探偵自滅推理事件。

 後にそう名付けられたこの日の出来事をもって、名探偵・神津恭子は女子高生・神津恭子へと還ったのだった。



◆◆◆◆



「おはよう、松下君」

「おはようございます。恭子さん」

「今日から私は3年生。とうとうラストJKの年になってしまった。ああ、松下君の若さが羨ましい」


 春。桜の季節。桃色で彩られた通学路を2人並んで歩く。

 春三番くらいの緩やかな風に乗って、恭子さんの艶やかな黒髪が揺れた。

 拗ねたような表情は、口調の落ち着き具合とは裏腹に、どこか幼げに映る。


「羨ましいって……、1つしか違わないじゃないですか」

「1つ違うだけで状況は激変するんだよ。それこそ推理小説のトリックのように」

「トリックって……すぐそうやってそっちの話に持っていこうとする」

「突然だけど、私たちの前を歩くウチの女子生徒――カバンの真新しさから見るにおそらく新入生だろう――あの子が何の部活に入ろうとしているか予想し合おうじゃないか」

「本当に突然ですね!?」


 恭子さんは推理という言葉を聞くとすぐこうなる。

 まったく、推理好きな性格には困ったものだ。なんせ自分で言って自分で反応しちゃうくらいなんだから。

 別にこれは事件でもなんでもないから推理し合うくらいどうってことないんだけど、変な気を起こされても困るので、元助手として一応釘を刺しておく。


「もう推理はしないんじゃなかったんですか?」

「こ、これは推理じゃなくてゲーム。当てっこゲームだよ」

「可愛く言い換えたって無駄です」

「そんな……可愛いだなんて照れるな」

「誉め言葉を捏造しないでください」


 否定はしたものの、火照った顔を冷やすように頬に手を当てる恭子さんの仕草は、年相応の女の子という感じで可愛かった。


「それで? 松下君はどう思う?」


 恭子さんが視線を前に向けたまま聞いてくる。

 やる流れになってしまったらしい。


「どう思うって言われても……」


 僕は仕方なしに、前方の女子生徒を見やる。

 我が校の紺色のブレザーに身を包んだ、茶色がかった長い頭髪の女の子。

 バックにキーホルダーがぶら下がっていたり、手首にシュシュをつけていたりと、普通の女子高生然としていて特に目立った要素はない。気になるのはスカートが短いことぐらいだ。けしからん。

 そもそも後ろ姿だけで部活を、しかもこれから入部する予定の部活を当てることなんてできっこないだろう。


「しょうがないなぁ~。なら、運動部か文化部かだけでも当ててみてよ」


 う~んと唸っていると、恭子さんがそう言ってきた。余裕の表情の裏には確かな自信が窺える。もしや、もう答えに辿り着いているっていうのか。

 しかしまあ、運動部か文化部かの2択なら、推理素人の僕でも何とかなりそうだ。


「そうですね……。じゃあ運動部で」

「その心は?」

「彼女の足を見てください。全体的に肉付きのいい足をしています。張りのある太ももに、引き締まったふくらはぎ。あの健康的なラインを文化部でくすぶらせるなんてもったいない。よって、答えは運動部です」

「『もったいない』って……。松下君。最後を主観で締めるって、キミは推理の『す』の字も知らないんじゃないの? あと、そういういやらしい視線で女子を観察するのはキモいからやめた方が良いと思う。女子受けが……ひいては私受けが悪くなるから」


 そう言って、恭子さんは僕から少し距離をとった。


「キモッ!? きょ、恭子さんがゲームしようって言ったから頑張って僕なりに推理したのに!」

「君のは推理じゃない」

「じゃあ恭子さんが本当の推理ってやつを見せてくださいよ」


 そう言ってから僕は自分の犯した過ちに気づいた。恭子さんの目が怪しく光ったからだ。


「ふふふ、いいでしょう。私は推理するつもりはなかったけど、元助手からゴーサインが出てしまっては仕方ないからね」

「あっ、ずるい!」


 最初から僕を誘導するのが目的だったのか。

 恭子さんは僕が咎めても意に介さず、滔々と語り始める。


「松下君は足のラインがどうとか言っていたけど、それだけで運動部であると決定づけるのは早計だよ。イマドキの女子高生は美脚獲得のためならジョギングでもフィットネスでもなんだってするからね。だからあれくらい普通だ。……それに、私だってボディラインには結構自信があるんだよ?」

「何と張り合っているんですか」


 着痩せするタイプなのは認めるけど。


「どいうことは、恭子さんの推理では文化部ってことですか?」

「いかにもだよ」

「その根拠は? 正直、あの後ろ姿だけじゃ判断材料に乏しい気がしますけど」

「簡単なことだよ、松下君。ヒントはあの娘が身につけているキーホルダーとシュシュさ」

「キーホルダーとシュシュ?」

「そう。まずはあのキーホルダー。あれが何のキャラかわかるかい?」


 恭子さんに言われてもう一度キーホルダーに目を向けてみる。

 アニメのキャラクターだろうか。二足歩行の目つきの悪いネコが、針を通した毛糸のボールをハンマーみたいに振り回している。全然可愛くない。


「いや、わからないです」

「あれは、悪(体育会系)を滅ぼす正義のヒーロー『文化戦隊ゴニャンジャー』の手芸部担当、ウールハンマーのタマだよ」


 なんだそれは。


「そして、私が持っているのが、マタタビ・ディテクティブのクロ。タマの仲間。推理部担当」


 恭子さんはバックを漁ると、中からハンチング帽を被りパイプをくゆらせたニヒル顔の黒猫ストラップを取り出して僕に見せてきた。

 なんで持ってる。あと、推理部ってなんだ。


「まさか、彼女がその、文化戦隊?のストラップをつけているから、文化部ってことですか? だとしたら僕の推理と大して変わらな」

「もちろん、それだけじゃないよ。あのシュシュを見て」


 食い気味に僕の言葉を遮ると、恭子さんは女子生徒の手首を指さす。

 チェック柄のシュシュが躍っている。別に何の変哲もないただの飾りだ。


「あれがなにか?」

「あれは手製のシュシュなんだよ」

「え、手製? どうしてそんなことがわかるんです?」

「あの柄に見覚えはない?」

「見覚え? ……あっ!」


 思わず少し大きめの声を上げてしまう。


「気づいた? あのシュシュの柄は、我が校の制服のスカートと一緒なんだよ」


 恭子さんの言う通り、女子生徒のシュシュとスカートはまるでペアセットのように同じ柄をしていた。ウチの高校はなぜか制服に力を入れている。なんでも有名なデザイナーが手掛けているそうで、制服目当てで受験しに来る学生もいるとか。確かに、そんな無駄にオリジナリティーのある制服と全く同じ柄のシュシュというのは簡単には見つからないだろう。


「そして、彼女がその布地をどこから調達したのかというと」

「自分のスカートからってわけですね」

「その通り。彼女の足をジロジロ眺めていたからすぐわかったみたいだね」

「変な言いがかりはよしてください」


 見ていたことは否定しないけれど、それは推理するためでやましい気持ちは一切ない。断じて。


「彼女は裾上げをする際に切り取ったスカートの布地を、シュシュとして再利用したんだろうね。あれ、簡単に見えてけっこう難しいんだよ」


 恭子さんが感心したように頷く。

 恭子さんも手芸やってたりするのかな。ちょっと見てみたいかも。


「ゴニャンジャーのタマのストラップに手製のシュシュ……これはもう、手芸部に入部すると宣言しているに等しい!」


 ドドンという効果音が出てきそうな勢いで言い放つ。

 いや、でも……。

 勝ちを確信しているところ悪いけど、この推理――じゃなかった当てっこゲームには1つ大きな欠陥があった。


「恭子さんの推理は分かりましたけど、肝心の答えがわからないんじゃ意味ないですよね」


 僕たちが後ろであーだこーだ言ってても、実際のところ彼女がどの部活に入るかなんて知る由もない。


「そんなの本人に聞けばいいじゃない」

「あっ、ちょっと!」


 言うが早いか、恭子さんは前方を歩く女子生徒に歩み寄ると、「キミ、ちょっといいかな」ポンと優しく肩を叩いた。

 急に後ろから声をかけられた女子生徒は、何ごとかとビクッと体を震わせて振り向く。

 不躾な恭子さんが全面的に悪いけど、少し大げさなリアクションだなと思った。

 ロングヘアーがよく似合う、目鼻立ちのくっきりした顔立ちの女子生徒だった。さぞ華やかなモテモテ高校生活を謳歌することだろう。


「な、なんですか……?」


 しかし、彼女は顔に似合わず暗い表情をしている。これから高校生活が始まるというのに。

 不審者だと思われているのかもしれない。制服着ていてもこういう変な人(恭子さん)っているからね。


「急に尋ねて申し訳ない。今、私と松下君の2人でキミが何の部活に入るのかを推理しててね」

「恭子さん! もうちょっとオブラートに包んで」

「因みに、この隣にいる男はキミの太ももが――モグォッ!?」


 瞬時に恭子さんの口を塞ぐ。危うく本当の不審者になるところだった。


「あ、あの……」


 女子生徒が不安げな眼差しでこちらを見ている。


「あ、ごめんね。この人のことは気にしないでいいから」

「は、はあ」


 立ち去ろうとする女子生徒。と、恭子さんがモガモガ暴れて僕の拘束を解く。


「ぷはっ! ちょ、ちょっと待って、せめて答えだけでも教えて!」


 どうしても自分の推理が正しいのかどうか知りたいご様子。

恭子さんのよくわからない熱意に押されたのか、女子生徒は引き気味ながらもコクリと頷いた。

 さあ、正解は……!?


「私、部活に入る予定はないです……」


 まさかの帰宅部志望だった。


「なん、だと……」


 予期せぬ回答に啞然とする恭子さん。


「ほら、必殺技が効かなかった時の主人公みたいな声出してないでさっさと行きますよ。ほんとごめんね、この人が訳の分からないこと言って。え~と……」

「あ、水島真理です。1年生です」

「僕は2年の松下研。で、こっちにいる人が3年の神津恭子さん」

「神津、恭子……」


 うなだれる恭子さんを訝しげに見つめ、思案顔で反芻する水島さん。要注意人物としてマークされたのかもしれない。


「まだだ……」


 で、その要注意人物はというと、何かまた訳の分からないことを言い出した。


「水島さんと言ったね。……キミ、推理に興味はないかな!? 今なら私が所属するミステリー研究会の第3助手のポジションが空いてるから、ぜひ!」


 水島さんの手を取り、顔をこれでもかと近づけて妄言を吐く。


「何勝手なこと言ってるんですか!?」

「もし水島さんがミステリー研究会に入部すれば、文化部に入るという点では私の推理が正しいことになるからね。さあ、水島さん! 私たちと一緒に青春の謎を解き明かそう!」


 恭子さん、それは推理じゃなくて勧誘だと思います。

 うろたえる水島さん。僕は慌てて黒猫でも引き剥がすみたいに恭子さんを遠ざけた。

 季節は変われど、人は変わらず。

 恭子さんは相変わらず推理が好き。

 けれどそれは以前、名探偵と呼ばれていた頃の本質からはかけ離れ、『好きこそものの上手なれ』から『下手の横好き』へと確かな変化を遂げていた。



◆◆◆◆



――恭子さんは名探偵だった。

 彼女が一躍時の人となったのは、高校1年生の時。

 迷宮入りかと思われた殺人事件を警察の協力なしに独自の推理で解決へと導いたことが話題となり、各所メディアがこぞって『女子高生探偵誕生!』と取り上げたのが全ての始まりだった。

 加えて、長い黒髪にアイドル顔負けの美貌という、メディア受けするルックスの良さも相まって、恭子さんが事件を解決するたびにその活躍ぶりが大きく取り上げられた。バラエティやクイズ番組にも引っ張りだこ、ゲストとしてではあるがドラマ出演まで果たすほどの人気だった。

 そんな人生の絶頂を極めるさなか、恭子さんはある事件に巻き込まれる。

 それは、当時の彼女にとってはなんて事のない、ただの連続殺人事件だった。

 そのはずだった。

 彼女はその頭脳を駆使して、一つ一つ謎を解き明かしていく。

 時には警察関係者と協力して、またある時には組織に属さない身軽さを武器に独自の調査を行って。

 そして、聡明な彼女は、この一連の事件にある団体が関与していることに、誰よりも早く気づいてしまう。

 人神会――。

 人の手で神を創り出すことを目的とするカルト教団。その教団が、信者を扇動して犯罪行為を行わせているというのだ。

 恐れ知らずの恭子さんは助手とともに、事件解決の糸口を掴むため人神会に密かに探りを入れる。

 待ち受けていたのは、最悪の結末だった。

 彼女たちは調査の最中に何者かに襲われる。おそらくは人神会の信者による犯行だろう。

 恭子さんは頭部に激しい傷を負った状態で発見される。何とか一命はとりとめたものの、記憶障害に伴う思考能力の低下という、名探偵としては致命傷となる後遺症が残った。

 そして、彼女の助手にして、僕の兄――松下功の行方は未だわかっていない――……。


「あいたたたた……」

「恭子さん、頭痛薬ちゃんと飲みました?」

「ああ……忘れていたよ。どうりで頭が痛いわけだ」

「あれほど忘れないでって言ってるのに」


 僕は、頭を抱えて机に突っ伏す恭子さんのために、コップに入った水を差しだす。


「いつもすまないねぇ」

「おばあちゃんみたいに言うのやめてもらっていいですか」


 冗談を軽く流し、定位置である恭子さんの真向かいに座る。

 ここは、都立黎明高校ミステリー研究会の部室。まあ部室と言っても、長机が一つ収まって丁度いいくらいの広さしかない質素なものだが。

 恭子さんは僕から水を受け取ると、ポケットから取り出した錠剤と一緒に流し込んだ。


「自分の体のことなんだから、もっと大事にしてくださいよ」

「錠剤は苦手なんだよ。あと、苦いやつも」

「おばあちゃんなのか子供なのかはっきりしてください」


 あの事件以来、恭子さんにとって頭痛薬は必需品となっている。脳を酷使すると痛みが出るらしい。さっき推理ごっこなんてするからだ。

 だが、医者が言うには、脳に刺激を与えることは悪いことではないそうで、もしかしたら障害が完治する可能性もあるという。

 まあ障害とは言ったものの、恭子さんの場合、超高校級の天才的頭脳が校内トップクラス程度の頭脳(と絶望的な推理センス)に落ち着いたというだけで、当然日常生活に支障はないし、それどころか以前よりも人間味が増して親しみやすくなったくらいだ。

 僕は今のままの恭子さんでもいい気がする。


「さて、今日も今日とて部活を始めようか」

「と言っても、本を読むか宿題するかのどちらかですけどね」

「何言ってるの。君には助手としての大事な仕事があるでしょう」

「そうでしたね。一応見ておきます」


 『一応』の部分を強調して言っておく。僕は一度部室を出ると、入り口脇に置いてある『依頼BOX』と書かれた投書箱の鍵を開ける。これが僕の助手としての仕事。

 中を開けて、空であることを確認するだけの――


「あった……」


 すっからかんがデフォルトとなりつつあった投書箱の中に、一通の白い封筒が入っていた。



◆◆◆◆



 僕が部室に戻ると、恭子さんは読書を始めていた。


「今日は始業式だったから松下君の宿題を見る必要はないのか。ちょっと残念だね」

「部活はどうしたんですか」


 最初から投書がないのを確信していたかのような先読み。僕には部活をするように言っておいてこのありさまだ。

 少し驚かせてやろう。


「恭子さん、投書ですけどね……」

「ん。分かってる」

「一通入ってましたよ」

「そうかそうか、まあいつも通りだ――ねぇッ!?」


 驚き裏返る声。ドンガシャと盛大に椅子をひっくり返して立ち上がる。


「ほ、ほんとう……?」

「ええ。手紙みたいですけど、なんか膨らんでますね」


 封筒の中に手紙以外のものが入っているようで、不自然な膨らみがある。


「あ、開けてみて開けてみて」

「はいはい」


 興奮気味に目を輝かせる恭子さん。彼女の気持ちは痛いほどよくわかった。

警察から御呼ばれされなくなって以降初めての外部からの依頼なのだから、喜びも一入だろう。

 推理が原因で狂った彼女の人生。僕は彼女が過去の幻想に囚われている姿を見たくなくて、推理から彼女を遠ざけようとしていた。

 でも、こんな素敵な笑顔が見れるならそれでもいいかもしれない。

 僕はそんな甘いことを思いながら、封筒を開け、


「――――」


 後悔した。


「何が入ってた? は、早く私にも見せてよ!」

「ダメです」

「も~ダメってなんだよ~意地悪な後輩だな~。ほら、早く見せ――」

「ダメですッ!!」


 部屋が痺れるほどの怒号。遅れて、真空のような息苦しい静寂に包まれる。

 自分でもこんな鬼気に迫る声を出せるのかと驚いていた。体が燃えるように熱い。

 恭子さんは一瞬何が起こったのかわからないといった表情をしていたが、すぐに平静を取り戻すと、


「ちょっと見せなさい」


 優しく諭すように、けれども触れれば火傷するのではないかと思うくらいに冷たい声音で言った。

 それは以前の恭子さんの雰囲気に酷似しているように見えた。


「これは、ダメです……」


 背後から刃物を突き付けられたような恐怖が身を襲う。

その拒否反応が抑えようのない震えとなって現れる。


「あ――」


 融通の利かなくなった僕の手から、封筒が滑り落ちる。

 封の開いたそれは、僕の思いをあざ笑うかのように、中身を盛大にぶちまけた。


 入っていたのは、一通の手紙と――十字架だった。

 歴史上、最も神に近づいた人間を死に至らしめた処刑道具。

 その十字のシンメトリーを汚すように腕の片方が折られたそれは、『人を克服して神になる』人神会の信仰を具現化するシンボルであった。

 恭子さんは無表情で欠けた十字架を一瞥すると、迷わず折り畳まれた手紙に手を伸ばす。


『友達を助けてください』


 手紙には、そう一言だけ書かれていた。


「松下君」

「僕は反対です。この件には関わらない方が良い」


 恭子さんが何を言い出すかわかっていた。止めなければ。


「もうあなたは名探偵でもなんでもない、ただの一般人なんですよ」


 でも、僕の声は恭子さんに届かない。


「それでも私は、誰かを救いたい。名探偵ではなくなっても、神津恭子という一人の人間として――救いたい」


 人は変わらない。

 彼女はどうしようもなく正義感に蝕まれていた。

 これは、後の犯罪史に刻まれる『人神会無差別殺人事件』の前哨戦。

 そして、名探偵・神津恭子にとっては、過去と決別するためのリベンジマッチでもあった。



◆◆◆◆



 どうして、わかってくれないのだろう。

 僕は彼女のことをこんなにも思っているのに。

 彼女は決して後ろを振り向かず、前だけを見据えている。

 彼女の視界にはきっと目の前の謎しか映っていないのだ。

 じゃあ、僕が彼女の助手としてできることは何だろう。

 答えはすぐに舞い降りた。

 助手は名探偵を助けるためにいるんじゃないか。

 簡単なことだよ、僕。


 僕は、懐から欠けた十字架を取り出して祈りを込める。

 彼女は誰かを救いたいと言った。

 なら僕は、薄汚れた正義の呪縛からあのバカな探偵を救うのだ。


 僕が、名探偵・神津恭子を――終わらせる。



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