第8話 青山先輩の誘惑




 ***



「青山先輩、ウーロン茶でいいっすか」


「うんいいよ〜。あ、この漫画読むね」


 何故だか、懐かしい光景が目に映った。

 あれは二年前の金曜日の放課後、昼下がり。

 午前中の授業を終え、俺は部活の先輩の青山先輩と家で寛いでいた。

 薄生地のセーラー服に、膝上スカートの茶髪ボブカットの美女が、俺のベッドで足をパタパタさせながら漫画を読んでいる。

 とにかく今日は夏の暑さがジリジリと皮膚を刺激し、汗が止まらない。

 すかさず俺はクーラーをつけ、家にあるウーロン茶を取りに行く。


 青山先輩はとても自由人で、誰とでも仲良く出来る気さくな人だった。

 年上なのに、年上の感じがしない。

 部活で一人だった俺にも明るく接してくれて、とても嬉しかった。

 俺の数少ない信頼できる人物、だった。


「健人くんよ、君はこんなエッチな本を棚に入れておく程おっちょこちょいだったかな?」


 俺がウーロン茶を持って部屋へ戻ると、青山先輩が片手でエロ本をヒラヒラとさせ、口元に手を当ててイタズラな笑みを浮かべている。

 俺は一瞬ウーロン茶を落としかけ、慌てて弁明する。


「それはっ! せ、先輩やめてください! それは隠し忘れてたというかなんというか‥‥‥」


「ふ〜ん、で、君は巨乳が好きなんだ?」


「い、いやその‥‥‥」


 先輩がジトっとこちらに目を向け、俺は酷く焦りの汗が湧き出る。

 何だろうこの浮気を問い質す嫁の感じ‥‥‥。


「どーせ、私は貧乳ですよーだ」


 ふん、と言って口を尖らせてそっぽを向き、控えめな胸を手で押さえてベッドの上を転がっていた。

 俺は不覚にも、その姿にドキッとしてしまう。


「べ、別に、巨乳が好きなわけじゃないんです。ただ、たまたま買ったやつがそれだったので‥‥‥」


「ふーん、ほんとなぁ? じゃあさ」


 先輩はそう言ってベッドから起き上がり、こちらを向くとどこか優しい笑顔で言った。


「私の事、抱いてよ」


「‥‥‥はい?」


 突然の爆弾発言に、拍子抜けた声が出てしまった。


「だから、私を抱いて? 何度も言わせないでよ、バカ」


 そう言うと先輩は、あぐらをかいて座っている俺に後ろから抱き着いてきた。

 あの本とは違った、控えめな二つの柔らかい感触が背中に伝わる。

 正直、この時俺は心臓が取れそうなくらい鼓動を打っていた。

 先輩の髪から香るシャンプーの匂いや、首に塗られた制汗剤の香り。

 俺の顔の右に先輩の顔があって、その顔の美しさにまたドキッとして恥ずかしくなる。


「私はね、健人くんなら良いよ?」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 後ろで抱き着いてる先輩は俺の着ているワイシャツのボタンを、上から外していく。

 やがてワイシャツを脱がされ、俺は上半身裸の状態になる。

 俺の鍛え上げられた肉体を手で優しく触れながら、先輩は言った。


「健人くん、中学上がってから身体おっきくなったよね。なんか理由でもあるの?」


 横から耳元に直接響いてくる言葉に、俺は一瞬動揺するも、真剣な眼差しで答える。


「その、俺昔いじめられてたんすよ」


 俺のその目は、どこか寂しく、自分の過去を呆れたように笑いながら話した。

 身体が小さくていじめられていたこと。

 凛が助けてくれたこと。

 その後、強くなるって決心したこと。


 その事の経緯をきいて、先輩は俺の背中から離れ、床に両手をついてため息をついた。


「はぁ、結局君は凛ちゃんなんだ‥‥‥」


 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。

 確かに、俺は凛のことが好きだ。

 けれど、先輩とこうして過ごしたり、スキンシップをされても全く嫌と思えない。

 そんな自分が嫌だった。


 その瞬間、俺は先輩に肩を押され、力抜けた俺はそのまま押し倒された。


「ねぇ、健人くん。私はね、君が好きなんだ」


「‥‥‥そうですか」


 曖昧な返答しか出来なかった。

 思春期の男子の心は酷く複雑で、俺はこの時どうしたら良いかわからなかった。


「君が抵抗しなければ、このまま襲っちゃうよ?」


 先輩は俺の目を真っ直ぐとらえて、絶対に逃がさないという目をしている。


「正直、俺はどうしたら良いか分かりません」


「何が分からないのかな?」


「俺は凛の事が好きです。でも、先輩と過ごしているこの時間も好きです。今、襲いかかられても別に嫌だと思いませんでした、むしろ好きです。」


「なら、どうして‥‥‥」


 先輩がそう言いかけたのを、俺はすぐに遮る。


「でも、先輩に襲われて嫌じゃない自分が、俺は嫌いです」


「‥‥‥」


 先輩は俺の真っ直ぐ投げ掛けた言葉に寂しげな目をして無言になり、目に大粒の涙を浮かべていた。


「ほんと‥‥‥君は欲張りだよ」


 上から降る先輩の涙が、俺の頬につたっていく。


「そうかもしれません。でも、いつか必ず、一つを好きになってみせます」


 俺のその言葉に、先輩は涙を拭い、いつもの笑顔をみせながら、


「ふ、ふーん。わかったよ。絶対、私は諦めないからね?」


「はいっ」


 そう言って、俺は押し倒されたままケラケラと笑う。

 それに伴って、先輩も腹を抱えて笑いだした。


「先輩、そろそろ重いんでどいてください」


「あっひっどーい! そんなこと言ってるとモテないぞ? 私は好きだけどね」


 にしし、とまたイタズラな笑みを浮かべる先輩は、俺から退き、


「今日はもう帰るね」


「はい、それじゃまた明日」


 先輩は手を振って部屋を出ていった。



 この時、先輩が「また明日」と返さなかった理由を知ったのは、次の日の事であった。


 ***




 ふと目が覚めて、ガバッと布団から起き上がる。

 外は少し明るくなってきており、時刻は五時といったところだろうか。


 俺は夢を見ていた。


 しかも、中学の時に転校していった青山先輩の夢だった。

 俺は鍛え上げまくった肉体を活かし、陸上部で砲丸投げをしていた。

 その時、マネージャーだったのが青山先輩だった。

 部活で砲丸投げをしているのが俺しか居なく、寂しく一人で練習しているところに、よくスポドリの差し入れや、話しかけに来てくれた、とても優しい先輩だった。


 あれは、俺が夏の全国大会で破れた後の事だった。

 全国大会の次の日、授業が午前だったので先輩が「よーし、慰めてやる」と言って、俺の家まで着いてきた日のことだ。


 本当に色々な意味で慰められそうになったが、なんとか踏みとどまり、先輩は俺を好きだ、と言ってくれた。


 それからどうなるんだろうな、と思ってその次の日学校へ行くと、先輩は学校に来ていなかった。


 どうしたのだろう? と思い、先輩にメールを送るが、返信は無かった。


 1週間後知らされたのは、先輩が転校して引っ越していったことだったーー。


 俺は酷く悲しくなると同時に、怒りが込み上げた。

 なぜ、何故あの時言ってくれなかったのだと。

 俺が、俺が不甲斐ないからだったからだろうか。

 先輩はあの時、俺に抱いてほしいって言ったのは、最後にという意味だったのだろう。


 バカバカしい。


 俺はその事を知っていれば、絶対に先輩を引き止めていた。

 でもきっと、先輩はそれが嫌だったのだろう。


 考えるだけで、頭が痛くなった。

 ふと、右に目を向けると、俺の彼女が寝息をたてて、ぐうすか寝ている。



 俺はあの時、先輩を抱いていたら今頃、隣にいるのは先輩だったのだろうか?

 俺はあの時、先輩の転校を知っていれば、今の俺の彼女は先輩だっただろうか?




 その答えは未だに分からず、考えたくもないのに考えてしまう今の自分が、嫌いだ。







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