6.チーフ
病棟のバルコニーはすぐ近くにあったが、シュンは初めて足を踏み入れたようだ。
長椅子に腰掛けるように促し、缶ジュースを渡してやる。
「ずっと病室にいたのか?」
「あんま気乗りがしなくて」
少年は缶を見つめていた。
「普通の缶だ…むしろびっくりする」
「星の組成が似てるからだ。アルミと金の埋蔵量が逆転してるわけじゃない。」
救出の日から季節が移り、冬に入ろうとしていた。極寒にはならない地域だが、手の中のコーヒーはすぐ冷めるだろう。
街中から伸びているビル群がかなり遠くまで見渡せた。100mを越すような建物も少なくない。
「大都会だね、ここ」
シュンは驚いていた。地球の都市に比べると、妙に高架やバルコニーが多いことに気づくはずだ。
そのあちこちについたランプの色が変わると、人型の影の群れが空中に流れ出した。
「何あれ。まさか」
「住人だよ。飛べる方の2種類だ」
コロニアルとプルームは、建物の上階を飛んで移動したほうが早いことも多い。そのために足場やサインが外壁にある。
そのうち、ここのバルコニーにも何人か降りてきた。床面に書かれた模様を目印に着地し、羽音が止む。
「なんか聞こえると思ったら、羽音だったのか。
ここ、めちゃくちゃいるんだ。あんたの同類」
「ここはコロニアル領の首都だ。要するに一般人。飽きるほど見ることになる」
「うへぇ」
リアクションに僅かな拒否感を感じる。気持ちはわからなくもないが。
「俺にはそういう反応をしてもまあいいけど。いろいろと気をつけろよ」
シュンはそれまで片手で持っていた缶を、両手で包み込むようにした。
俺はその表情の意味を察した。
「あのさ」
「なんだ?」
「おれ、うまくやっていけるかなって」
やはり、どうしても不安そうだ。
親の足取りを追う以前に、ここに適応しないといけないだろう。
「何言ってる。自信を持て」
「こんなに、全然違う生き物がいてさ…おれ以外は慣れっこなのか」
「そういう事になるな……。だけど、お前の柔軟なところは、あの時嫌ってほど見た。大丈夫だよ」
「信じていいのかよ」
「俺は信用してる。もう、コロニアルに無暗に発砲しないとか」
「うっ、マジでごめん」
軽く反応するが、本心はどうだろうか。
「銃じゃなければ、まだ『ごめん』でもいいんだが……
ま、まだゲームオーバーじゃない。よっぽどの事がなければここで大人になるはずだ。」
「そっか……、……」
急に少年が黙り込んだ。
「どうした?」
訝しんだ俺に、シュンはビル街の遠くを見据え、あっさりとした調子で答えた。
「思ったより荒廃してないな……」
おい。
何だ、その期待は。
なんで荒廃してたほうがいいのだ。
俺は、のどまで出かかったツッコミをコーヒーで押し流した。
「うーん、何とかなりそうかな?
それより、ケイドさんのそのツノ、よく動くね」
「ああ」
本音を取り繕う時に、つい大顎をパクパクさせてしまうなどとは言えなかった。
あいつはタフだから、すぐ元気になっちゃうよ。
そう言っていたのはペネロペだったか、それからのシュンの回復は目覚ましかった。
体が元気を取り戻すにつれて、精神的に参った表情を束の間見せていたのも、徐々に減っていった。
下手をすると、こっちの怪我より回復が早かったのではないだろうか。
俺は―正確には俺たちのチームとその事務関連部署は―彼が学校に行けるように、ひととおりの手続きを済ませていた。
あとは春に入学するだけ。俺も現場復帰しないといけないため急いだが、スケジュールにはむしろ余地があるくらいで着地した。
どうもレールをかっちり敷きすぎな気もするが、安全に越したことは無い。
そんなことをチームメンバーに話して、全員から「お前が言うな」という顔をされた。
一つだけ意外な点があった。いよいよ退院、心配なしという時に、俺とシュンは支部チーフとの面会が設定された。
いや、こちらが前例を見たことがないだけで、そういうものなのかもしれない。
忙しさのせいか、時が経つのはとにかく早かった。
あっという間に当日になり、予定の直前になって、俺は最上階へのエレベーターでシュンをつついてこう注意していたくらいだ。
「チーフの前で軽口をたたくのはナシだからな」
「しないよ。あんたのほうがそういうのやるだろ」
「言ってくれるな」
「どんな事言ったらまずい?参考にする」
問題ない、という表情だ。単に相手に興味があるらしい。
「そうだな……
とりあえず、猫は禁句」
「猫?」
「ああ。そのまんま過ぎて、チーフも言われてつまらないのさ」
「入っていいぞ」
彼女は見ていた書類を司令室のデスクに置き、こちらに真っ直ぐ視線を向けた。
部屋は案外狭く、お互いの顔が細部まで見えた。
敬礼する俺の隣でシュンがちら、と見てくる。
(シュン。言いたいことはわかるが、言うなよ)
チーフは俺たちよりも背が低く、150cmを切っていた。
ヒョウのような斑点のある黄色い毛皮をスーツに包み、尖り耳の間に帽子をのせている。
獣のような姿だが、マズルがとても短い。そのために「猫のような」、フェリドという通称で呼ばれる種族だった。
デスクのネームプレートには「マーガレット」と刻まれている。
フェリド族の女性はIRG支部長ではただ一人だった。
なぜコロニアル領の中心地でこのポストについたのか?という声も少なくない。詳しい経緯を知る人もあまりいないのではないか。
「君が救出された地球人の少年か。私はマーガレット。ここの指揮をとっている」
「シュンです…どうも」
地球人は何かと猫を見ると可愛がりがちだ。だが、マーガレットの目には有無を言わさぬ力がある。
小柄であるにも関わらず、強烈な迫力の持ち主だった。
「救助されるまで大変だったろう。
君はもう、難破船でサバイバルする必要はない」
マーガレットは鋭い目のまま、口の端を上げて犬歯をのぞかせた。彼女のこの場面での、できる限りの微笑だ。
「コメントするのは首都や国家の役割だろうが、私は私で歓迎しよう。ようこそ、ゼーラールへ。ここが君にとっての新しい世界だ。まだ若い。存分に生を謳歌するといい」
「あ、ありがとうございます」
思ったより優しい言葉をかけられたせいか、シュンはやや照れが入っているようだ。
マーガレットは両手を組み、デスクからやや身を乗り出して言葉をついだ。
「ところで。君はIRGに入隊したいそうだな。」
やはりそちらが本題か。俺はその件には気乗りがしない。
そんなに有望株だろうか?
「であれば、学校卒業後に試験を受けなさい。そう簡単ではないがな。
その間、ケイド二等が部屋を貸すと申し出ている。住む場所には困らない」
「ルームシェアかよ?」
余計なことを言いそうだ。即座に俺は言葉を挟んだ。
「頼み込んだ甲斐がありました。
公の居住施設より俺の自宅の方がマシですから」
「ええっ???」
俺は戸惑うシュンに声を潜めて言った。
(抑えるんだ。話はあとで聞く)
チーフはふふっ、と笑った。
「ケイドの無鉄砲に感謝することだ。君の命は税金と彼の規則違反で救われているのだから。
だが、無茶苦茶な彼の主張にも一理はあった。
なお支援したいそうだから、こちらも彼がやりきってから取り扱いを考えようと思ってな」
(わざわざそれをシュンに聞かせるのは、少し意地が悪いな)
副チーフと話した時にも確信していた。
俺は、ここで釘を刺される程度に問題児だ。
あの救出の日のあと、味方を危険にさらしたかどで、俺は散々頭を下げた。
地の底で駆けつけた味方が予定外のダメージを受ける事と、市街地の外で俺がシナリオ通りの行動で負傷するのでは訳が違った。
ただ、それと少年の命ひとつをトレードというのは、どうしても我慢がならなかっただけだ。
引き返してから救出しても生きていたかもしれない。しかし、それも可能性に過ぎない。
「こいつは何をするかわからん」という評価は当分覆せないが、別段気にしていなかった。
なぜ、俺はそう感じ、判断したのか。今でもうまく説明できない。
チーフは初めて目を閉じて言った。
「君は極めて不運だったが、今は自由だ。私もケイドも入隊を強制していない。
君が決めなさい。答えが受諾でも、拒絶でも私は構わん。
大人になるとはそういうことだ。
……下がっていいぞ」
彼女もほぼ職務でやっているが、悪意があるという感じはしない。
現状、その材料もないだろう。
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