アンチ異世界転生世界の転生者
平カケル
第1話
別に望んでいたわけじゃあない。
平凡な毎日。平凡な生活。
ルックスも中くらい。モテるわけじゃあないが、バレンタインに精々義理チョコをもらう程度。
家庭環境は数年前に事故で兄とその許嫁……義姉さんを亡くしはしたものの、両親も俺もその事実を受け入れ、痛みを乗り越えていった。それ以外は特に普通だ。
学力は平凡くらい。平均的なレベルに通う大学生。だが、運動に至っては出来ないと言っても過言はない。
それは、兄貴が亡くなる直前に発覚した不治の病のせいだ。お陰で、水泳の選手という夢も崩れ去り、大好きだった泳ぐ事さえもやめた。一度は死を覚悟した。
『生きてさえいれば、いくらでもチャンスがある。死ぬまでがチャンスだ。生きている。生命力がある。それだけでも奇跡なんだぜ? 俺たち人間は、生命力って言うとってきの力が……チート能力が備わっているんだ』
生命力はとっておきの力。チート能力。
死んだ兄がよく言っていた事を思い出して、夢も生き甲斐も奪われても、俺は生に食らいついた。
だからと言って、他に夢があったわけでもなく、やりたいことも特になく、ただ何となく残りの寿命を過ごす何の変哲もない日常。
……別に不満があったわけでもない。このままなんとなく大学生活を送り、残りの人生をなんとなく生きる。もう、それでよかったんだ。俺はそんな現状で満足していた。
ただ、やっぱ少し退屈な人生だとは思っていた。でもだからと言って、心の奥底からそれを望んでいたわけじゃあない。
なのに、何故だ。
何故俺なんだ?
「へへへ、兄ちゃん。有り金全部寄越しな。さもなくば……」
「いやっ……いやぁあっ……」
「この女の命はないぜえ」
強面の男が、か弱い女性に刃を突き立てて人質に、俺に恐喝している。まあそれはいい。目の前にいる男がグラサンかけたスーツ姿とかで、ここが街中の路地裏とかだったらの話だが。
だが目の前に広がるのは、もう荒野。ただただ荒野。
土煙が舞う荒野。全然見たことのない場所。
俺に恐喝するのは茶色い猪のような容姿の人ではない何か。そう、例えるならゲームとかに出てきそうなモンスター。
そして、刃を突き立てられ、人質になっている女性はキャリアスーツのお姉さんでもなければ、制服姿の女子校生でもない。ドレス姿のお姫様っぽい高貴そうな方。
今日がハロウィンでもなければ、ここがそう言った伝統と文化の通った町でもない。
大声出すのは特技ではないけど、でもどうか、叫ばせていただきたい。
「どこだここはぁああああああああ!?」
仙波渉。21歳。大学3年生。
趣味は読書。特技は水泳(だった)。
現実逃避を望んでいたわけじゃあないのに、ある朝、目を覚ましたら、なんか、異世界にいました。
「待って待って待って! 何!? なんで!?」
別にトラックに轢かれたわけでもなければ、MMORPGのゲームプレイ中に光に包まれたとかでもない! 普通に寝て朝目覚めたたけ! なのにどうして見ず知らずの荒野にいる!? 一体何が起きた!?
「おい、男。何をごちゃごちゃと抜かしている? さっさとしないとこの女の命が」
「うるさぁああああい!」
「ど、どうかお助け……」
「ちょっと黙って! 今それどころじゃないんだっての!」
「「え、ええ……」」
顔を見合わせて困惑するモンスターと姫。だが、俺は頭を抱えて蹲る。
なんだ? 何が起きた?
昨日は日曜。そして今日から平日。
明日から授業だ。また単位まだ残っているから出なきゃ。ああ、憂鬱だ。ああ、寝る前にネット開いて動画見て寝ようと思って、お笑いの動画を見ていた俺。歯を磨き、事故で死んだ兄貴の仏壇に手を合わせたのち、深夜1時過ぎにちょっと小説でもと思って30分ほど小説を読んでいつのまにか寝落ち。ふっつーに寝て、ふっつーに目を覚ましたら、荒野! 魔物! お姫様! 異世界!
生憎俺が読んでいたのは推理小説。ファンタジー小説じゃあない。そもそも荒野なんてでてこないし、魔物も姫も出ない。だからここが、寝る前に読んでいた小説の世界ってわけでもなさそうだ。だがしかし……だよ。
「ま、まさか本当に……本当にあったのか!? 異世界!」
よく巷で異世界転生モノがどーとか聞くし、気になって読んだこともある。メディア化されてそれを視聴したこともある。でもだからって本当にあるわけがない。ファンタジーだ。これは現実だ。あるわけない。この物語はフィクションです登場する人物・団体・名称等は架空であり実在のものとは関係ありません。そう思っていた。
ま、まさかこれがいわゆるアレか? 異世界転生モノってやつなのか!? とても信じられないが……。
ま、まあ? 寝て起きたら異世界にいるってのもパターンと言えばパターン。でも本当に起きるわけないだろうよ? 普通に。
正直こんなの心臓止まりかねないレベルだ。ただでさえ心臓弱いのに。
「おい兄ちゃん、いい加減にしないと切り裂くぞ」
と、あーだこーだ考えている間に、目の前にいた猪のモンスターは、姫から手を放し、持っている刀を俺の喉ぼとけに向けていた。
なるほど。非常にピンチだ。
「お、落ち着いて。まずは、まあ、話し合おうじゃないか。ははは」
愛想笑いをしてみたものの、状況に頭が追い付けない。だが、恐らく今俺絶賛命の危機にあるのは変わりない。
さて、どうするか? 逃げるか、それともいっそ戦うか?
でも、俺に戦う手段なんて……。いや、待てよ?
異世界転生と言えば……つまりだ。もう一つ、お決まりのパターンがあるじゃあないか。
この手のパターンにはよくある例のアレが!
「ふっふっふ」
「な、何がおかしい?」
勝てる。勝てるぞ。恐らく今の俺はたぶん……ちょーーーー強い。
「相手を間違えたな、魔物さんよ。たぶんなんだが今の俺は、推測するにきっと恐らく、なんらかのチート能力を持った俺TUEEEなハイパー無敵無双勇者だ。……たぶん」
「た、たぶんとはなんだ!? 何を言っている!?」
「こっちだってよくわかってないんだ! でも、転生できたのなら、きっと何かそう言った力があるに違いない!」
そう。この手のパターンだったら、きっとそう言った能力を手にして、この世界を開拓なり冒険なりしていくもの。目の前にいる魔物だってイチコロ、ワンパンに違いない。
よし、一か八かだ。やってみよう。
「はぁあああああ……」
後ろジャンプをして、魔物から距離を取る。そして、そんな声を上げながら、俺は両手を上に突き上げる。
荒野を照らす眩い太陽が、俺の両手を温めるかのように、両手がどんどん温まる。
思った通りだ。やはり、両手が温かい。
この温かさ、きっと、能力が発動したに違いない。よし、やるぞ。やるぞ俺!
「はあぁあああああああああああ!!」
両手を前に突き出すと同時に、両手から何かビーム的なものが……出る事もなく。
ただただ静寂が辺りを包み込んでいった。
「ふざけているのか貴様」
「ち、違うんです! これはきっと何かの間違いで」
「何がどう違うというのだ!?」
胸ぐらを掴まれ、険しい表情で迫る魔物。呆れているのかジト目でこちらを見つめる姫。
なるほどなるほど。少し分かった。コレ、能力ないパターンのやつだ。
だとしたら、だ。元の世界での特化した知識や能力を元にこの世界で生きていくパターンのアレか。ふむふむ。
「……くっ」
……終わった。自慢じゃあないが、俺は……凡人だ。高校までの成績もオール3。大学の成績にも平均的。だがこれは単位取れている物であって、他はそもそも出席日数とか足りていなかったり、単位状況が危うかったりと、誇れるようなものではない。更に、他に何か賞をとったりとかそういう経験もない。
まずい、流石にこれはまずい。
このままでは俺は訳も分からずにこの魔物に殺されてしまう。
ああ、誰か、誰か助け……。
「そこまでだ。転生者よ」
と、そんな中で見知らぬ女性の声と共に、突然として目の前が眩しくなる。とっさに目をぎゅっと閉じる俺。
やがて、そっと目を開けると、さっきまでの荒野から一変。真っ白い空間が包み込み、目の前には白銀の鎧を纏った、騎士っぽい赤い髪の女性が俺に手を差し出していた。
「これは……?」
さっきまでの魔物はいない。姫様もいない。という事は、ここは恐らくさっきまでとは異なる別空間。
なるほど、そういうパターンか。
ふう。どーやら、なんだかんだで、なんらかのチート能力を持った俺TUEEEなハイパー無敵無双勇者になれるパターンのようだ。
「待たせたな。さあ、転生者よ」
「はい」
赤髪の騎士っぽい女性が俺の手を取り、健やかに微笑む。
なるほどなるほど。はいはい。わかりました。
このパターン、きっとこの人はこの世界の守護者的な人で、俺をパワーアップさせる存在であるに違いない。
つまり、ここでこの人から、なんらかのチート能力を持った俺TUEEEなハイパー無敵無双勇者になれるアイテムか何かもしくは能力そのものを授かるに違いない。
ということは、これで俺も立派な異世界転生者。チート能力者の仲間入り。俺TUEEEを俺もできるようになるわけだ。
まあ、現実が嫌だったわけでもない。別世界に行きたいと思っていたわけでもない。
だがまあ、これもなんかの縁だ。
こうなったらいっちょやってみようか。異世界転生モノの主人公ってやつを。
「さぁ、騎士様。わたくしめに、お力を。例のやつを」
右ほほを上にあげ、かすかな笑みを浮かべる。いわゆるキメ顔と呼ばれるものを女騎士様に向けながら、俺は膝をつき、右手を差しだす。
能力をもらう心の準備は整った。後はイメージトレーニングだ。
とりあえず、ここでなんらかのチート能力俺TUEEE状態ハイパー無敵無双勇者になったら、さっきの魔物を倒し、姫様を救う。そして、姫様を安全な場所へと導き、そこで様々なおもてなしを受ける。ここまではなんとなく見えた。だが、それをよく思わない姫様もしくは王国のお付きの女兵士か何かがいて、俺の目の前に立ちふさがる。だがしかし、この時の俺はなんらかのチート能力俺TUEEE状態ハイパー無敵無双勇者。女兵士など敵ではない。女兵士は、そこでこの能力を見せつけて屈服。女兵士を認めさせたどころか、あわよくば! ワンチャン俺に……惚れる! そしてそして! 魔物退治か何かを頼まれて、その人と共に向かう道中できっと別の女魔法使いとかに出会って、また、この能力を見せつけて……って感じで、きっと恐らく、こんな具合で異世界転生モノのロードを堪能する事ができるのだろう。
ふっふっふ、まあ中々、悪くはないじゃあないか? 少し楽しくなってきた。てなわけで! さあさあ、騎士様。どうかお力を。チート能力俺TUEEE状態ハイパー無敵無双勇者になれるお力を是非是非わたくめに……。
「……ご生憎、異世界転生したからなんらかのチート能力俺TUEEEなハイパー無敵無双勇者になれるという話をしに来たわけじゃあなくてな」
「……なんですと?」
「貴様、異世界転生、本当にできると思ったか? させねーよ? 分かったら、元の世界にとっとと帰れ。そして学校行って授業出ろ。お前単位足りてないだろ?」
「……へ?」
仙波渉。21歳。よくある異世界転生モノかと思ったら、学校に行けと言われました。
「え、あの? ここから俺、何らかのチート能力を渡されて俺TUEEEなハイパー無敵無双勇者になって、この世界を冒険するんじゃあないんですか?」
「あるわけないだろう。元の世界に帰れ」
「それで色んな可愛い女の子に褒めたたえられて、ちょっとしたハーレム状態に」
「頭湧いているのか貴様。元の世界に帰れ」
「え、えーと……それでこの世界を開拓していって、この世界に繁栄を」
「それは貴様の役目ではない。元の世界に帰れ」
どんだけ元の世界に帰れ言うんだこの女騎士さん。
いやいやまて。なんだ? なんだこのパターンは? 訳も分からないまま異世界に来たと思ったら、訳も分からずにもう帰るってのか?
「お前の役目はまずは大学を卒業……いや、授業で単位を取る事だ。現実を見ろ」
「ええ……」
非現実的な世界で非現実的な恰好した人に現実みろ言われるのって、すげえ斬新だな。
「いいか? 今日見たことはすべて忘れて、とっとと元の世界に帰るのだ。そしてさっさと大学へ行き、授業に出ろ。お前、出席日数足りてないだろ?」
「え、あ、はい。……え? ええ!?」
な、何故それを……!
「授業をサボりにサボり、このままでは出席日数が足りない。単位取れずに最悪留年。奨学金まで使い高い授業料払ったのにそれを無下にしてどうするというのだ貴様。いずれ払わねばならない借金を背負った状態でその金をあろうことかシュレッダーにかけているようなものだぞ? そんな無駄な事してないでとっとと授業に出ろ。そして単位取れ。学校行け。現実と向き合え。更に将来に向けてお前は」
「ちょ、ちょっと! ストップ! ストーーップ! 何々? めっちゃ現実的なんだけど!?」
まって、本当何このパターン!? 異世界転生されたと思って、ついに能力授かると思ったら女騎士さんから説教!? 何なのこの人!? お母さん!?
申し訳ないがこのパターンは知らないぞ! なんだこれ!? というか元の世界にもう帰れる!? まだ異世界に来て数分も経ってないんだけど!? つか、出席日数言ったよな!? なんでそんな事知ってんの!? 奨学金とか授業料とか言っている女騎士さんホント何!? 何この人!?
「納得がいかない顔をしても無駄だ。そもそも、あの姫様を助けるのはお前の人生じゃあない。あの姫様を助けるのは、この世界のお前の人生だ」
この世界の俺? それって一体どういう……。
「わかったら元の世界に帰れ。そして元の世界で、最期まで……泳げ」
「ちょ!? それってどういう意……味……」
なんか……急に眠くなってきた……。う、意識……が……。
「寝たか。全く、ワタルはどこの世界でも愚図だな。平和ボケしているこいつも特にそうだが、この世界のアイツもか。姫様助けに来るのが遅すぎだ」
「…………」
薄れる意識の中で見たのは、消えゆく白い空間と、女騎士の姿。そして、再び現れる荒野の中で、さっきの魔物に果敢に立ち向かう、鎧を纏い、剣を携えた俺の姿だった。
……それからどのくらい眠っていたのかはよくわからない。だが、再び目を覚ました時、そこは、さっきまでのことはすべて忘れ去り、待っていたのはいつもと変わらない世界、現実……なんて事はなく。
「……よう。地球世界の俺。転生先間違えてすまんかった……。びっくり、させたよな」
「んな……!?」
目を覚ますと、目の前には、再び非日常的な現実。
目の前には、見慣れない衣服を身にまとった、俺がいた。
「にしても、まさかアカネ隊長が担当だったとは。……つくづく縁のある事だ」
「な、何?」
訳も分からないまま、目を見開く俺を見て、目の前の俺はうっすらと微笑んだ。
「突然ですまない、仙波渉。今からやる事が世界のタブーなのは承知の上。だが、あの人を救うにはこれしか方法がなくてな。地球世界の俺、仙波渉には、この世界の俺、世界管理機関転生者解放騎士団クレナイ隊隊員、ワタルになってもらう」
そう言うと、ワタルと名乗った目の前にいるそいつは、俺こと仙波渉に手をかざした。
「ワタル!? なんか部屋からものすんごい光出てたけど大丈夫!?」
と、部屋のノックもせずに部屋に入ってきたのは、見ず知らずの女の子。だが、今の俺はこの子を知っている。この子は俺の幼馴染にしてタソガレ隊の隊員、サヤカだ。
「え、ああ、だ、大丈夫だ。ちょっと魔法の実験に失敗しただけ」
「実験? ええ?」
と、とっさに誤魔化す俺。ちょっと苦しいかもしれない。だがまあ、記憶が不確かな以上、これしか言いようがない。頼む。信じてくれ。
「まったく、ワタルはいつもドジなんだから」
そう言いながら、サヤカはため息をついた。
「アカネさんが呼んでいるよ。広場にいるって。途中まで一緒に行こ?」
「あ、ああ。そうか、分かった……ぜ」
ふう、どうやら何もバレていないようだ。このことは誰にもバレるわけにはいかない。例え、共に切磋琢磨してきた幼馴染であっても、だ。
書類が溜まったデスクから腰を上げ、ベッドの上に乱雑に置かれている衣服を身に付ける。左胸に赤い十字のラインが入った白銀の生地。その銀色と赤色の服からは、さっき俺の目の前に現れた女騎士をどことなく彷彿とさせる。
「行こう。サヤカ」
隊長が俺を呼んでいる。もしや、任務だろうか。それとも……。
部屋を後にし、俺はサヤカと肩を慣れべて廊下を歩きだす。だがしかし、サヤカは俺の顔をまじまじと見ていた。
「んー?」
「な、なんだ? 何かついているか?」
正直な話、女子にまじまじと見られるなんて経験なかったから、心臓バクバク言ってヤバ……イ?
「ワタル?」
違和感を覚える自分の胸を押さえながら、俺はサヤカの左胸をちらっと見た。
「ない」
「はあああああ!? い、いや、確かに私はカップ少ないかもしれないけど!? でもね、寄せればB余裕であるから!」
「え、あ、いや、そうだ……よな? ご、ごめん」
「全く、失礼しちゃう!」
プンプンと頬を膨らませるサヤカ。一方の俺は、未だに抑えられない高揚感を何とかするかのように、胸を押さえる。けど、そんな俺を不思議な様子でサヤカは見ている。
まずい。俺はコイツの幼馴染。平然としなきゃバレるっての……。落ち着け俺。
「……ワタル、なんか雰囲気変わった?」
……って、いきなりかよ。いや、俺だって正直に話したいところだが、これはこの世界のタブー。口に出すことは一切できない。
「そ、そう……か?」
「いつもはもっと不愛想なのに、今日はなんか……ちょっと明るい感じがする。なんか別人みたい」
「そ、そんなことねーだろう。ほら、アホな事言っていないでさっさと行こうぜ」
「うーん。まあ、気のせいかな?」
そう言うと、サヤカは俺の顔を見るのをやめ、軽く欠伸をする。
「ふぁああ……。頼まれていたやつ、忙しくてまだできてない。ごめんね」
「ん? あ、ああ……」
頼まれていた奴ってなんだろうか。記憶が上手くかみ合わなくて分からないぞ。
それに疲れているのだろうか。サヤカは可憐な容姿とは裏腹に、目にはほんのちょっとだけ隈が出来ていた。
「うちの隊、例にも及ばずあーいう風潮だから。結構辛くて」
あーいう風潮……。いや、サヤカがどういった環境にいるのか、詳しくは分からないが、目の隈から多忙な環境なんだろうなという事だけは察した。可愛い顔なのに悲惨すぎる。
「疲れているなら無理はするな」
と言ったはいいものの、サヤカは首を横に振った。
「ううん。無理しちゃうよやっぱり。ワタルと同じで、隊長になるのが、私の夢だし。ならなきゃいけないんだもの」
夢……。そうか、こっちの世界の俺には夢があったのか。
『俺の夢は、水泳の選手です』
……あー、ちょっと嫌な事を思い出してしまった。まあ、でも今は関係ない。今は目の前の事に集中だ。
「私とワタル。どっちかが隊長クラスになれば、皆きっと認めてくれるよ。私達の事」
認めてくれるって、一人の人間としてって意味かな? まあ、皆のあこがれの的になれば、そりゃあ認めてくれるだろうな。そっか、立派だな。
隊長クラスの存在になるのが、俺とサヤカの夢か。
「どちらが早く隊長クラスになれるか、勝負だな」
「え?」
お互いに頑張ろうって言う意味合いでそう言ったはいいものの、サヤカは目を見開いて、急に立ち止まる。一体どうしたんだろうか。
「いつもは、そんなもの興味ないって言うのに、なんか……びっくり」
え、マジか。いや、思った以上にこの身体の持ち主のフリすんのむずいな。
「そ、そうだった……か? まあ、そんなもの興味はねえ……ぜ? ははは」
「やっぱ今日のワタルちょっと変。大丈夫? 熱とかあるんじゃない?」
といって、サヤカは俺のおでこに手を当てる。冷たくとも柔らかいその手からは、サヤカの優しい温もりが伝わってくるようで……。
「え、ちょ? ワタル!? 顔真っ赤だよ!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫だ……」
全然大丈ばない。高揚感が半端ないです。
「サヤカさん? 任務のお時間ですよぉ」
と、そんな中、サヤカの後ろから緑色の癖の強い髪の男が現れた。
「あ……クラウス……隊長……」
いきなりサヤカの表情がなんか急に暗くなった気がする。なんとなく、怯えているような、そんな感じ。
「わかっていますね? あなたはそんな事をしている権利などない。さあ、いきましょう」
「はい……隊長……」
権利? なんだ? 何の話だ?
「それじゃあね。ワタル」
「お、おう……」
サヤカは俺のおでこから手を離すと、トボトボと歩いて行った。あの男が現れてから元気がなくなったように見えたのが少々気になる。
とは言え、だ。それ以上に、未だに消えないこの高揚感が半端ない。
見知らぬ世界。見知らぬ美少女。そしてスキンシップ。
なんだよこれ? 現実かよこれ! まさか、本当に……!?
というか……そもそも……。
「羨ましいーーーーーー!!」
と、大声を上げながら、全力で走るのはワタルこと、地球世界の俺、仙波渉。21歳、大学生。ステータスは年齢=彼女無しの独り身であり、あんな可愛い幼馴染なんて欠片もいないわけである。
なんだ!? 正直羨ましいぞ畜生! 世界線変わるだけでこんなにも変わるもんなのか俺!? というかこの状況! 本当か!? 現実か!? 今度こそホントのホントでいいんだな!? いいんだよなワタル!?
って自分で語りかけても返答が来ない。ってことは、やっぱ俺がワタルって事らしい。
そう、今の俺は仙波渉であり、ワタルだ。紛らわしい話だが、俺は元いた世界、地球世界から異世界へと転生し、さっきの荒野へとたどり着いた。だが、あの世界に現れたあの女騎士さんが俺を元の世界へと戻そうとした。しかし、その瞬間にこの世界のワタルが俺に干渉し、この世界へと導いた。
といった感じなんだが、何が起きたのかは俺にもまだ完全に理解したわけじゃあない。でも、俺はあの一瞬で、仙波渉であると同時に、この世界の俺、世界管理機関転生者解放騎士団クレナイ隊隊員のワタルになった。いや、ワタルに転生した、というべきか。元のワタルはどこかへと消え去り、俺だけが残された。
なぜこんな事が分かるかって? それは、この世界のワタルが持っていた記憶が俺に引き継がれたからだ。どのくらいの規模が引き継がれたのかまでは分からないが。だが、この身体がこの世界の俺のものであって、ワタルと呼ばれている事。この世界の事。更には全世界で起きているある現象については把握した。
「マジで言ってんのかコレ? ここ数年の物語投稿サイトやけに転生系多いなとは思っていたけど。だとしてもマジかよ」
俺のいた世界。俗にいう地球世界のとある国では、異世界転生を題材にしたお話がかなり多くなっていた。だが、ある意味それは本当の事だったと言っても過言ない。ワタルの記憶から伝わるこの世界の存在意義とその役割がそれを証明している。
この世界は、異世界だ。だが、単なる異世界なんかじゃあない。とんでもなくぶっ飛んだ世界だ。まるで……神の領域と言っても造作ないレベルで。
「うぉ!? 身体が、動かなく……?」
全速力で走っていた俺の身体は、唐突に廊下でピタリと止まり、動けなくなる。まるで身体が物凄く重くなったかのように。そして、何かに引っ張られるかのように、俺の身体は宙に浮いた。まるで、身体が物凄く軽くなったかのように。
「愚図。さっさと行くぞ」
後ろからどこかで聞き覚えのある女の声が聞こえた。だが、振り向く間もなく、俺は女に思いっ切り押された。
「うぉおおおっと!?」
謎の力から解放され、俺は地面へと放り出される。
「嘘……。あんた……ひょっとして……」
「え?」
そこには、俺と同じ服装の金髪のツインテール女子が一人。
だが、金髪ツインテール女子は、何故か額から汗を流してこちらを眺めていた。
「な、なんでもない……。てか遅い!」
腕を組みながら、ツインテ女子はそのままこう続けた。
「本当に愚図ね、あんたは。ね、アカネ隊長?」
倒れる俺の後ろを見ながら、金髪の女子はうっすらと微笑んだ。俺はそっと振りむく。
「なっ!? あ、あんた……は」
ツインテ女子にアカネ隊長と呼ばれたその人は、俺の姿を見るなり静かに微笑んだ。俺はその人の顔を見ると同時に目を丸くせざるを得なかった。
「よし、揃ったな。では、早速行くぞ。次の任務もまた、地球世界の転生者の解放だ」
アカネ隊長と呼ばれるその人は、さっき俺が見知らぬ世界で出くわした女騎士その人だった。
「ヒカリ、ワタル、準備はいいな?」
「勿論よ」
「あ……は、はい!」
とっさに返事をしてしまったが、未だに信じられない。本来なら今頃大学で授業を受けているはずだったんだぞ。でも、美女二人と共に、何らかの任務を受けようとしている。
やはり、現実なのかどうか疑ってしまう。だがどうやら現実のようだ。
いきなりの事で正直不安で仕方がない。だが、この身体はやるべきことを理解している。この女騎士さんに従い、任務にあたる。それが今俺のやるべき事。
「では、任務内容の確認だ。相も変わらず異世界転生者が多い。特に地球世界。原因は調査中だが、何者かがいたずらに転生させていると上層部……神官達はみている。そして、我らのやるべき事は、そんな彼らを元の世界へと戻し、全世界の調和を保つことだ」
そのセリフに、俺はつばを飲み込む。
にわかに信じがたい話だが、ここ数年の間、異世界へと転生される者が後を絶たない。元の世界でよく耳にする異世界転生モノ。あれが実は本当に起きていたって話だ。そこで、俺たち解放騎士団の出番だ。解放騎士団は、様々な世界へと赴き、彼らと接触し、元の世界へと返す事を目的としているらしい。
つまり、アカネ隊長指揮のクレナイ隊隊員として、他の世界へと渡り、他の異世界転生者と接触し、元の世界に返す事がワタルとしての俺の役目。
「時間が惜しい。早速だが行くぞ」
女騎士さん……いや、アカネ隊長は、懐から取り出した透明なガラスの球体を上に掲げる。ガラスは青白く輝きだし、俺とヒカリと呼ばれる金髪ツインテール女子、そして隊長の身体は青白い光に包み込まれた。
視界は青白い光に染まり、やがては見知らぬ景色が顔を出す事だろう。それは、俺がいた世界でも、荒野のあった世界でも、今俺がいた世界でもない、全く新しい別の世界。
既に一日に三つ世界を跨いでいる。こんなのもう異世界転生ってレベルじゃあない。でも、それが普通なのが、俺が転生したこの世界の正体。
この世界の正体は、星の数よりも多い、俺のいた地球世界を含めた全世界を管理する世界。そして、生命は生まれ出でた世界でのみ過ごすべきという考えの、いわゆるアンチ異世界転生世界だ。
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