第2話 ちょっと話があってな

「行っちまったか」


 旅立つ弟子の後姿を見送ったケインは小さく呟いた。


「無事に帰って来てくれるかねぇ」

「心配要らねぇさ。なんたって勇者様だからな!」

「そだそだ。にしても、まさかこの村から勇者が現れるなんてびっくりだべ」


 周りの村人たちのそんなやり取りを聞きながら、


(……気に食わねぇ)


 ケインは内心で吐き捨てた。


 彼はこの村の出身者で初めて王宮騎士になった男だ。


 一般的に、


 地方領主に仕える騎士は〝地方騎士〟

 王都の治安を護る騎士は〝王都騎士〟

 そして王宮と王族を守護する騎士は〝王宮騎士〟


 と呼ばれている。

 もちろん同じ地方騎士であっても、ピンからキリまである。

 そして当然ながら最もなるのが難しく、最も名誉と誇りのある騎士が王宮騎士だった。


 そのほとんどが幼い頃から英才教育を施された貴族の子弟であり、ゆえに平民の、とりわけこのような辺境の村の出身者が王宮騎士になるなど、奇跡にも近いことだった。

 もっともケインの場合、五年目となる二十五歳のときにクビになってしまい、故郷に帰ってきたのだが。


 それでもケインは村の英雄だった。

 今後も彼以上の男は現れないだろうと、村の誰しもが思っていた。


 ……勇者が現れるまでは。


「しかもたった十五でオレを越えやがって。クソったれが」


 村に誕生した勇者に、彼が剣を教えることになったのは自然な流れだった。

 ケイン本人としてはまったく気が乗らなかった。

 だが断るわけにもいかず、当時まだ十歳だった少年を弟子にした。


 その指導は苛烈さを極めた。

 それは指導とは名ばかりで、大人げない嫉妬と八つ当たり。

 もはや虐待に近い厳しさで、ケインは容赦なく少年の心と身体を負い込んだ。


 ただし普段はできる限り優しく接することにした。

 自分のしていることが誰かにバレては不味いからだ。


 少年にも「これが王宮流の指導法だ。門外不出だぞ」などと言って聞かせた。

 もちろん嘘であるが、素直な弟子は「分かりました」と純粋に頷いていた。


 驚いたことに、少年は決して音を上げることはなかった。

 それどころか出鱈目な指導だったにもかかわらず、見る見るうちに力をつけていった。


 当の本人は気づいていないだろうが、ケインは現時点ですでに自分が抜かれていることを自覚していた。

 だからこそこの半年、一度も一対一での手合わせをしなかったのである。


「何が〝すべて師匠のお陰です〟だ。何の疑いもない目でオレを見やがって……」


 微かな罪悪感を怒りで塗り潰しながら、ケインは早々に村人たちから離れて帰路に就く。


 と、そこでケインは、自分よりも先んじて戻ろうとしている女性に気がついた。


 勇者の母親であるセルアだ。

 どうやらもう家に帰るつもりらしい。


 未亡人で十五の息子を持つ彼女は、すでに三十を超えているはずだが、二十代半ばと言われてもおかしくないほど若くて美人だ。

 今でも村の男たちの憧れの的で、求婚する者が後を絶たないほど。


 これから残された彼女は、たった一人で息子の帰りを待つことになるわけだ。

 そう思ったとき、ケインの脳裏をある考えが過った。


「くくっ、リオン……お前の母親のことはオレに任せておけ」


 ケインは下卑た笑みを漏らしながら、彼女の後を追いかけた。






 家の戸をノックする。

 しかし返事はなかった。


「? 居ないはずはねぇんだけどな」


 ケインは首を傾げつつ、より強く扉を叩く。


「セルア! いるんだろ? オレだ! ケインだ!」


 声を張り上げて名乗ると、家の中からこちらに足音が近づいてくる気配がした。

 扉が開く。


「ケインさん? どうかされましたか?」


 セルアが不思議そうに訊いてくる。


 ちなみにケインは知る由もないが、一瞬前まで彼女は息子の服に顔を埋めることに没頭していたため、訪問になかなか気づけなかったのである。


「ちょっと話があってな」

「そうですか。……お入りになられますか?」

「ああ、悪いな」


 ケインは家に上がった。


(すんなり中に入れてくれるってことはよ、オレのことを信頼してるってことだろうな)


 息子の訓練をしてやった甲斐があったなと、ケインは心の中で呟く。


(いや、むしろ憎からず思ってるのかもしれねぇな。旦那を失って十年以上か。男が恋しくなってもおかしくねぇ。だが、今までは息子がいたからずっと我慢していた、と)


 そんなふうに都合よく解釈しながら、ケインは改めて彼女の全身を見渡した。


 栗色の長く艶やかな髪に、端正な顔立ち。

 肌は白くてきめ細かく、瑞々しい張りがある。

 やはりどう見ても三十代とは思えない。


 何よりケインの視線を釘づけるのは、その胸だ。

 強い母性を感じさせる豊満な双丘に、腹の奥から抑え切れない欲情が湧き起こる。


 思わずごくりと喉を鳴らしながら、しかしケインは冷静を装って切り出した。


「息子が旅立って寂しいだろうな」

「……ええ」


 セルアが一瞬の間を挟んで頷く。

 ケインはその微妙な反応には気づかず、


「これから女一人ってのも辛いものがあるだろう」

「……」

「よかったらオレと再婚しねぇか?」


 相手の様子などお構いなしに、ケインはあっさりと本題を口にした。


「オレも王宮にいた頃は妻がいたが、騎士を辞めたときに別れてずっと一人身だしよ。お互いそろそろ新しいスタートを切っていい頃だと思うんだ」


 セルアは何も言わない。

 それを肯定的な反応と見て取って、ケインは自分としては最高の殺し文句と思える一言を告げた。


「オレがあんたを幸せにしてやる。息子がいなくても寂しくなんてねぇように――」


 その瞬間だった。

 ケインの頬を、物凄い速度でナイフが掠め通っていったのは。


「――な?」


 唖然とするケインに、セルアはにっこりと微笑みながら言ったのだった。


「あなたと再婚するくらいでしたら、

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