水琴窟
なゆた黎
水琴窟
雨が降ると、庭先のどこからともなく雨音に混じって、鈴の音の余韻を含ませたような音が聞こえる。
いつの頃からだったろうか。とんと記憶にないのだけれど、雨の日に庭先を横切った時に、ぱらぱらと傘に当たる雨音と地面に落ちる雨音にまぎれて、一定のリズムで落ちる水滴の、どこか金属じみた雨音が、地面の下から響いてくるのに気が付いた。
それから気を付けて観察していたら、鳴るのは雨の日だけで、雨の降りはじめから間もなく、地面が濡れて水たまりができはじめるころ、
ル、ル、ル、
と繊細な音を奏ではじめるのだ。
「まるで水琴窟だな」
音の出どころを探して庭先をウロウロと歩き回っていた僕は、感嘆のため息とともにそう呟いた。どしゃ降りの大雨の時でも、はじめのうちは地面の底からロンロンと鳴り響いているのも、運が良ければ聴きとることができる。
雨が続くと、その音は珠の音色からだんだんと曇りゆき、地面に落ちる雨音に混じりあって、しまいには分からなくなってしまう。
音の鳴り響く庭を行きつ戻りつした末に、僕はわが家の風流の源の地に立った。
(水琴窟の正体は、これか)
それは、全く偶然の産物だった。
地面の下に埋められた排水タンクに落ちる雨水が、うまい具合に反響したもののようだ。滴が落ちるたびに繊細な音を響かせるのだが、降水量が増えると音響は当然悪くなる。
珠のような音を奏でるのは条件の整ったほんの一時の間だけだ。
この水琴窟も、いつまであるかもわからない。なにせ偶然できたものだから。いつ条件が整わなくなってもおかしくはない。
さて。
今日も雨なので、僕は土間を下り立てかけてある傘を手に戸を引いた。雨は強すぎもせずといを伝う雨音も、静かで心地よい。
うたかたの音色に惹かれるように、いや、実際惹きつけられて僕は庭に出た。
件の庭には先客がいた。
節子は音の鳴るところにしゃがみこみ、じっと耳を傾けていた。僕が声を掛けるよりも早く、節子は僕に気付き、ゆっくりと僅かに首を捻って僕を見た。
「足音がうるさい。来るならさっさと来て黙って聴け」
そう言うと、節子は視線を地面に戻して地面の下に集中した。節子の物言いに僕は軽く肩をすくめ、そっと節子の隣に屈んで、地面から発せられる音に耳をすます。
地面に落ちる雨音に混じって、澄んだ音色が微かに響く。
節子もうっとりとその音に聴き入っていたが、ふいに顔を上げ立ち上がった。
「おい」
黒曜石のような黒い瞳が、僕を見上げる。
「雨が強くなるぞ。雷も鳴る」
節子は呟くと、音も立てずに家の中に入っていこうとした。
「節子」
僕の声に節子はさも面倒臭げに振り返ると、しっとりと濡れた黒い体を振って雨水を思いっきり飛ばした。
ちりん……
節子の首についた小さな鈴が鳴った。
「にゃあ」
僕が開けたままにしていた戸をくぐって、節子は家の中へ入っていった。ほどなくして母親の悲鳴と、節子を追い掛け回す声が聞こえた。
節子の言うとおり、遠くで鳴る雷の音が聞こえる。僕は立ち上がって、ゆっくりと水琴窟から離れた。
おわり。
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