305

 やがて全員分のおっぱいレビューは終わり、支配人の男は俺の前から去った。よし、邪魔者は消えお楽しみの時間の再開だ。


 ……と、一瞬思ったわけだったが、


「ちょっと待てい!」


 直後、ヤギが猛獣のように吠え、支配人の男を呼び止めた。


「なんだよ、いきなり?」

「なんだ、ではない! トモキ、お前はいい加減、本題を切り出したらどうだ!」


 ヤギは蹄でテーブルをダァンッと叩きながら叫んだ。うっせーな、もう。


「落ち着け。別に急ぐことはねえだろ。せっかくタダなんだし、もっといろいろ楽しもうぜ?」


 俺はそんなヤギを軽くあしらいながら、テーブルの隅に置いてあったメニュー表を取った。ナッツやニンジンスティック以外にどんなお楽しみメニューがあるのか、確かめないとな、フフフ……。


 だが、そこでヤギが蹄を素早く繰り出してきて、俺の手からメニュー表を奪い取り、あろうことかそのまま食べてしまった。むしゃむしゃと。


「おい、ペラい紙切れとはいえ、それは一応店の備品だぞ。食うなよ、バカ」

「バカとはなんだ! 乳房ごときにうつつをぬかしているお前に、そのようなこと言われたくはない!」


 ヤギは再びテーブルを蹄でダァンと叩いて叫んだ。なんかもう、めちゃくちゃ怒っている様子だ。


 だが、その発言は俺としては聞き捨てならないぞ?


「いや、ごときって何だよ。そりゃ、お前にはおっぱいの良さがわからないのかもしれないが、この店はほぼほぼ、おっぱいだけで成立してるんだぞ。おっぱいだけで経済が回ってるんだぞ。そこはちゃんと認めてあげようよ?」

「ふざけるな! そのようなものはしょせん、胸についた脂肪の塊ではないか! せいぜい赤子に授乳するときのみ役に立つものだろう! そんなものに血眼になっているここの客どもは、赤子とまるで変わらないということか!」

「そうでちゅが、なにかー?」

「な――」

「男はいくつになっても赤ちゃんでちゅー。おっぱいだいしゅきでちゅうー」


 俺はへらへら笑って、赤ん坊のふりをしながら隣の女のおっぱいに顔を近づけた。


 だが、直後、


「ふ・ざ・け・る・なっ!」


 と、さらに叫びながら、ヤギが猛烈な勢いで俺の後ろ頭を蹄で叩いてきた。痛い痛い痛い。


「いいから、早く用件をすませろ!」


 振り返ると、ヒューヴの手配書を蹄の間にはさんで掲げている黒ヤギの姿があった。相変わらず器用なことで。


「わかったわかった。今から話を聞くからちょっと待ってろ」


 俺はしぶしぶヤギの蹄から手配書を受け取り、何事かという感じでこっちに戻ってきていた支配人の男にそれを見せて尋ねた。


「なあ、こいつ俺の知り合いなんだけど、昨日この店に来た?」

「ああ、こちらの方でしたら……」


 支配人の男はヒューヴに見覚えがあるようだった。さっきの女の店員の証言といい、やはりあいつが昨日この店に来たことは間違いないのか。


「俺、こいつの行方を追ってるんだ。どこか、こいつがこれから向かいそうな場所のこととか、ここで話してなかった?」


 俺は店員の女たちにも手配書を見せて尋ねた。だが、支配人の男も女たちも「さあ?」と首をかしげるだけだった。


「この有翼人の人、確か、中年のおじさんと意気投合しててずっと話をしてたかなあ?」

「中年のおじさんか」


 そいつはおそらくベルガド大学の考古学者の男のことだろうか。


「そいつとどんなこと話してたんだ?」

「えーっとね。確か、そのおじさんが『明日、すごい財宝のありかを記した古文書が大学に届くんだぞ!』って自慢してて、有翼人の人がその財宝の話にすごく食いついてた感じ?」

「財宝なんてあるわけないのにねー」

「お酒飲むとそういう無駄に景気のいい話する人、いるいるー」


 女たちはおかしそうに笑いあっている。なるほど、ここにいる現実的な女と違って、あのバカはその財宝の話を信じてしまったんだろう。それで、財宝欲しさに大学の研究室に古文書を盗みに来たってわけか。


「その二人は、この店で初めて顔をあわせた感じだったか?」

「そうねえ。前から知り合いだったようでもなかったわねえ。一緒にお酒飲んで、おっぱい楽しんで、打ち解けた感じ?」

「まあ、酒とおっぱいにはそういう力があるよな」


 なるほどなるほど。二人の男は、前から接点があったわけではなかった。この店のおっぱいに導かれ、出会ってしまった二人だった。そして、学者先生は酔った勢いで古文書の情報をヒューヴに漏らしてしまった……。おおよそ、予想したとおりの結果だったってわけだぜ。


「あ、あと! この人ひどいのよー」


 と、女の一人が思い出したように叫んだ。


「ここで遊んだお金、一ゴンスも払わずに逃げちゃったの!」


 なんと、ヒューヴのやつ、ここでも食い逃げをやってるらしい。


「今は金ないから、あとで払うとか言ってたけど、絶対うそよ! あれは絶対、料金を踏み倒すタイプの男!」

「そうか、あいつ今、金に困ってるのか」


 役に立つか立たないのかわからない、微妙な情報だ。


「あいつが踏み倒したここの代金っていくらなんだ?」

「……五十八万ゴンスほどでございます」


 と、支配人の男が暗い顔で答えた。一晩でそんなに遊んだのかよ、あいつ。そりゃいい店だけどさあ、おっぱい楽しみすぎだろ。


「ふーん? じゃあ、その代金、俺が払うわ」

「え? なぜ勇者様が?」

「いや、一応、俺の知り合いだし、こういう店、最近例の入国審査ってやつで経営が厳しいんだろ? いい店だし、つぶれてほしくないしなあ」


 そうそう、いいおっぱいがそろってるしな。呪いが解けたらまた通いたい。


「あ、ありがとうございます! 勇者様のお心遣い、まことに光栄に思います!」


 支配人の男は俺に深々と頭を下げた。女たちも「勇者様、超やさしー」「私たちのこと、考えてくれてありがとー」と言いながら、俺に次々と感謝のキスをしてきた。うふふ。やっぱりいいことをすると気持ちいいなあ。


「……では、こちらが明細になります」


 と、支配人の男はすぐにヒューヴのツケのぶんを俺に見せてきた。なるほど、確かに代金は約五十八万ゴンス……うむ、高い。


「じゃあ、払うからちょっと待っててくれ」


 俺はそこで、キャゼリーヌのほうを見た。


 そして、


「キャゼリーヌ、今からマリエルをここに呼んでくれ。あいつ、俺の財布だから」


 と、頼んだ。

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