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その翌朝、俺たちは夜明け前に荷物をまとめ、ホテルを抜け出した。制服は部屋に置いていき、元々着ていた服に着替えた。また、ホテルを出る寸前に支配人の必死な顔が思い出されたので、勇者アルドレイの名前でこのホテルに泊まったと書置きを残しておいた。その書置きを額縁か何かに入れて飾っておけば客寄せになるだろう。なんせ、俺の直筆だからな。ちゃんと昔の字で書いてあげたし。
ただ、ホテルを抜け出すにあたっては、ちょっとしたサプライズがあった。俺とユリィがホテルの中庭で落ち合い、一緒にそこを去ろうとしたところで、俺たちに声をかけるやつがいたのだ。
「おい、俺も連れていけ」
と言いながら朝霧の向こうから近づいてきたのは、一匹の黒ヤギだった。
「トモキ、お前の事情はおおよそファニファから聞いている。これから呪いを解くための旅に出るのだろう? 俺も何か役に立てることはあるだろう。協力させてくれ」
「ああ、お前なら別に構わんが、なんでまた急に俺たちについてくる気になったんだよ?」
「何、世界を二度も救った勇者への、感謝の気持ちだ」
と、何やらかっこつけて言う黒ヤギだったが、
「それに、俺は今回の修学旅行に関しては大いに不満があってな」
さらに別の理由もあるらしい?
「不満って何だよ? イルカのせいで水泳実習が台無しになったことか?」
「それは別にいい。問題は今日の自由行動で俺が行くはずだったリュカの崖だ」
「リュカの崖?」
「ああ、ベルガドの名所の一つだ。このクルードの町の近くにあるおそろしく急な断崖絶壁でな。普通、崖というとせいぜい垂直で角度にして九十度ほどしかないが、リュカの崖はなんと百十五度もあるというのだ!」
ヤギは大きく目を見開いて言う。何やらひどく興奮しているようだ。やっぱりヤギだから崖の話をすると気持ちが高ぶるのだろうか。ヤギだから。
「お前、もしかして今日の自由行動でその崖に行って登るつもりだったのかよ?」
「無論だ! 単におそろしい断崖絶壁だからというだけではない。そのリュカの崖は、ところどころ、ぬるぬるとした油分を含んだ泥が噴出していてな、登るものをさらに拒む仕掛けになっているのだ!」
「な、何その超難易度アトラクション……」
SASUKEかな?
「俺は修学旅行先のベルガドにそのような崖があると聞いた時、全身の血がたぎる思いだった。そんな厳しい崖があるのなら、男としては登らずにはいられない。そうだろう、トモキ!」
「そうかなあ?」
ヤギのお前だけだと思うぞ、それ?
「しかし、昨日ホテルの従業員に聞いたのだが、そのリュカの崖は、最近崩落が激しいので立ち入り禁止になっているそうなのだ。なんという悲劇的な話だろう! 俺は一日千秋の思いで今日の登攀を楽しみにしていたというのに! その崖を登れないというのなら、俺はもはや、何のためにこの修学旅行に参加したのかわからんではないか!」
「そ、そのためだけに、お前はこの修学旅行に参加したわけなのか……」
俺の参加理由もアレだが、こいつもたいがいおかしいな?
「というわけで、俺はもうこの旅を続ける意味はなくなった。こんなガッカリな修学旅行プログラムを組んだドノヴォン国立学院にも嫌気がさした。お前についていく」
「お前、ただふてくされてヤケクソになってるだけじゃねえか」
俺は笑った。親と喧嘩して家出するガキみてえなこと言いやがって。
「まあ、いいや。学校にいるより俺たちといるほうが、お前もいろんなところ登れるだろ。それで満足するならいいだろ」
「そうですね」
と、俺たちの話をずっとそばで聞いていたユリィもうなずいた。
「ありがとう。そして、今後ともよろしく頼む」
ヤギは礼儀正しく俺たちに頭を下げた。
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