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「よーし、ユリィ。さっそく水に浮くところから始めるぞ!」

「はい!」


 ユリィは元気よく答え、すぐに水面にうつ伏せに体を寝かせた。


 そして、直後――沈んだ。


「お、おい!」


 あわててその体を引き上げた。


「すみません、わたし、水に浮かないみたいです……」


 ユリィはしょんぼりしながら言う。まさに浮かない顔だ。


「いや、人間は基本的に水に浮くはずだから。今のは何かの間違いだ」


 俺はあわててフォローし、


「大事なのは空気だ。肺に空気をためておけば、誰でも浮く!」


 そう言って、ユリィの目の前で水に浮いて見せた。ぷかぷか。


「すごいです、トモキ様。こんなに簡単に水に浮けるなんて」


 ユリィはそんな俺の姿に感動したようだ。いや、さすがにこんなの初歩の初歩なんだが。


「とりあえず、大きく息を吸って、あおむけに水に浮いてみろ。なるべく体をまっすぐにしてな」

「はい」


 と、言われた通り胸いっぱいに息を吸い込み、水面にあおむけに寝るユリィだった。


 そして今度は――浮いた! ユリィのやつ、沈まずにちゃんと水面に浮いている!


「やったな、ユリィ! その感覚を忘れるな!」

「は、はい!」


 ユリィはうれしそうに笑った。そして、そこで油断したのか、また沈んでしまった。俺は再びその体を引き上げた。


 俺たちはしばらくそうやって浮く練習をしたのち、バタ足の練習に移った。そう、俺がユリィの手を握って、ユリィが水面で脚をバタバタさせるやつだ。これも水泳においては初歩の初歩だが、大事な練習だ。何より、バタ足の練習をしている間はずっと手をつないでいられるからな。うふふ。ユリィの手、あったかくてやわらかい……。


 やがてユリィが疲れてきたようなので、俺たちは浜に上がって少し休憩することにした。休憩は各自好きなようにとっていいということで、浜には俺たち以外の生徒の姿もあった。


 また、生徒以外に教師の姿もあった。教師も自由に水泳に参加していいということになっていたのだ。他のクラスの担任の教師たちは、それぞれ自前の水着を着ていたが、アーニャ先生はセクシーなワンピースタイプの水着で、非常にありがたい感じだった。


 一方、俺のクラスの担任の教師は水着ではなく教師の制服のままで、日陰で本を読んでいた。その表紙には「ベルガド密教のすべて」とある。おそらく呪術関連の本なんだろう。こんなときまで熱心なことだ。


 と、俺たちがその姿をぼんやり見ていると、そこに一人の女子生徒が近づいていくのが見えた。ルーシアだ。こいつは学校指定の水着ではなく、自前のビキニタイプの水着を着ている。だが、ひょろっとしたスレンダー体型なので俺にはどうでもいい感じだった。


「……先生、せっかくですし、少しは泳いではいかがですか?」


 ルーシアは目の前の男に言うが、


「はは、無理ですよ。僕は流水は苦手ですからね。それに太陽もさんさんと照ってますし」


 リュクサンドールは本から顔を上げずに言う。そうか、こいつは一応吸血鬼みたいなもんだから、流水は苦手か。


「それはわかりますけれど、その恰好はあんまりではないでしょうか? みんなが水着でいるときに、一人だけ違う格好というのも、協調性に欠けるというものです」


 ルーシアはさらにリュクサンドールに近づく。前かがみになりながら。そう、前かがみになりながら。


 そうか、あいつ、リュクサンドールに自分の水着姿を見せつけたいんだな。貧相な体のくせに無理しやがって。


「あー、はい。そうかもしれませんけどねえ、僕、水着は持ってなくて」

「心配はいりません。先生の水着は私がご用意しておきました」

「え、なんでまた――」

「細かいことはいいでしょう。さあ、あっちで着替えましょう」

「いや、僕は別に泳がないので――」

「さあ、早く!」


 ルーシアは強引にリュクサンドールの袖を引っ張って立たせた。そして、そのまま物陰に引きずり込んでいくようだ。相変わらず手段を選ばない女だ。


 と、そのとき、ユリィが二人のところに走って行った。


「あの、ルーシアさん……」


 ごにょごにょ。ユリィはルーシアに何やら耳打ちして言っている。


 やがてすぐにユリィは俺のもとに戻ってきた。


「あいつと何話してきたんだよ?」

「お礼です」

「お礼? 何の?」

「そ、それはそのう……」


 ユリィは急に恥ずかしそうに顔を赤くした。


 そして、


「あっちでお話しします」


 そう言って、俺の腕をつかみ、さっきのルーシアのように俺を人気のない物陰に引っ張って行った。


「なんだよ、急に?」


 物陰で二人きりになったところで尋ねた。


「みなさんの目があると、恥ずかしいので……」


 と、ユリィはそこでいきなり水着を脱ぎ始めた!


「え――」


 突然のことに、びっくり仰天してしまう俺だった。

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