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「ユリィさん、よいお友達だというあなたのほうから勇者アルドレイ様にお願いしてほしいんです。この本に、直筆のサインをしてください、と」
「あ、お話ってそういうことですか」
瞬間、ユリィはすべてを察したようだった。俺も同感だった。こいつ、ユリィに告白するつもりなんかなくて、ただ俺のサイン欲しかっただけなんかーい!
「それぐらい喜んでお引き受けしますけど、どうしてわたしに頼むんですか? ジルフォードさんが直接トモキさんに頼めば――」
「そんなこと、できるわけないでしょう!」
ジルフォードはとたんに顔を真っ赤にした。
「相手はあの伝説の勇者様ですよ! 直接こんなことを頼むなんておそれ多いこと、できるわけない! 僕は遠くから彼を見ているだけでも幸せなんです!」
なるほど。あいつはどうやら俺の熱狂的なファンらしい。真っ赤な顔で早口でこんなこと叫んじゃうくらいに。
そういう事情だったら、もうここから隠れて見ている必要もねえか? 俺はすぐに植え込みの陰から出て、二人のところに行った。
すると、
「う……うわああっ、あなた様はああっ!」
ジルフォードが俺を見て、めちゃくちゃ驚いたようだった。素っ頓狂な声を出し、一瞬で俺から五歩ぐらい離れてしまった。
「な、生……生アルドレイ……そ、そんなバカなっ! デュッフ!」
「いや、お前ちょうど俺の話してただろうが」
いくらなんでも反応が過剰すぎて笑ってしまった。同じ学院の生徒だろうがよ。生で遭遇することもあるだろうがよ。
「も、もっと、お近くに行っても、いや、お参りしてもよろしいですか?」
「別に構わんが」
「ありがとうございますっ!」
ジルフォードは上気した顔のまま呼吸を荒げつつ、俺に早足で近づいてきた。そして、俺の目の前に来るや否や、「すーはー、すーはー」と、何から深く呼吸し始めた。
「おおおおっ! 勇者様のお近くの空気をこんなに吸ってしまいました! 僕は幸せ過ぎて、どうにかなりそうです!」
……こいつ大丈夫か?
「こ、このへんの空気には、勇者様が口から吐いたばかりの物が混ざってそうですよね? それが今、僕の肺の中に入って……か、体中を駆け巡っている喜び!」
「いや、今は空気はどうでもいいだろ。サインだろ」
やべータイプのファンみたいだし、早く用事を済ませて追い払いたい。
「ほら、その手に持ってる本だろ。サインしてやるから、とっとと俺によこしやがれ」
「あ、はい、でしたら!」
と、制服の胸ポケットからペンを出し、本と一緒に差し出すジルフォードだった。お、こいつペンを持ち歩いているとは用意がいいな。この場でサイン書いて返してやれ。さーらさらっと。
サインするついでに本の内容をチラ見すると、俺のファンブックというよりは伝記だったが、脚色されすぎて俺じゃない誰かの人生を描いているようだった。いくら早死にしたからって、後世の人間に自由に使われすぎだろ、俺。沖田総司じゃねえんだぞ。
「ほらよ、これでいいだろ」
サインを書き終えたところで、そのフィクション伝記とペンをジルフォードに返した。今の名前じゃなくて、ちゃんと昔の名前でアルドレイって書いてやった。ファンサービスってやつだ。
「うわあ、本当に僕の本に勇者様のサインが! ありがとうございます! 一生の宝物にします!」
と、ジルフォードは一瞬、子供のように無邪気に喜んだわけだったが、
「このペンにも勇者様のぬくもりが残っていてすごく尊いですね。舐めていいですか?」
「え」
なに言ってんのこいつ、きめえ。
「い、いや、衛生上よくないから、そういうことはやめて」
「ああ、そうですね。においをかいで楽しむだけにしておきます」
「そ、そうね……」
それも正直よくわからん領域なんだが! こいつ顔はイケメンなのに、さっきからキモすぎなんだが!
「今日は本当にありがとうございました。勇者アルドレイ様にこんなによくしていただいて、僕はとてつもない幸せ者です!」
ジルフォードはやがて俺に深く頭を下げて、俺たちの前から去って行った。
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