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 それから俺はヤギに寄宿舎に運ばれ、自分の部屋のベッドに寝かされたようだった。よく覚えていないが、そのまま眠ってしまった。とにかく熱で頭がクラクラしていた。


 その翌日、目が覚めたときはすでに日は高く昇っていた。ヤギは登校したのか、部屋にいなかったが、ベッドの近くのテーブルの上に、俺あてのメモとパンとチーズとシードルが置かれていた。朝食だろうか。あまり食欲がないながらも、それらを口に運んだ。もぐもぐ。熱のせいか、味がよくわからん……。


 メモを見ると、昼過ぎに医者が来るとだけ書かれていた。やはり今流行りのハシュシ風邪ってやつだろうか。メシを食うとすぐにまた横になった。だるい。


 しかし、熱が高いせいか、どうにも休めない感じだった。どこかに冷えピタシートとかないのか? いや、このさい熱さまシートでもいいが……と、きょろきょろと部屋を見回すと、俺の机の上にゴミ魔剣(今は籠手の形になっている)が置いてあるのが目に留まった。


「あれはさすがに、冷えピタや熱さまシートにはならんか……いや、まてよ?」


 俺はそこでふと地球での記憶を思い出し、立ち上がってゴミ魔剣を手に取った。


 そして、ゴミ魔剣を額に当て、


「ネム、でかい十円玉になれ」


 と、命じた!


 そう、十円玉は銅できている。そして、銅は熱伝導率が高い。つまり、でかい十円玉を額に当てることで、俺は熱を効率よく体から放出できる……はず? この十円玉冷却法は、実際にスマホやPCが熱を帯びたときに使える小技だぞ、確か? どこで知ったのかは、よく思い出せないが……。


『ア、ハーイ。マスターが暮らしていたあっちの世界の十円玉デスネー』


 ゴミ魔剣は実に俺の命令に忠実だった。すぐにその姿を籠手から、でかい十円玉に変えた。


 そう、直径二メートルぐらいの大きさの十円玉だ……。


「あ、あれ?」


 なんか大きすぎない、これ? 確かにでかい十円玉って頼んだけどさ、お盆くらいの大きさでよかった気がするんだが?


「ネム、これ――」

『存分に使ってくださいネー』

「あ、うん、そうね。せっかくだし使えばいいね」


 熱のせいで、ネムに文句を言う気力もなかった。なんか、大きいほうが熱放出率も高そうだし? 俺はそのままベッドに仰向けに横たわり、直径二メートルの十円玉を額に乗せた。ひんやりした銅の感触がすぐに伝わってきた。おお、これはもしや冷えピタなみに使えるのでは……。


 その表面に刻印された、平等院鳳凰堂をじっとながめながら、俺は次第に体が楽になっていくのを感じた。十円玉の「表」は実はこっちなんだ。十円って書いてあるほうは「裏」なんだ。刻印されている平等院鳳凰堂も、年代ごとに微妙にデザインが変わってるんだ。階段のところの線とか、扉とか。あと、十円玉を醤油とかケチャップとかで磨くとピカピカになる――つか、なぜ今日の俺は無駄に十円玉豆知識を脳から漏出してるんだ。これもハシシュ風邪とやらの症状の一つなのか。物知りすぎだろ、俺ぇ……。


 やがて、そのまま時はたち、医者が俺の部屋にやってきた。平等院鳳凰堂に視界を遮られて何も見えなかったが、その扉を開ける音と、こっちに近づいてくる足音が聞こえた。


「ちょ……君、いったい何して……」


 医者のおっさんは俺が額に直径二メートルの十円玉を乗せているのを見て、ぎょっとしたようだった。


 まあ、こんなにでかい十円玉は初めて見るだろうから無理もないか。俺も初めてだよ、こんな大きな十円玉を額に乗せるのは。


「……き、君、頭大丈夫?」

「大丈夫です。こうしていると楽なんです」

「いや……どう見ても大丈夫じゃなさそうなんだが、いろんな意味で……」


 医者のおっさんは心底心配そうにため息をついた。


 そして、何やら手持ちのカバンをがさごそしはじめ、十円玉の下に手を入れて、俺の腕やら胸やら触り始めた。なんだかよくわからない器具も使いながら。


 やがて、


「間違いないね、君はハシュシ風邪のようだ。それもかなり重症のようだ」


 きっぱりと言い切った。診断早いな、おい! PCR検査とかは必要ないのか。


「症状がおさまるまではここで安静にしていなさい。むやみに外に出て、ハシュシ風邪を人にうつすようなことは、絶対にしてはいけないよ」

「あ、はい……」


 ようはステイホームね。


「あと、もしもの時のために遺書も書いておきなさい」

「あ、はい……」


 って、ちょっと待てい!


「あ、あの、先生……俺、そんなに悪いんですか?」

「そうだね。君は熱で相当まいっているようだ」


 医者は俺の額の上の十円玉をさすりながら、もっともらしく言う。


「それに、ハシュシ風邪というのは、君のような若い人が一番死亡リスクが高いんだよ? 最新の疫学研究によると、ハシュシ風邪の全世代における平均死亡率は1%弱だが、十五歳から四十歳までの若年層に限定すると、これが5%に跳ね上がるんだ」

「な、なにそれぇ……」


 5%とか妙に死亡率高いし、十五歳からってのもなんなんだよ! 俺の歳から5%の死のガチャ始まるとか、聞いてねえぞ!


「いや、おかしいでしょ? こういう病気で真っ先に死ぬのは、だいたい老人でしょ? それなのに若い世代のほうが死亡率高いとか……」

「おかしいけど、そうなってるんだよねえ。それがハシュシ風邪の怖いところで」


 と、医者が言ったところで、


『いわゆる一つの、サイトカインストームってやつですかネー』


 と、ゴミ魔剣の声が聞こえた。なんだそれ?


「先生、死亡率5%とか、寝耳にウォーターすぎるんですけど、なんか治療法ないんですか? 薬とか回復魔法とか?」

「ああ、症状を軽くする薬ならいくつかあるし、回復魔法でも同じように症状を軽くできる。ただ、いずれも根本治療にはならないんだよ。自分の体の力だけでハシュシ風邪に勝たないと、薬や回復魔法の効果が切れたとたん、また症状が出てしまうんだ」


 なんと、自力で免疫ができないとどうしようもない病気らしい。


「まあ、そういうわけだから、今は安静にしていなさい。あと、もしものときのことを考えて、遺書を書いたり、誰かに言いたいことがあるのなら、枕元に呼んで伝えておきなさい」

「は、はあ」


 十円玉の下でうなずくと、医者はやがて部屋を出て行った。ついにその顔は見れずに終わった。


「誰かに伝えたいことって……」


 そんなの一つしかないじゃないか。俺のまぶたに、ユリィの顔が浮かんだ。

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