51.大森くんとの学食ランチB

 今は五月八日の午後一時を少しばかりすぎた辺り。ここは第一帝国大学のすぐ外、東門の入り口だ。

 まさに五月晴れ――昔は、梅雨の合間の晴れを意味していたのだが、最近ではこの時季の晴天を指す、この表現がピッタリの空である。穏やかな風が肌に心地よく感じられ、暑くも寒くもない爽やかな日ということ。

 この場所で、薄い色のワンピースを着て麦わら帽を被っている少女と、シャツにジーパンという軽装の青年が出会った。


「お、猪野!」

「あら大森くん♪」


 二人は並んで大学の敷地内に入った。

 歩きながら、正男が横にいる萩乃の顔を覗き込んでくる。


「なあ猪野、もう昼メシ食ったか?」

「いいえ。まだですわ」

「腹減ってね?」

「は、はい。少し空腹ですわ」


 今日は午後三時から複素関数論の講義がある。だが、その前に少し遅い昼食を済ませ、それから時間がくるまで図書館で過ごそうと、二人は別々に同じことを考えていたのだ。


「そうか。実はオレ、結構ペコペコなんだ」

「あらまあ」


 正男の腹は今にも鳴りそうだった。サイボーグも空腹感を覚えるものだ。


「そんじゃ、一直線に学食まで行くか?」

「はい。大森くん」


 歩いて学食に向かった。そう遠い場所ではない。東門からそのまま前方、約300メートルの位置にあるのだった。

 建物に入ると、美味しそうな香りが満ちている。

 ここでは、まず機械で食べたいメニューを選び、現金またはキャッシュレスで決済して、メニュー名の記載される「磁気注文札」を手に入れる。それを配膳カウンターで提示すれば、目的の料理を受け取ることができる。どこにでもありそうなシステムだ。


「ここはやっぱ昼定食かな。ランチAとBのどちらを食べるか」

「あの大森くん」

「ん猪野、どうした?」

「プッシュで相性診断、しませんこと?」

「なんだそりゃ?」


 一人が機械のボタン〔ランチA〕か〔ランチB〕のどちらかを押すタイミングで、もう一人が目をつむったまま、自分の食べたいほうを口に出して言う。それらが一致すれば二人の相性はよいと判断する、という単なる遊びだ。

 かつては「恋占い」などと呼ばれていて、昔も今も、女の子はこういう遊びを好むものである。


「どうせなら五択にしようぜ」

「え?」


 機械の最上段には二種類のランチAとBの他に、あと三つのボタン〔健康的うどん定食〕〔牛丼&野菜セット〕〔豚カツカレーライス&野菜セット〕が横に並んでいる。


「うどん定食がCで、牛丼がD、豚カツカレーがEな」

「はい」

「よしオレがプッシュするから、猪野が言ってみろ」

「わかりましたわ」

「あ、ちょ、タイム!」

「はい?」

「スマン、オレ財布持ってねえ。つまり一文無しなんだ。やっべぇなあ、クレカとかもねえし、どうしよ……」


 正男がそう言いながらズボンについている四つのポケットや、シャツの両胸にあるポケットを順番にまさぐっている。どこにもなにも入っていないようだ。


「それでしたら、わたくしにお任せくださいまし」


 萩乃が購買部でも使った黒いカードを取り出し、機械に挿入した。

 これで、どれでもボタンを押すことができる。


「せーの、で始めますわ」

「わかったぜ」

「それでは、せーの♪」

「ポチ!」

「B!」


 三秒くらい待ってから萩乃が目を開けた。磁気注文札とクレジットカードが機械から出てきて、受け取りを待っている。

 その注文札の表示を見て、萩乃が目を輝かせる。


「あらあら、ランチBをお選びになったのだわ!」

「ああ、まあな」

「相性よくってよ?」

「そうか……」


 どうも正男の様子がおかしい。相性のよいという結果が不服なのか。


「あの大森くん?」

「スマン。ちょっとオレ、ズルっこしちまった……」

「まあ、どういうことですの?」

「つまりなあ、猪野の声を聞いてからボタンを押したんだ」

「どうして、そのようになされたのですか?」

「いやあ、なんか猪野と同じのを食いたいと思ったんだ。ははは」

「……」


 正男の言葉を聞いて、萩乃は黙り込んでしまった。

 笑っていた正男が一瞬にして表情を変える。


「あっ、悪かった。怒ったのか?」

「いいえ。わたくしは嬉しいの」

「嬉しい!?」

「はい。大森くんが、わたくしと同じものを食べたいと思ってくださり、ズルっこの汚名を着てまで、そこまでなさって、わたくしの選ぶメニューのボタンを押してくださるだなんて……だからわたくし、とても嬉しいのですわ♪」

「あ、そうかそうか。結果よければすべてよし、なんてな。わははは!」

「うふふ」


 萩乃はもう一度カードを挿入し〔ランチB〕を押す。これで準備完了。

 それから配膳カウンターまで行き、トレーに注文札を載せて差し出す。すると職員の手によって、学食ランチBの品々が手際よく置かれる。

 短い隙に、正男がセルフの湯茶水コーナーへ向かい、熱い焙じ茶を二人分淹れて、素早く戻ってくる。湯呑みの一つを萩乃のトレーに載せ、もう一つを自分のに置く。


「ありがとうございます」

「おう。よし、あそこにしようぜ」


 正男が空いている四人用テーブルを見つけて指差した。二人はそこまで移動し、対面する形で着席する。

 本日の学食ランチBは、サバの味噌煮、ほうれん草の胡麻あえ、きんぴらごぼう・コンニャク・人参などの甘辛煮、白味噌仕立て豆腐・舞茸・ワカメ入り汁、そしてもちろん熱々の白米――どれも、日本の家庭的料理としては定番の品ばかり。


【~課題クリア~第1話.大森くんとの学食ランチB】

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