50.過酷な話とフェッチトランスファー

 萩乃の自己世界では、明治百四十年四月二十一日、土曜の夜である。


「そうか、鬼に好かれてしまったか。ははは」

「笑いごとではありませんわ。わたくし、もう顔から火の噴くほど、とっても恥ずかしい気持ちでしたのに!」

「おお、それなら萩乃、口からも火を噴いて、焼いて退治したらどうだい?」

「わたくしは怪獣ではありませんわ!」

「はははは、失敬失敬!」

「もう、真面目にお聞きくださらないのでしたら、お話ししません!」

「ごめんごめん。あははは、愉快痛快!」

「お兄様!! またそのようにして、お笑いなさるのね!」


 いつもと同様、二人きりの夕食の席で、当然のことながらゲームの内容が話題となっている。

 しかし、今日の兄は少々おふざけがすぎているようだ。なにか不都合なことでもあったのだろうか。

 勘のよい萩乃は気になって、率直に尋ねてみる。


「今日のお兄様は、変ではありませんこと?」

「お萩乃、わかるのかい?」

「はい。少しばかり不真面目ですわ」

「そうかそうか。それじゃあ萩乃、逆に少しばかり、いや、とても真面目な話でもしようか。それはそれで、とても過酷な話なのだが……」


 兄は言葉を濁し、萩乃へ注いでいた視線もそらし、壁にかかっている西洋画を見つめている。少年が空を飛んでいる幻想的な絵を眺めているのだ。


「過酷? なんですの?」

「うん。萩乃の夢で出会った、あの大森正男くんは、この際はっきり言えば、あと三ヶ月くらいで、死に至るのだよ」

「えっ、それは本当ですの!?」

「本当だとも。物理的にも精神的にも、死滅することとなる」

「そ、それは、いったいどういうことですの? ご冗談で、そんなことをおっしゃるのなら、今度ばかりは、絶対にお許しできませんことよ!」

「いやいや、兄さんも、できることなら冗談だと笑い飛ばしたい。だがなあ、しかしながらそうではなく、確実に、起きてしまう事象なのだよ」


 真剣そのものの表情で話す兄の顔を見て、ようやく萩乃は得心した。


「それでは、やはり助かりませんのね、大森くん……」

「いやあ萩乃、そこまでは言っていないのだよ」

「え!? でも、でも確実に、起きてしまうのでは?」

「彼の宇宙における確率なら、その通りだよ」

「大森くんのお身体は、大森くんの宇宙にありますわ! ですから、もうどうすることも、できないのでは?」

「いいや、彼の身体をこの世界へと転移させれば、話も変わってくる」

「まあ、そんなことできますの?」

「問題はそこなのだよ。成功率が100%とはいかない。それでも、彼の今の状態でなら、せいぜい80%で可能といったところだ。そして、日が経過するほど、成功する確率は低くなってしまう」

「お兄様、その試みをやってくださいますの?」

「逆に言うなら、20%の確率で即時的に死ぬが、それでよければな」

「あらまあ……」


 つまり、およそ三ヶ月ギリギリまで先延ばしにするか、20%の即死という危険を冒して今すぐにでも80%の可能性にかけるか、という二択である。


「フェッチトランスファーと呼ぶ技術をだね、兄さんの会社で実用化の一歩前にきているのだ」


 フェッチというのは「取ってくる」を意味する語句だ。

 従来からあるトランスファーは、こちらからあちらへ転移させる技術で、それに対しフェッチトランスファーは、あちらからこちらへ転移させる新しい技術なのである。


「それも企業秘密なのですか?」

「うん、そうだよ。それで、最初の被験者に大森くんがなってくれるのなら、彼にとっても決して悪い話ではないかもしれない。命がけではあるけれど……ああ、もちろん彼自身が同意してくれるのならね。あ、しかしまずは、この案件に萩乃が賛同してくれればの話なのだよ。さあ、どうするね?」

「早くて、いつできますの?」

「次の火曜だな」

「では月曜の夜に、わたくしの回答をさせて頂きますわ。よろしくて?」

「もちろんだとも」


 こうして、萩乃と兄の夕食の時間は幕を閉じる。

 就寝前になって、萩乃は微かに熱があることに気づいた。


(カゼではないようですけれど、頭が少し痛いですわ)


 萩乃の耳飾りには健康チェックの機能があるのだが、異常は検知していない。つまり体調は、科学的な判定結果のうえでは「良好」なのである。

 夢遊テレポ能力者であると診断されてから、およそ一年と二ヶ月が過ぎようとしているのだが、この間に萩乃は一度もカゼを引いていないし、他の病気にもなっていない。

 ただ昔から、病は気からという言葉もあるように、気分次第で人間の身体の調子に影響してくることも当然あり得る。

 この十日間、日曜を除いて毎日ゲームを続けてきた。少しずつの時間だったが、精神的に参ってしまったことも少なくない。しかも先程、正男に与えられた「死の宣告」という過酷な話を兄から聞かされ、心が痛んでもいる。それが頭の痛みにつながっているのかもしれない。

 明日は日曜なのでゆっくり休もうと決め、そして正男に対するフェッチトランスファーの件がうまくゆくことを信じ、萩乃は眠りにつくのだった。

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