3.ペガサス級の料理人&兄との夕食

 兄が洋菓子ファンなので、日本食が専門の萩乃でもスイーツのレシピ本を九冊所有している。その中から一番美味しそうなババロアを選ぶ。作るのに必要となる材料を確認して、メモ用紙に書き取った。

 部屋を出て、次は厨房を訪れる。

 ちょうど、小さい身体の料理人が夕食の支度をしている。ふんわりふわりと浮かびながら仕事をしているところに、猪野家のお嬢様である萩乃が現れたので、すぐに着地して一礼する。そういう律儀者なのだ。


 この世界の人類は、大きく分けて二種類がある。

 一つは萩乃たちホモサピエンス。もう一つは先天的に浮遊能力を持っているホモフローレシエンシス。


 料理人のフローラナイチンゲールは後者だ。

 百五十歳を超える老婆なのだが、まだまだ元気に現役を続けている。身長がホモサピエンスの幼児並みなので、彼女の頭のてっぺんは萩乃の胸より少し下の位置にある。

 萩乃が近づくと、ぐいっと頭部を反らせて見上げてくる。


「おいやまぁ、お嬢様、どうなすったかな?」

「ナイチンゲールさん。この素材を揃えてもらいたいのですわ」

「ほっほ~、ババロアに挑戦なさるですかえ。へえへえ、お任せくだせえませ。そいでもって、いつお作りになるでしょうかな?」

「さっそく今夜ですわ。急なことですみません。ですから食事のあとで、ここを使わせて頂きますわ。よろしくて?」

「へえへえ、がってんでさ。ひょほほほ~」


 異国生まれ異国育ちのナイチンゲールだが、この通り日本語はペラペラだ。

 第一次地球大戦終結直後に初来日して以降、ずっと猪野家で厨房を守ってくれている。

 若い頃は戦場を飛び回りながら料理をしていた人で、なんでも当時は「クリムの妖精」と呼ばれるほどの美少女だったとか。


 だからナイチンゲールの料理の腕前はかなりのもの。なにしろ料理ライセンスが、ペガサス級と呼ばれる一等級の中でも最高ランクの四ツ星なのだから当然だ。

 そして、三ツ星のオリオン級、二ツ星のシリウス級、星一つの二等級があって、萩乃は星なしの三等級、つまり最低ランクなのだ。

 それでも三等級なら料理人であることに違いはなく、店を構えることだってできる。


(この人にお任せしておけば、材料の品質に間違いありませんものね。あとはわたくしの腕しだいですわ。がんばりますわよ、お兄様!)

「ささあ、お嬢様、ダイニングルームへ。若旦那様がお待ちじゃで」

「はい」


 ∞ ∞ ∞


 父はオーケストラの指揮者なので、いつも地球を走り回っている。母はシャトルパイロットなので、いつも宇宙を駆け巡っている。それでも年に十回くらいは会えている。

 今夜も兄と二人だけで、食卓を挟み向き合っている。ナイチンゲールの料理を楽しみながら。


「萩乃」

「はい」

「兄さんに、なにか話したいことがあるのだろう?」

「あらお兄様、おわかりかしら?」

「もちろんだとも。兄さんの大好きな、萩乃のことだからな」

「うふふ。嬉しいですわ。それでしたら、お当てになれて?」

「うん。アステロイドゲームスが最近発売した、大森くんのゲームをやってみたくなったのだろう?」

「その通りですわ。うふふふ」


 萩乃が嬉しそうに笑う。もちろん兄も嬉しい。

 当てたことよりも、妹がとても嬉しそうだから兄も嬉しいのだ。


「一つだけ、聞いておきたいのだがなあ」

「なんですの?」

「あのゲームのシステムにはフルトランスファーの機能がある。それの初期設定はオフだが、オンに切り替えると、たとえゲームであっても、怪我をしたり命を落としたりする危険が生じる。ゲームをやるに際して、萩乃はそれをどうするつもりか?」


 フルトランスファー設定をオンにすると、プレイヤーの身体つまり生命体球も一緒に、ゲーム世界へと転移できてしまうのだ。そうすることで、命がけの冒険も可能となる。

 ゲーマーの中には、真のスリルを味わいたいという者も多い。それで実際にフルトランスファーをした結果、例えばモンスターに食われたりするなど、大勢の者が物理的に死亡しているらしい。そうなってしまうと残った生命体魂は、亜空間を漂いながら擦り減って消えるか、あるいは稀に別世界へ転移することになる。

 設定をどうするかは自由意志に委ねられている。すべて自己責任だ。


「もちろん、フルトランスファーはオフですわ」

「そうか……あ、余計な心配だったな。うん、あとで購入手続きをしよう」

「まあまあ、お兄様! 大好きですわ!!」


 威勢よく席を立つ萩乃。食卓が揺れる。

 こういう萩乃の振る舞いも、今では珍しいことだ。


「あっ、こらこら! パンプキンポタージュが溢れてしまうではないか」

「あらまあ、すみません……わたくしとしたことが」


 まるで花が萎れゆくようになって着席する萩乃。

 兄の南瓜汁が溢れそうになっていなかったら、そばへ駆け寄って、思いきり抱きついていただろう。それこそ汁皿もひっくり返ったに違いない。

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