第8話  十年目にして主人公

 強い風が吹いていた。

 トールは広大な草原を見回し、ストレッチをする。


「明日も晴れそうだな」


 遠くに見える山の雲のかかり具合から予測しつつ、トールはストレッチを終えて後ろを見た。

 魔機車のキャンピングトレーラーをバックに双子が結界魔機の準備を進めている。


 作戦決行日は明日。今頃は五百キロメートルほど離れた各地で子機の準備も進められ、途中には魔力を中継するアンテナのようなものが立てられているはずだ。


 トールは金属を探知して周囲に埋めた鉄杭の位置を改めて確認する。

 魔機車を中心に半径一キロメートルに埋められた鉄杭はどれも長さ一メートルほどもある。振り回すだけでも十分な殺傷能力があるその鉄杭はトールの磁力に反応して地面から突き出し、地上の魔機獣を攻撃する仕組みだ。


 罠であり武器でもあるそんな鉄杭があちこちに埋められているのには理由がある。


「やぁ、トール君。こっちの準備は進んでいるかい?」

「キリシュさん、わざわざこっちに来たのか?」


 デイウォーカーだけあって昼間のこの時間でも顔色一つ変えずに歩いてきたキリシュに、トールは尋ねる。

 キリシュは双子の方を見た。


「準備に分からないところがあったりしないかと思ってね。あの様子なら心配はいらないようだけど」

「事前に説明書も渡されているから、手間取ることもないらしいぞ。俺にはさっぱり分からないけど」


 開発者であるエガラ・ストフィから事前に説明を受けたこともあり、結界魔機の準備を行う双子の動きによどみはない。

 キリシュが周囲を見回した。


「本部から謝罪があったよ。十分な戦力を確保できずに申し訳ないとさ」


 親機周辺の戦力はトールのみ。一キロメートル先には八方向に序列持ちなどが控えているものの、全体的な戦力不足は否めない。

 しかし、トールはあまり悲観していなかった。


「子機の方の警備に戦力を割くのは前から決まってたことだし、親機周辺が一番戦力が整っているのは分かってるから文句は言わないさ」


 序列十七位のトールを中心に、東西南北にそれぞれ、序列五位Aランクパーティ金城、序列十九位、ソロB百里通しのファライ、序列三十二位、ソロB俯瞰のミッツィ、序列四十一位Bランクパーティ鞘討ちといった実力と実績を兼ね備えた高位の冒険者が配置されている。

 さらに、隙間を埋める様に四方向にロクックが率いるファンガーロのオーバーパーツ持ちとその仲間たち、キリシュを筆頭としたデイウォーカー集団、クラムベローからリスキナン・ベロー率いるAランクパーティと傘下『ブルーブラッド』のクランメンバー、ミッツィと鞘討ちの声掛けで集まった歴戦のエルフ集団が控えている。


 どの方面の部隊もそこらの遺跡を制圧できる戦力だ。簡単には瓦解しない。

 むしろ、子機や中継アンテナの防衛部隊の方が脆いかもしれない。


「光剣のカランは子機の方にいるのか?」

「そうだよ。ここは顔見知りが多いからちょっと離れたところに行ってもらっている。鬼族と一緒に防衛だね」

「巣ごもりしてるなら引っ張り出してやろうかと思ったんだけどな」

「あれだけの戦力を遊ばせておくわけはないさ。でも、いまごろは鬼族の料理を教わっているんじゃないかな」


 そういえば料理屋を開くのが夢だったなとトールはカランの顔を思い浮かべて苦笑する。

 キリシュが魔機車を指さした。


「親機の起動はキャンピングトレーラーの中でやるんだろう? 赤雷で感電したりはしないのかい?」

「ファンガーロのコーエンっていう凄腕の魔機師に改造してもらってある。作戦中、強力なエンチャントが車体に施されるから俺の赤雷や魔機獣の魔法攻撃に耐える仕様だ。もともと、冒険者用の車体だしな」


 危険地帯で簡易のバリケードとしての使用も考慮された魔機車であるため、頑丈さは折り紙付きだ。

 結界魔機を起動する間のシェルターとして十分に活用できるだろう。


「それより、結界魔機の発動後の方が問題だと思うんだけどな」

「警備の話は確かに問題だね。ここに街を作ろうという話もあるよ。全種族の交流場所としても使える街をね」

「なんだよ、もうそこまで話が進んでるのか。なら、終わってから考えるとしようかな」


 発動後も結界魔機の警備役として雇い入れたいとの打診があったが、トールと双子は回答を保留している。

 この何もない草原に縛り付けられるのは嫌だったからだ。


「それじゃあ、僕はそろそろ持ち場に戻るよ。作戦の決行は明朝、合図の狼煙が上がるから、トール君は赤雷で結界魔機の起動開始を知らせてくれ」

「了解。お互い死なないように頑張ろうぜ」

「僕はトール君が死ぬところを想像できないね」


 肩をすくめたキリシュはそう言って、持ち場へ戻っていった。

 トールは魔機車を振り返る。

 準備を整えた双子が魔機車の中に結界魔機を運び込むところだった。


「手伝おうか?」

「軽いので大丈夫です」

「頼られたいお年頃なら頼りましょうか?」

「気を使う流れじゃないぞ?」


 トールは結界魔機をひょいと持ち上げて、魔機車の中に運び込む。

 双子の指示に従って結界魔機をキャンピングトレーラーの隅に置いた。

 キャンピングトレーラーの壁には各地に設置した子機の周囲を写した青写真が並んでいる。

 仕方がないこととはいえ、目にうるさい壁にうんざりするトールにユーフィとメーリィが苦笑した。


「明日の作戦終了と同時に外しましょうか?」

「いや、検証とかもあるだろうし、そのままにしておこう」


 正直邪魔だけど、と心の中で呟くトールを見透かしたようにメーリィが笑いかける。


「物をあまり持たない主義のトールさんにとっては邪魔かもしれませんが、私たちとしては今度行くときにもっとちゃんと観光したい場所だったりします」

「見て回るだけで観光まではしてないもんな。どこに行きたいんだ?」


 椅子に座って尋ねると、ユーフィとメーリィが青写真の一枚を指さす。


「まずは温泉です。硫黄温泉はまだ入ったことがありませんし、温泉卵も食べてません」

「炭酸泉だと温泉卵は無理だったしな」


 以前に浸かった炭酸泉は源泉の温度でも五十度を少し超える程度で温泉卵は作れなかった。


「他にも滝を見に行きたいです」

「後はダンジョン観光事業唯一の成功例、桜ダンジョンでお花見もいいですね」


 盛り上がる二人に、トールは視線を泳がせる。


「……桜じゃなくて梅なんだけどな、あれ」

「……え?」


 トールも昔、桜ダンジョンと聞いて地球への帰還の手がかりになるのではと出向いたことがある。

 しかし、咲いていたのは桜ではなく梅だった。


「地元で売られていた桜酒は……?」

「梅酒だな。美味いけど」


 トールが微妙な表情で明かす真実に双子は眉を寄せる。


「決めました。間違った異世界知識が広まらないよう、落ち物を集めて博物館を建てましょう」

「待て待て、どういう発想の飛躍の仕方だ」

「トールさんにとっても故郷を思い出せる品が集まって幸せ、私たちも知識欲が満たせて幸せ、世間も間違った知識が広まらずに幸せ、誰も損をしません。建てましょう、博物館!」

「……まぁ、目標はないよりあったほうがいいか」


 世界を救った後に燃え尽き症候群になるのもつまらない。トールは苦笑を浮かべつつ、双子の夢に賛成する。


「二人と旅ができるなら何でもいいしな」

「決まりですね。さくさくっと結界を張って、旅行しながら展示品をかき集めましょう」


 意気込む二人にトールはつられて笑う。

 世界を救う前の日とは思えないほど、三人はいつも通りだった。



 白み始めた空に赤い狼煙が上がり始める。

 煮炊きの煙とは明らかに違うその色は作戦決行準備が完了した合図だ。

 トールは魔機車のキャンピングトレーラーの上に胡坐をかいて各方面の狼煙を見回す。


「全方面部隊、準備完了だな」


 サンルーフからトレーラーの中の双子に声をかける。


「始めるが、いいか?」

「いつでもいいですよ」

「ちゃんと守ってくださいね」

「当然だろ――始めよう」


 トールはサンルーフを閉め、トレーラーの上に立ち上がる。

 鎖手袋に覆われた両手を開き、エンチャントを発動した。


「転移して十年目に、世界を救う大仕事か……」


 感慨深く呟いて、鎖戦輪を握る。


「――主人公にでもなった気分だ」


 直後、青い空を赤雷が貫いた。

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