第20話 合成ウルトラマリン
「楽しい」
「嬉しい」
双子が両手を合わせてニコニコ笑って唱和した。
「科学実験のお時間です!」
魔機獣襲撃の翌日、情報漏洩を警戒して夜間に陶芸教室の窯を借りてウルトラマリンの合成実験は開かれた。
キリシュとピアムは自宅待機という名の引っ越し準備に追われているため、陶芸教室に集まったのはトールと双子、リスキナンとベロー家当主のみだ。
トールは出席こそしているものの、あくびをかみ殺して双子に生暖かい視線を注いでいる。
トールの視線を見とがめたユーフィが頬を膨らませた。
「そこ、真面目に聞いてください。実験中は集中しないと危険だと教わりませんでしたか、先生に」
「はーい、保健室に行っていいっすかー?」
「駄目です」
逃げ損ねたと、トールは机に頬杖を突いて周囲を見回す。
クラムベローの陶芸教室は陶器の形よりも絵付けに重点が置かれているらしく、作業台が広くとられた机と釉薬が並んでいる。
しかし、双子の周囲に置かれたものは実に場違いなものばかりだった。
メーリィが一つ一つ持ち上げてリスキナンとベロー家当主に中身を見せる。
「まずは材料です。石英、炭酸ナトリウム、酸化アルミニウム、硫酸ナトリウム、硫黄、炭、以上の六品の粉末を用意してあります」
石英と炭酸ナトリウムはガラス工房から、酸化アルミニウムは魔機獣襲撃の直前にトールが街中で撃墜したアラートホークという魔機獣の部品から得ている。
「酸化アルミニウムは入手先に伝手があります。手紙を書いておきましたので、どうぞ」
「ファンガーロ……魔機都市ですか」
リスキナンが手紙の宛先を見て納得する。
双子が魔石の充填法をファンガーロで確立したとの情報が入っているからだ。
「硫酸ナトリウムは塩を濃硫酸に溶かして加熱し、水分を飛ばして得ています。レシピはこちら」
ユーフィが硫酸ナトリウムの作成手順書を渡し、サンプルにどうぞと硫酸ナトリウム粉末も差し出した。
「臭いな。温泉町の臭いを思い出す」
ベロー家当主が顔を背ける。
隣にいたリスキナンも硫黄臭に顔をしかめた。
二人の反応を気にせず、双子はさらに説明を続ける。
「次に硫黄と炭です。先ほど指摘があったように、硫黄は温泉町から輸入してください。今回は薬問屋から少量、もらい受けました。炭はこの陶芸教室からのご厚意です」
材料の説明を終えた双子は窯の様子を横目で見て、頷く。
「では、ウルトラマリンを合成しましょう」
「うむ」
ベロー家当主が待ってましたとばかりに注目する。
双子が材料の粉末を次々に陶器の鉢に入れて混ぜ合わせる。
「最初に各種粉末をまとめて混ぜます」
「ふむ」
ベロー家当主は双子の一挙手一投足を余さず見届けようと瞬きも忘れて見つめている。
宝石、ラピスラズリから得られる高価な青、ウルトラマリン。
長年、ベロー家が財政に頭を悩ませる主要因でもあったウルトラマリン。
それが今、目の前で一から生み出されるというのだ。
いったんどんな魔法が飛び出すのか、興味津々だった。
「最後に、窯で焼きます」
「ふむ――ん? 最後?」
ベロー家当主が厳しい顔で相槌を打った直後に、疑問の声を上げる。
双子は混合粉末を入れた鉢を窯に入れてふたを閉め、やり遂げた顔でトールの元へ歩いてきた。
「実験終わりですね」
「長く苦しい戦いでした」
「いや、手順二つじゃん。混ぜて焼いて終わりじゃん。マジで、これで合成できるのか?」
ベロー家当主とリスキナンが抱える疑問を代弁するトールに双子は窯を指さす。
「不思議でしたら、取り出してみますか? 硫黄分が燃え切っていないのでまだ緑色だと思いますけど。ちなみに、緑色の状態でもウルトラマリングリーンといって顔料として使用できますよ」
「それはそれで商品価値があるんじゃないか? リスキナン、緑色の顔料って需要はあるか?」
「色味によりますが、顔料を自作できるという一点だけでも検分の価値がありますね。そもそも、完成品までの過程も知りたいので一目見せてもらいたいです」
リスキナンが双子に頼む。
「分かりました。少々お待ちください」
タイミングを計ってメーリィが窯の蓋を開け、中から陶器の鉢を取り出した。
鉄のトレイの上に陶器の鉢がそっと置かれる。
リスキナンが鉢の中を覗き込み、驚きに目を見張った。
「これはすごい。鮮やかな緑ですね。緑青や孔雀石とも異なる……。退色しませんか? 油に溶かせますか?」
「酸には弱いですが、おおむねウルトラマリンと同じ性質ですよ」
「少量、頂きたい。実際に使ってみたいので」
「どうぞ。半分ほど差し上げます。残りは再加熱して合成ウルトラマリンにしますね」
小分けしてリスキナンにウルトラマリングリーンを渡し、残りが再度窯に投入される。
水や油にウルトラマリングリーンを溶かして紙に線を引いたリスキナンは真剣な顔で魔機灯にかざして発色具合を調べ始めた。
画家としても活動するだけあって真剣そのものだ。
ウルトラマリンの硫黄分が燃え尽きるまで暇だったのだろう、ベロー家当主がトールに声をかけてくる。
「吸血鬼については機密として扱うことを約束しよう。資料も残していない。今後、君たちはどうするのかな? 吸血鬼は引っ越すと聞いたが」
「魔機車に乗ってクラムベローを出るつもりだ。なんでも、新しい吸血鬼が生まれたら一度里に帰ってお披露目しないといけないらしくてな。俺も吸血鬼の里には興味があるから、同行することになった」
フラウハラウというらしい吸血鬼の隠れ里にキリシュが案内してくれるという。
当然、所在地は極秘だ。
ベロー家当主は「そうか」と呟いてため息をこぼす。
「クラムベローの吸血鬼はいなくなってしまうのか」
「そういうことだな」
「魔物を人知れず狩っていた理由は聞いているかね?」
クラムベローの人々の手には負えないような強力な魔物を狙って血を吸っていた理由。
ベロー家当主に尋ねられ、トールはキリシュの言葉を思い出す。
「人目を避けていたこともあるらしいが、それ以上にクラムベローへの被害を食い止めるためらしい。貿易で成り立っているクラムベローの周辺であんな強力な魔物が暴れれば少なからず影響が出るから事前に狩っておいたんだそうだ」
「やはりか。血が欲しいだけならばほかにいくらでも手ごろな魔物がいる。それは紺青作りを始めるようになって痛感した。我々領主一族よりもクラムベローのために動いてくれていたのだな」
しみじみと、どこか寂しそうに言うベロー家当主にトールは苦笑する。
「クラムベローに被害を出さないようにしたかったのは娘のためらしいぜ」
「娘?」
「あぁ、クラムベローの吸血鬼は子煩悩なんだ」
吸血鬼と子煩悩という単語の相性の悪さに、ベロー家当主が苦笑する。
「そうか。どんな種族であれ、子が大事か」
ベロー家当主は呟くと、顔を険しくした。
「ならば、話しておかねばな。太陽聖教会を知っているかね?」
「知らないな。宗教か?」
「旧文明時代に吸血鬼に対抗するべく作られた宗教だとされている。もうほとんど形骸化していた。だが、クラムベローの吸血鬼事件を聞きつけて勢力を伸ばそうと無理を通していると聞く」
「へぇ。接触があったのか?」
「あぁ、なんでも、実力のある冒険者を勇者と祭り上げて何かをするつもりらしい。吸血鬼被害に悩むのなら、と支援を要請されたが断った」
ベロー家当主はトールの顔を正面から見て、忠告する。
「今回の落陽の一件で勢力はさらに拡大するだろう。吸血鬼の隠れ里に行くのなら、巻き込まれないように気を付けたまえ」
「分かった。尾行なんかには気を付けておこう。情報提供、感謝するよ」
トールが礼を言うのと同時に、双子が窯の蓋を開けて中身を取り出した。
「できましたよ」
「合成ウルトラマリンです」
鉄のトレーに再度置かれた陶器の鉢の中で鮮やかな青が魔機灯に照らされていた。
リスキナンが鉢の中の顔料を水で溶き、紙に線を引く。
「粒子の細かさも色味もウルトラマリンですね。少々、雑味がない色ではありますが、素人目には見分けもつかないほどです」
感動を覚えたのか、リスキナンは自分で引いたたった一本の青い線を見つめ始めた。
ユーフィが後片付け、メーリィが手順書の紙をベロー家当主に渡す。
これで用事は終わり、と双子はリスキナンの顔を覗き込んだ。
「さぁ、紺青の在庫全てを!」
「さぁ、『デズラータム宗祭事書』を!」
頂戴、と両手を出す双子にリスキナンは苦笑して、持ち込んでいたカバンを指さした。
「全部入っています。少々重いですが――」
「トールさん!」
「へーい。荷物持ちですよー」
「序列十七位を荷物持ちに……」
自身も冒険者であるリスキナンが絶句する。
トールはカバンをひょいと軽い調子で持ち上げて、リスキナンとベロー家当主を見た。
「そんじゃあ、俺たちはもう都市を出るよ。お元気で」
「さようなら。またブラッドソーセージを食べに来ますね」
あっさりと陶芸教室を後にする。
リスキナンたちはすぐに合成ウルトラマリンの生産体制を整えるべく動き出した。
トールは双子と共にキリシュとピアムが待つ家に向かう。
「依頼を受けなかったからただ働きだと思ってたんだが、ちゃっかりしているよな」
「この本、すごく面白いですよ!」
メーリィが『デズラータム宗祭事書』をめくりながら興奮気味に言う。
ユーフィが足元や道の先に注意して思考共有を働かせている、歩きながら本を読んでもメーリィに危険はない。
つくづく便利な能力だな、と感心しつつ、トールはユーフィに声をかけた。
「紺青で絵を描くんだろ? どんな絵を描くのか決めてるのか?」
「決めていなかったんですけど、昨夜の空が実に綺麗だったので絵にしようと思います」
「あぁ、落陽の登場で夜とは思えない青空が見えてたな」
球体の落陽と白い雲の輪、そしてその中心や周囲に広がる青空。さらには遠くに追いやられた夜の闇。コントラストがはっきりとしていて紺青を使って描くのならばこれ以上はない題材だ。
しかし、ユーフィは「わかってませんね」とトールに笑いかける。
「青空を貫く赤雷があってこそ、昨夜の景色は映えるんですよ」
「え、俺も題材に入ってんの? 恥ずかしいんだけど」
「出来上がったらクラムベローの絵画コンクールに送り付けてあげましょう。入賞間違いなしですよ」
「クラムベローの吸血鬼の代わりに赤雷のエピソードはいい観光資源になりそうですね」
「メーリィ、本を読んでたんじゃなかったのかよ! というか、お前まで何言ってる!?」
「格好よく描きましょう!」
「なぜそうまで描きたがる!?」
ごり押ししようとしてくる双子を問い詰める。
ユーフィとメーリィがトールを見上げた。
「こんなことがあったという思い出話に花を咲かせるためです」
「……それを言われたら反対できなくなるの知ってて言うんだよなぁ。ずるくねぇ?」
トールはため息をついた。
「分かったよ。せめて、格好よく描けよ?」
「照れてます?」
「照れてねーですけども?」
「やっぱり照れてるじゃないですか。その表情も別の絵に残して魔機車に飾りましょう?」
「それはまじでやめろ。これからはキリシュさんとかも乗るんだぞ」
「どうしましょうかねぇ」
「ねぇ」
悪戯っぽく笑う双子を説得しようと言葉を尽くしているうちに魔機車が見えてくる。
キリシュとピアムはすでに準備を整えているようだ。
「時間切れですね。トールさん、残念でした」
「おい、本当にやめてくれ。お願いします」
「もちろん、良いですよ」
「飾って他の人にも見せるのはもったいないですから」
「うん? いや、止めてくれるんなら何でもいいけど」
くすくす笑う二人にからかわれただけだと気付いて、トールは苦笑する。
「早く乗れ。キリシュさんとピアムも乗車してくれ。ピアムは二階部分に乗ってくれれば陽光は防げる。サンルーフは閉じてあるからな」
「では、お邪魔しようかな」
「魔機車って初めて。中が広い!」
はしゃぐピアムに双子がほほえましそうに笑いながら乗り込む。
トールは運転席のドアを開けて乗り込んだ。
横を見て、気付く。
キリシュが助手席に座っていた。
「そこに座る?」
「道案内にちょうどいいポジションだからね」
「まぁ、確かに。それじゃ、道案内を頼んだ」
トールはアクセルを踏み込む。
夜とはいえ、外にはまだトールが蹴散らした魔機獣の部品が散乱しているため冒険者や衛兵が回収作業に追われている。
おかげで、防壁の門は開いていた。
トールに気付いて敬礼してくる門番に軽く挨拶して、トールたちはクラムベローを出発する。
目的地は、吸血鬼の隠れ里フラウハラウ。
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