第17話 クラムベロー防衛戦
「何してんだよ、あんたは」
「いやぁ、センスが古いかと思ったんだけどね?」
職質の原因になった仮面を外しながらキリシュは苦笑する。
「ともあれ、ここまでくれば目撃者も出ないだろう。さぁ、魔機獣を狩ろうか。トール君、自信のほどは?」
「魔機獣が相手なら死にはしないだろ。キリシュさんは吸血鬼になってどれくらい?」
キリシュに答えながら、トールは静かな森に耳を澄ませる。
魔機獣の接近を感じ取った魔物や動物が逃げ出し、隠れ潜んでいる。同時に、魔機獣たちは森の各所で合流して群れを形成しているらしく、付近にはいなかった。
キリシュがショートソードを抜きながらトールの質問に答える。
「三百年ほど経つかなぁ。四年目までは数えていたんだけど」
「飽きるの早いな!?」
この世界に来て十年目を祝っていたトールは自身と照らし合わせてツッコミを入れる。
「三百年ともなると、もう戦闘で死ぬことはないだろうな。魔機獣との戦いで互いのことは気にしない方向でいいか?」
「正直なところ、トール君との戦いだと死にかねないと思ってるけどね。まぁ、魔機獣が相手なら死の危険は感じないかな。ただ、今回の群れは僕が狙いだろう? 何か強力なのが来るかもしれないね」
強力な魔機獣と言われてトールが脳裏に姿を思い浮かべるのはガザン荒野の魔機龍だ。あのレベルであれば対吸血鬼用に二、三頭加わっていてもおかしくない。
「三百年ものの吸血鬼に対抗するなら魔機龍は焼け石に水か。半日と経たずにクラムベローに到着する魔機獣で強力なもの……思いつかないな」
出くわせばわかるかと暢気に考えて、トールは空を見上げた。
陽が沈む。吸血鬼の特性を知っていれば夜襲ではなく明け方に襲撃してくるはずだが、どうやら魔機獣は一刻も早く吸血鬼を駆逐したくてたまらないらしい。
俄かに森全体を殺意が包み込んだ。
耳鳴りがするほどの静寂とは裏腹にそこかしこに強い気配が現れ剥き出しの殺意が空気を震わせる。
本能的な恐怖を呼び起こされる重い空気の中、トールは笑みを浮かべた。
「――派手に行こうぜ」
直後、赤雷が網のように空へと広がった。
鮮やかな一瞬の赤雷は芸術都市クラムベローにふさわしい戦闘開始の狼煙となる。
クラムベローに向かっていた殺意が一斉にトールへとむけられる。
森の各所から包囲を形成しながら急速に距離を詰めてくる金属反応を感じ取りながら、トールは地を蹴った。
「まずは四匹」
木の幹を利用して死角を縫いながら近づいてきていた蝙蝠型の魔機獣四匹に狙いを定め、鎖戦輪を一直線に投げつける。
金属同士がこすれて盛大な音を奏でながら鎖戦輪は木の幹を中心にぐるりと回り、死角に潜んでいた魔機獣を斬り殺した。
視界に入らずとも、金属反応がある魔機獣からトールが奇襲を受けることはない。
「ついでにお前も――」
鎖戦輪を引き戻しながら、左手でマキビシを一つ親指で弾き飛ばす。
蝙蝠型の魔機獣にトールたちの死角を教えるべく十メートル先に潜んでいたネズミ型の魔機獣は、高速で飛来するマキビシを頭部に受けて後ろに転がり、絶命した。
「キリシュさんの腕を見たい。そっちのでかいの、任せていいか?」
「構わないとも」
Cランクの冒険者でも腰が引けるような魔機獣の群れのただなかとは思えないほど軽い調子で言葉を交わし、キリシュがショートソードに魔力をまとわせる。
勢いよく走ってくる巨大な魔機獣の正面で、キリシュは剣を構えることもなくだらりと腕を下げたまま待ち受けた。
ハマーブルと呼ばれる、破城槌のように巨大な鉄の一本角を持つ魔機獣だ。四肢も魔機で強化され、エンチャントまで使用する強力な魔機獣である。
ハマーブルの全身に薄い膜状の何かが広がった。空気抵抗を減らす効果があるのか、一気に加速する。
巨大なハマーブルの突進で巻き起こった風が巨木の幹すら震わせた。
「面白いエンチャントだね」
突撃してくるハマーブルに薄っすら笑いかけた次の瞬間、キリシュの姿が掻き消えていた。
ハマーブルは速度を緩めないまま周囲に視線を走らせるもキリシュの姿が見つからず、トールへと突進方向を微修正する。
「――そちらから避けてくれるとは、手間が省けたよ」
ハマーブルの首が宙を舞う。
再び姿を現したキリシュは掻き消えた場所から一歩も動かず、ショートソードを振り抜いた姿勢だった。
キリシュのショートソードの金属反応で一部始終を把握していたトールは驚きこそしなかったが、口笛を吹いて賞賛する。
「透明化のエンチャントの方がよほど珍しいだろ。初めて見たぞ」
「音や匂い、熱は消えないから効果がない相手も多いけれどね。このエンチャントのおかげでピアムや衛兵に気付かれずに魔物の血を取りに行けたよ」
冒険者でもないキリシュが都市の外で魔物狩りをしてなおかつ見つからず十五年も同じサイクルを繰り返せたのはエンチャントがあったからかと、トールは納得する。
「さて、ここからは話している余裕もなさそうだな。様子見は終わりで本腰入れてきたみたいだ」
続々と集結しつつある金属反応の膨大な数にいっそ笑いそうになりながら、トールはキリシュに声をかける。
「そのエンチャントがあるなら偵察型の魔機獣を任せていいか? 俺は他を蹴散らすから」
「効率的だね。では、そうさせてもらおう」
キリシュの姿が掻き消えて、遠距離からトールを狙っている偵察型や狙撃型を暗殺に向かう。
トールは鎖戦輪を頭上で回転させ、迫りくる魔機獣をにらんだ。
「これで同士討ちを気にせず本気が出せる」
呟いて、トールは鎖戦輪を振り下ろす。
鞭のように地面に叩きつけられた鎖戦輪は藪に隠れてトールに銃口を向けていた魔機獣を斬り刻んだ。
※
夜の帳が赤い閃光に引き裂かれる。
即座に鎖戦輪を引き戻したトールは右足を軸に反転し、鎖戦輪で自分の体をらせん状に包んだ。
魔機獣から放たれた鉛玉が強力な磁場により、軌道を変え、鎖戦輪に引き寄せられる。
金属同士がぶつかる甲高い音が幾重にも重なった。
「間合いが読まれ始めてるな」
先ほどから遠距離攻撃が乱射されている。金属製の弾はトールの脅威にはなりえないが一々対処に追われていた。
「ちっ、面倒だな。――やるか」
舌打ちしたトールは大きく息を吸い込むと鎖戦輪を磁力で射出する。
狙いは森の奥から猛烈な勢いで駆けてくるハマーブルだ。しかし、トールの目論見はハマーブルの命ではない。
先端の鎖戦輪が輪投げの要領でハマーブルの巨大な角に引っかかった直後、トールは地面を蹴る。
鎖戦輪が磁力により一瞬で引き寄せられ、トールは空中で加速、風切り音を伴ってハマーブルの頭上を飛び越えた。
ハマーブルの巨体が作る死角を利用して狙撃の機会を狙っていた魔機獣が予想外の動きをするトールを見上げ、後退か迎撃か、判断を迷う。
「続きはあの世で考えて、どうぞ」
魔機獣の機械化されていない柔らかな肉体部分へと、身体強化を施した脚で飛び蹴りを放つ。
内臓を潰された魔機獣が苦悶の声を上げるのも気にせず、機械化されている部分に赤雷を纏わせて宙に放り投げ、襲い掛かる鉛玉の嵐にかざした。
ズタボロになった魔機獣の死骸を捨て、鎖戦輪の磁力を高める。
反転してトールに突進を見舞おうとしていたハマーブルが鎖戦輪の磁力の反発で速度を殺されて急停止を余儀なくされる。
「突進を受け止められてプライドがズタズタだろ? 仲間の胸に飛び込んで泣けよ」
突進力を相殺するほどの反発力でハマーブルの巨体を弾き飛ばす。
弾き飛ばされたハマーブルが転がりながら魔機獣の群れへと突っ込み、ボーリングのように仲間たちを弾き飛ばす。
転がるハマーブルの後を追いかけたトールは弾き飛ばされて体勢が崩れた魔機獣たちへと鎖戦輪を振り抜いた。
地面を撫でるような低い軌道で鎖戦輪が魔機獣たちを斬り殺す。
ハマーブルに止めを刺した直後、トールは即座にその場を飛びのいた。
肩すれすれをシャフトが短い矢が高速で抜けていく。
矢に金属反応がなかったことに顔をしかめたトールは矢を放った魔機獣に目を向けた。
「ボーピオン? 初めて見る型だな」
そこにいたのは巨大なサソリだった。
両方のハサミと特徴的な尾が魔機になっている。ハサミの間には直径二センチほどの太いワイヤーが引かれており、そこに尾を番えてクロスボウの弦のように引いていた。先ほど飛んできたのはサソリの尾部に形成された木製シャフトとガラス製の刃を持つ矢のようだ。
「絶縁体で作った矢かよ。学習しやがったな」
魔機獣は群れると互いに情報をやり取りし、標的を討伐するための効率を高めていく。
トールの赤雷相手に金属製では相性が悪いと気付き、絶縁体に切り替えたらしい。
トールが素直に避けたことから確信を深めたのか、飛び道具がことごとく木製やガラス製などの絶縁体に切り替わる。
トールは鎖戦輪を振り回して迎撃しつつ、幹や魔機獣の死骸を盾にして塞いでは攻撃の隙を作り出す。
キリシュはどうしているかと探ってみれば、透明化のエンチャントに対処され始めたのか討伐効率が極端に落ちていた。
このままではジリ貧だ。
「仕方がない。リセットするか」
鎖戦輪を手元に引き戻し、十枚の戦輪をまとめて右手に持って魔機獣たちに向ける。
一瞬の静寂の後、爆発的に赤雷が迸った。
キリシュの位置を把握して、トールは立ち位置を調整する。
大技の予兆を感じ取った魔機獣たちが一斉に退避しようとする。その後ろ姿に向けて、トールは鎖戦輪を投擲した。
それは、今までのトールの攻撃からするとあまりにも静かな一撃だった。
音速を超えた鎖戦輪が魔機獣の群れの中央を斬り裂く。
鎖戦輪の直撃を受けた魔機獣たちは両断され、絶命していく。
しかし、魔機獣の被った犠牲はそれだけではなかった。
群れの魔機獣たちは機械化された部分から火花を発し、毒でも浴びたように苦しみ悶えて転がり始める。
荒い呼吸を繰り返しながら喘ぐ魔機獣たちは身動きもできず完全に戦闘不能に陥り、緩やかに死を待つばかりとなっていた。
引き戻した鎖戦輪を右手にまとめつつ、トールは周囲を見回す。
先ほどの攻撃で倒れた魔機獣は二十体以上、それまでの戦闘でも四十体以上を倒しており、死屍累々のありさまとなっている。
近場には魔機獣がいなくなっていたが、クラムベローの防壁の方向からは時折魔法によるものと思われる爆発音が聞こえてきた。まだまだ、魔機獣は攻勢の手を緩めていないらしい。
魔機獣が群れている場所に移動しようと、トールが声をかける前にキリシュが戻ってきた。
「今の攻撃はなんだい?」
「誘電加熱だ。鎖戦輪を起点に電磁波を照射している。普通の生き物だと加熱時間の問題で表面に火傷を負わせられるかどうかだが、魔機獣は内部器官が金属になっている関係でかなりの効果があるんだ」
「うーん、言っている意味が分からないけれど、今まで使わなかったということは連発できないのかい?」
「射程が短い、即死もしない、魔力消費が激しいって三重苦の技なんだよ。ただし、これを食らわせるとその魔機獣の集団が蓄積していた経験が吹き飛ぶ」
使い勝手が悪いものの、複数の魔機獣の群れと長時間戦う場合にはこまめに使うことで戦闘を有利に進められる。
トールはマキビシを回収して数を確認する。
「クラムベローの防壁の様子はどうだ?」
「大きな混乱は見られないね。リスキナン氏とAランクパーティーの活躍か、衛兵隊の士気の高さ故か。いずれにしても、防壁の心配はいらないだろう」
「そうか。なら、クラムベローの外周を一巡すれば勝負は決まりそうだな」
マキビシをポーチに入れて、次の戦場へと向かおうと一歩踏み出した刹那――真昼になった。
肌を焼くじりじりとした陽光の強さ。木の葉を透かして木陰を払うまばゆさ。
経験豊富なトールですら急な環境変化に混乱し、たたらを踏む。夜の闇に慣れた目に真昼の如き明るさは痛みすら伴い、反射的に瞼を閉じると同時に赤雷を周囲に散らし、鎖戦輪で防御姿勢を取っていた。
遅れて、閃光弾を疑うが、持続時間も規模もおかしかった。
明順応した目をゆっくりと開く。
幹の凹凸が分かる。クラムベローの防壁上の人々が呆然として頭上を見上げている。遠くに連なる山岳のさらに遠くに夜の闇が怯えたように引っ込んでいた。
トールは視線を空に向ける。
「……なんだ、あれ」
空に浮かぶ球体が世界を照らし出していた。空高くに浮かぶそれは遠近感が分からなくなるほど巨大で、同時にひたすらにまぶしかった。
輪郭も分からないほど強烈な光を発するそれは緩やかに降りてくる。この場で唯一、トールだけはその球体の形状も大きさも金属反応から推測できた。
直径はおおよそ百メートル。全体に金属反応があり、形状はほぼ完全な球体。おおよそ生物とは思えない大きさと形状だった。
球体が魔法を発動させる。徐々に、しかし無数に形成されていくのはバスケットボール大の岩球だった。
トールは気付く。
輝く球体の上に突き破られた雲があることに。
丸く突き破られた雲は皮肉にも天使の輪のように見えた。
トールと同じように球体を見上げていたキリシュが険しい顔で呟く。
「落陽――」
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