第49話 校閲さんに付いてほしい
町で娘たちにターバンを買い与え、村では手に入らない物をいくつか見繕う。急ぎでなければ帰りにも寄るので、そのときに購入しようと決めた。
軍資金は泉のお金だ。誰かが投げ入れる物ではなく、勝手に湧き出す方の分だ。
村全体が一個のコミュニティとして成立しているため、お裾分けや物々交換でお金はいっさい使わない生活をしている。
泉でお金が出現しても、誰も欲しがらず、村長のゼインがまとめて管理していた物を預かってきたのだ。
よって購入する物も、村で役に立つもの──農作物の種や苗、香辛料や調味料などが中心となった。
町の中は家屋がひしめき合い、空き地と呼べるものはなく、広場は中央部のみで、各門への道が伸び、交差点としての色合いが強い。
道沿いには店舗が並んでおり、大まかに3段階に分かれ、外周部にいくほど低価格・庶民向け、中流階級向け、上流階級向けとなる。
各段階で外から持ち込まれる物を即売買する店、加工販売や飲食店が並び、それぞれの階層に見合った宿が連なる。
町の出入り口は東西南北4カ所にあり、使用頻度で大きさも異なっている。
一番大きいのは西門で、中央の都市との往来があり、扱う品も交易品が多く、低価格帯であっても庶民にはなかなか手が届きづらい。
二番目は北門で、ドワーフの里へとの往来がある。金属製品が鋼の剣から鍋の蓋まで幅広く取り扱われており、こちらも庶民が近付くことは少ないエリアだ。
三・四は同列で、森方面の南門、開拓村方面の東門と分けられており、森でとれる果実や茸類、獣などを扱う店が南に並び、未開の地でとれる珍品を扱う店が東に並ぶ。
リナの生家であるラピスラズリは、南側の中流階級向けの飲食店兼宿だ。
東の中流店で人鬼の相場を訊いたら、結構な金額となるようだった。旅費には十分な額だ。
外傷がなく素材も欠品なくとれる物であれば、更に金額は上がるが、出来っこないと一笑に付された。
【雷魔法】で延髄を焼いて脳死させるから可能といえば可能。というか既に【収納】内にあるのだが。
毛皮のとれる人猪なんかだと、さらに値段は上がるとのことだった。
町の外には耕作地が広がり、ここでも四圃輪栽式農法が取り入れられ、各門を境に4つの耕作地に分けられている。
その年々で異なるが、各エリアでの作物も門内の商店で取り扱われる。栽培作物を育てるエリアは家畜由来のミルクや肉、皮革が取り扱われることになる。
商店街を一歩路地裏に入ると、住宅街が広がり、地域で差が広がる。
北西部が最も裕福な上流階級の高級住宅が並び、外周にいくに従って小さくはなっていくものの、他のエリアの最上級よりも高級な仕上がりを見せる。
南西部と北東部が続き、中流階級から庶民階級が居を構える。
南東部は中央付近でこそ辛うじて中流階級、庶民階級が存在するも、下級、最下級となる貧困層が集まっている。人買いが棲み付くのもこのエリアだという。
この町は議会制をとっており、町人から税を集め、ゴブリンを始めとした人獣や、狼、猪といった野生動物から生活を守る壁の建設や、上下水の管理、自警団の組織など公共事業を行っている。
税を払えない貧困層の人間は、労働力を対価に町に住むことを許され、平時は小作人として農作業に従事している。
一方、自警団は教養とモラルが求められるため、中流階級から庶民階級で組織されている。
南の森の焼失がなければ、今頃は都市と呼べる規模になっていたのだろう。リィナの希望的観測は悪い意味で裏切られていた。
町を歩き回りながら、買い物ついでにいろいろな商店で話を聞き、森の焼失の話題に行き当たるたび、リィナは小さくなっていった。
東通りの商店街で貸本屋を見つけた。そこでまた一つ驚きと遭遇する。
文字言語が英語だったのだ。アラビア数字も混ざりつつも、単語のスペルや文法も元の世界のものと同じであった。
ただひたすらに日本語でなくてよかったと安堵する。平仮名、片仮名、漢字に加え、アラビア数字に英語のアルファベットが渾然一体になり、煩雑さは世界一だろう。
自らが子どもたちに教えるとなると、何の教科書も辞書もない状態では、正しく教授できるか怪しく、小児特有のナゼナゼ攻撃をかわし続ける自信もない。
同じ教えるのならば、労力は小さい方が有り難いのだ。
英文の読み書きは論文で慣れているから、何とかなるだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
文字を組み合わせて単語を作り、文章となり、物事を伝える道具となる。
英語は26種に大文字・小文字があって52種。トランプのカードと同じ数だ。『!』や『?』はジョーカーみたいなもの。アラビア数字を加えても64種の文字が使われている。
これに対し、日本語は五十音が旧字を除き46種。平仮名・片仮名で92種となり、数字を加えて100種を超える。そこに漢字が加わる。義務教育の間に2000種超だ。
自由が利く、汎用性があるといえば聞こえはいいが、身につけるにあたっては非効率極まりない言語である。脳の言語領域を占める割合が桁違いだ。
表現がいいからと他言語から言葉を持ち込むことが、更に状況を悪化させる。
言葉の輸入が悪いとは言わない。
余所では認識されていなかった味覚で、古くから親しみ、突き詰める技法まで編み出された『旨味』──『Umami』。
嗜好性の強い趣味や玩具の愛好者のことで、それまであった言葉では上手く表せないからと逆輸入され、広く世界に認知されることとなった『オタク』──『Otaku』。
そもそも存在していない言葉や、既存の表現での不足に対する的確な言葉などは、輸入する事で労力は抑えられる。
それでもかつては、外来語や新しい事象に対して、時の識者が新しく言葉を作り出したり、引用から世に広めたりしたこともあった。
「I love you.」が「月が綺麗ですね。」と訳されたという逸話は、『愛する』という言葉が世間に浸透していない時代の話。
今日、当たり前の表現は、もしかすると『月麗』や『月心』となっていたかもしれない。
今身近に存在する
自由の利く言語をもってして、認識・理解し易い自言語に置き換えることは出来なかったのか?出来なかったという
ルー○柴氏も驚きの、藪からスティックな言語体系が生み出されてはいないだろうか?
婉曲な表現を使って、相手が置いてきぼりになっている姿を見て、得意気になっているのは只の馬鹿だ。
言語とは伝達手段である。
伝わっていない時点で失格だ。
重ねておくが、他言語の輸入が悪ではない。
『ニュアンス』のように訳しようとすると、迂遠になる言葉はそのままでいいのだ。
このような難解な言語を正しく扱えるのであれば、言語能力が優れている証となり、ひとつの文化の結晶を手にしたとも言えるのだが──。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「リィナさん、月が綺麗ですね。」
「な、なんじゃ突然…? また何処ぞで女子を孕ませでもしたんか?」
「愛しています。」
「に、二度も言わんでいい! 子どもたちが見ているじゃろうが!」
「「「ヒュ~。パパたちアッツアツ~。」」」
真っ赤になるリィナと、茶化す子どもたち。
この世界に来てからの、会話での違和感の正体が掴めた。
口の動きと内容が一致していないのだ。
伝えたい意志に合わせて、自動的に翻訳されているようだ。
名前を呼ばれたときに違和感が抜けるのは、固有名詞で異言語でも同じ音をとるからか。
おそらくはマナのせいだろう。
伝えたいと思う意志が魔法となって相手に伝わる。言霊──言葉に宿る力。【音魔法】と呼べるものが普段から発現しているのではないだろうか。
地震の時にやった拡声のように、マナを纏わせ、伝えたい意志を強化してやれば──。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
酒を飲ませて記憶はトバした。
こんなときは面倒な体質に感謝だ。
信頼関係あってのものだろうが、手応え的には洗脳も可能だと思えた。
喉元にマナが集まっているときは要注意だな。
「来年にはお姉ちゃんになるのかな?」
「シルフィ、あとで蜂蜜を買いに行こうか。」
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