第2話

【一日嫁】


二話


「お、お前は……小学校の頃の憎き漆原 百合音(うるしばら ゆりね)!」

思わず席を立った。

「やっと思い出してくれたんだ。嬉しいよ。ひろ君」

奴はそう言いながら少し首を傾げて目を細める。

「ふざけるな!あんなことをしておいて、よくもまあぬけぬけと俺の家にやってこれたな!」

「まあまあ。昔のことなんだしいいじゃない。それより肉じゃがでも食べて落ち着きなさいな」

そう言って、彼女は俺の口の中に無理やりじゃがいもをねじ込んでくる。

「む……」

咀嚼をする必要なんかないほどに、素早く口の中で蕩け、新緑の大地を感じさせる暖かい甘さが口いっぱいに広がった。

「……美味しい」

「それはよかった!」

彼女は嬉しそうに微笑む。

しかし、なんでよりによってこいつなのだ?世界にはいろんな女性がいるのに、なぜまた俺はこいつと引き合わされなければならないんだ。

神のイタズラか悪魔の罠か……どちらにせよ最悪だ。

一番会いたくなかった人物と今日一日とはいえ、同じ屋根の下で一緒に住まなければならないのだ。

冥府の釜で焼かれた方がマシかもしれない。生き地獄とは、まさにこの事だな……

「どうしたの?怖い顔して?」

「……全部お前のせいだ。俺はもう寝る。ご馳走様でした」

「あら。そういうくせに全部食べてくれちゃってるのね。私的にはポイント高いよ」

「……飯に罪はないからな」

それだけ言い残して俺は自分の部屋に入り、ベットに腰掛ける。

いつもなら、家事をやらなくていいという幸せに浸りながら、有難く眠りにつけるのだが、今日ばかりは違った。

「……全く、なんで仕事で疲れて帰ってきたってのに面倒なのがいるんだよ」

頭を掻きながら時計に目をやると、まだ時刻は八時を過ぎた頃だった。

「寝るに早いな……あ、そうだ」

最近買った本があったのだった。暇つぶしにはもってこいだ。

内容自体はよくある、儚くも切ない青春恋愛小説だった。

俺には訪れることは無かった青い春。いや、奴に奪われたと言い換えてもいい。

だから、わざわざ都会から千葉にやってきたというのに……なぜ?俺の平穏な生活はどこに行っちまったんだ!

本の内容が全然入ってこない。仕方なく本を置き、ベットに横になるとため息が漏れる。

「あなた?」

部屋がノックされたと思ったらそんな声が聞こえた。忘れもしない。あのおぞましい声に頭が痛くなってくる。

「……お前なんかにそう呼ばれたくない」

「じゃあ……ひろ君?」

「もっとやめろ!身体中にじんましんが出るだろうが」

「まあ、なんでもいいや!入っていい?」

「ふざけるな!そこからは立ち入り禁止だ!そのドアを開けようとなどしてみろ?そんなことしたら……」

「ん?開けたけど?」

ドアの方を見やると、奴が少しばかり濡れた髪の毛をバスタオルで撫でるようにと拭いながら、首を傾げてみせた。ピンク色のバスローブからは蒸気した肩がチラリと見えている。

「……ざ、残念だったな。普通の男ならこのアホみたいなハニートラップに引っかかってたかもしれないが、俺はお前に鍛えられてきたんだぜ?その程度じゃ俺は騙されん!」

「じゃ、これはどうかな!」

そう言って彼女は俺に抱きついてこようとした。だが、そんなのはもう読めてる。昔っからのこいつの技みたいなもんだ。技に名前をつけるとするら押してだめならもっと押せ!ってところか。

「その程度、見切っておるわ」

奴の抱きつきを回避し、奴と三メートルほど距離をとる。

「……ちっ!」

「というか、お前は出てけ。俺はもう寝るんだよ。明日も早いしな」

「……ダメ、かな?」

「しつこいぞ……出てけ。そして、家からも出てけ」

「……わかった」

やつはしゅんとしていたが、そんなことは知ったこっちゃない。それに今日だけだ。もう奴に会うこともないし、これで俺はいつもの日常に戻れるってもんだ。

次の日も仕事だ。朝起きて家に奴がいないってことは多分、契約をあちらの方も切ったのだろう。

その事実に安堵しつつもいつものように仕事へと向かう。

仕事はそれなりの企業に就職したので定時とは行かなくともそれに近い時間には帰れるし、ゲームだって出来る。有難いことだ。

そんな独身ライフを脅かす馬鹿は排除しなければならない!今日の相手とも今日限りだ。だから、俺の家に来る嫁はあくまで一日嫁だ。それ以上でも以下でもない。俺は一生童貞でいるんだ!

仕事を片付けて家に帰る。今日は誰だろうか?奴じゃなければそれだけで俺は幸せだ。

「ただいま」

家のキーを開けて家の中に入ると、「おかえり!」と、聞き覚えのある声が返ってきた。恐る恐る顔を上げると、奴があのエプロン姿で玄関先に立っていた。

「……ごめんなさい。家を間違えました。ごめんなさい」

大切なことは二度言ってからドアを閉めようとすると、そのドアは何か強い力がかかったかのように動かなくなった。

「間違えてないから!」

「……おかしい。絶対に俺の家じゃない!」

「現実逃避なんてしないの!ほら入った入った!」

無意識の内にやつが近づいてきた時に構えて、一歩遠ざかり距離を置く。背中に剣でもさしてたら多分抜こうと構えてたと思う。

「……まだ怖い?」

「当たり前だろ……」

「私のせい……だよね」

「なら、わかんだろ?」

「なに?その、察してよね?みたいな言い方。口説いてるんですか?ごめんなさい。生理的に無理です」

「どうしたらそう思えるんだ。それに何故俺がお前に振られたみたいにならんといけないんだ?俺はお前のことが嫌いだ」

「酷いなぁ」

おどけて笑う奴に俺もふざけて返す。こんなひと時のせいで多分俺は昔、勘違いをしたんだ。

「どっちがだよ。あーあ、またちょっと辛くなったわ。部屋行くな」

「う、うん……」

あいつとはまだまともに喋れてる方だが、やっぱり女子は怖い。俺の半径一メートル以内にやってくると、拒否反応示しちまうし、会社の女性陣とは未だに事務的会話くらいしか出来ない。事務的に話すのは造作もないんだけどな。

「ご飯できたよー!」

リビング辺りから声が聞こえてきた。古いアパートなので壁は薄く、隣の声もガンガン入ってくるし、家の中だと尚更だ。

「はいはい」

小言程度に呟いてから部屋を出ると、食べる前からヨダレが口に溜まってしまうスパイシーな匂いが鼻をくすぐり、腹がそれを欲してるかのようにぐぅっと鳴った。

「この匂いは……カレーか?」

足が自然とその匂いのする方向へと向かっていた。もう、既にいつも座るダイニングにはゲテモノ料理と言われたって頷けるようなおぞましい色をしたものが白米にべっとりと塗りたくられていた。

「……なんであんなに美味そうな匂いしてんのに酷い色……もしかして俺を殺す気か?」

「見た目はよくないけど私特製のスペシャルカレーだよ!」

今日も上司にこき使われて昼抜きで働いたから胃がキリキリするくらい腹は減ってるし、匂いも俺の食欲を刺激してきていることも確かだ。

「騙されたと思って一口食べてみ?」

「……これ、死なないよな?」

「当たり前でしょ」

スプーンでそれをすくい、ゴクリと生唾を飲み込む。

決心を決めろ俺!

息をとめながらそれを一気に口の中に放り込むと、圧倒的な辛さが襲ってきた。舌がビリビリと痛いし食べただけで汗が出てくるのがわかる。

でも、なんでだろう。気がついた時にはもう一口俺はそれをすくいあげて口の中に運んでいた。

「どう?美味しい?」

「……初めてこんなの食った。美味い……美味いよ!」

俺がそういうと、彼女は目を丸くして頬を朱に染めた。

「いつもそのくらい素直ならいいのに……」

「ん?なんか言った?」

「いーえ?別に?」

不満げに言うとカレーをぶっきらぼうに食べ始めた。

これだから女ってのは嫌なんだ。別にとか言っておいてこの態度だもんな。本当にやってらんねえ。

でも、カレーには罪は無いし、明日持たなくなっちまうから飯だけは有難いな。

「ご馳走様でした。んじゃ、俺は風呂はいって寝るから。明日には出てけよ。お前だって良い奴見つけねえと結婚とか子供とか出来ねえぞ」

「ごほっぼこっ……な、なんさ!馬鹿!」

「一応、昔馴染みからの親切だろうが。じゃあな。くれぐれもついてくるんじゃないぞ。その時は然るべき場所へ訴えてやるからな」

「そんなことしないし!」

べーっと舌を出した奴などには気にも留めずにふろ場に向い、ベットで就寝。

そして、また次の日。今日こそもう居ないはずだ。あいつだって俺の事なんて嫌いなはずだし、昨日は多分あいつのことだしからかってきていただけだ。だから、今日は居ない。でも……今日は帰りたくねえ。

 二日連チャンで頭が痛くなるような思いをしてきたんだ。今日くらい満喫で泊まったって誰も文句は言うまい。


***


 横になれるくらいの広さの個室でパソコンを開くと、結構な頻度でログインしていたオンラインゲームを開く。ゲームとしてはよくあるプレイヤーが冒険者で他のプレイヤーと協力しながらダンジョンに潜って装備を集め、階層主のボスを倒しながら下の階層を目指してくゲームだ。まだこのゲームの最終階層の百階層まで着いた奴は居ないらしい。でも、俺はその手前まで行ったことはある。残念ながら99階層で敗れてしまったが……

「あ、ヒロくん。こんにちはー」

 苦い思い出を思い出しながらもそんなチャットが飛んできた。

「百合さん。お久しぶりです」

「お久しぶりー元気してた?」

「まあ……ぼちぼちですかね」

「およ? なにかあったん?」

 おっとりしたちょっとお姉さんっぽいこの人は百合さん。まあ、中身はおっさんかもしれないが、99階層に到達した時の感動を共有したフレンドだ。まあ、中身の性別がどうであれいいひとなのは間違いない。

「相談乗る?」

「……あの嫁制度あるじゃないですか? あれで小学校の頃の同級生に当たっちゃってちょっと雰囲気悪いんですよね。今も家帰れないって言うか……面倒っていうか……」

「へぇー奇遇だね! 私も今そんな感じなんだー」

 文字を打つ俺の手は止まった。いやいや。そんな訳ない。こんなに地球は広いし東京だけでも恐ろしい程の人間がいる。

 そんな中、こんな都合のいい話があるわけがない。

「へぇ。奇遇ですねー」

「……ひろくんだよね! 私だよ!」

「……は?」

 ついでに俺の頭の中の思考も停止したようだ。

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