第60話

 その恰好に『僕』は目を丸くした。何しろ里緒奈はS女子水泳部のスクール水着を着ていたのだから。お湯を浴びると、紺色のスクール水着が潤沢を帯びる。

「ちょっと詰めてよ、そっち」

「え……ええええっ?」

 平然と里緒奈が同じ湯舟に入ってきたせいで、胸の鼓動が跳ねあがった。『僕』は可能な限り端へ寄り、彼女との接触を避けようとする。

 にもかかわらず、里緒奈は『僕』の背中にしがみついた。

「ねえねえっ! ちゃんとPクンのカオ、見せてってばぁ~」

「#$%&~ッ!」

 声が声にならない。背中に柔らかいものが重なり、『僕』は真っ赤に。

「はっは、離れて! こんな……い、一緒にお風呂入って、くっついたりなんて……」

 しかし動揺するのは『僕』のほうばかりで、里緒奈はしれっと言ってのけた。

「いつもリオナ、Pクン抱っこしてるのに? おんなじことでしょ?」

「おぉ、同じなわけ……」

「いいのぉ? 大声出しちゃおっかなー」

 反論しようにも、恐ろしい手段で脅迫される。

 このシーンを目撃されようものなら、それこそ命がなかった。菜々留はまだしも、恋姫は『僕』を縄で吊るすくらいのことは、平気でやる。

 ここは観念して、里緒奈との混浴を受け入れることに。

 里緒奈は興味津々に『僕』の顔立ちを覗き込んだ。体重を掛け、スクール水着越しに身体を押しつけてもくる。

「ほんとに人間の男の子なんだあ……なんとなく美玖に似てるかも」

「そりゃ兄妹だし……み、美玖の兄なんだからさ、人間とは思わなかったの?」

「あれ? 考えたこともないよ。どうだっけ?」

 おそらく認識阻害の魔法の名残だった。

 里緒奈たちと出会った頃、『僕』は魔法で正体を誤魔化している。それを引きずっていたのか、彼女は『僕』の正体が人間だとは夢にも思わなかったらしい。

「美玖は妹だから知ってるとして……菜々留と恋姫は?」

「し、知らないはず……だよ? 多分」

 里緒奈がお湯をかき分けるだけで、どきりとした。

 緊張しつつ、『僕』は身体を強張らせる。――しかし硬くなればなるほど、里緒奈の柔らかさを余計に意識してしまう。

 裸で縮こまる『僕』に対し、里緒奈は圧倒的な優位に立っていた。

「ふぅーん? じゃあ水泳部のコーチやってるのも、世界制服なんて始めたのも……」

「それは、その……ごにょごにょ」

 水泳部のコーチは認識阻害の都合で、世界制服は占いの結果で、と説明しようにも、こちらは言葉を飲み込むほかない。今は何を言っても言い訳になる。

 まともに話せるだけの余裕もなかった。

(胸! 胸が当たってるんだって!)

 夢いっぱいの果実が『僕』の背中でひしゃげる。

「ねえ、Pクン。Pクンが人間ってことは、ふたりには秘密にしとかない?」

「え? どうして……」

「面白そうだから! いいでしょ? ねっ!」

 この柔らかな拘束を振り解いて、NOと言えるはずもなかった。いつ菜々留や恋姫が風呂場の異変に気付くとも知れず、『僕』は即答する。

「わ、わかった。黙ってるから……」

 とにかく一秒でも早く解放されたかった。

 里緒奈は嬉しそうに微笑む。

「約束だからね?」

 ところが、内緒のバスタイムはまだ終わらなかった。ぬいぐるみ相手にするように、彼女は『僕』の腰に両腕をまわし、スクール水着越しの抱擁を深めてくる。

「Pクン、今夜はリオナが背中流してあげよっか?」

「ひゃいっ?」

 あまりに魅力的すぎるお誘いを受け、『僕』は悲鳴を噛む。

 妹の友達が、アイドルが、スクール水着で――。ぬいぐるみの時は平気でいられたムラムラが、『僕』の頭を過熱させる。

「Pクンのスポンジって、これだっけ?」

(いやいやいや! さすがにマズいよ、これは!)

 抵抗はあった。それと同等に期待もあった。

 ただ不幸中の幸いにして、『僕』はヘタレだった。

「Pクン、カユいとこあるぅ?」

「ぜんぶ~」

 ぬいぐるみに変身することで、ハニートラップを回避。

 男子の身体ではなくなったおかげで、煩悶するほどのムラムラも引く。『僕』はすべてを里緒奈に委ね、素直な気持ちで桃源郷へ。

「また内緒で会おーね」

「……え?」

 プロデューサーとアイドルの関係に小さな変化が芽生え始めていた。


                  ☆


 月曜の朝がやってくる。

 『僕』たちはいつも通りの時間に起床し、登校の支度を済ませた。朝ご飯はトーストとサラダ、ハムエッグなど。プロデューサーとして栄養面に抜かりはない。

 苦めのコーヒーを味わいながら、天気予報をチェックする。

「今週は晴れるみたいだね」

「ゴールデンウィークまで持つといいわねえ」

 しばらく快晴が続くとの予報には、『僕』もほっとした。

「洗濯物は僕が干しておくから、行っておいで」

 しかし毎度のように恋姫から厳しい念押し。

「お願いします。でも下着には触らないでくださいね? P君」

「触らないってば……」

 ぬいぐるみの『僕』が溜息をつくと、急に里緒奈が立ちあがった。

「ちょっと、恋姫? Pクンがそんな変態っぽいこと、するわけないでしょ? ぬ・い・ぐ・る・み、なんだから」

 唐突な反論に恋姫は目を点にする。

「里緒奈? どうかしたの?」

「べ、別にぃ? Pクンにはお世話になってるから、フォローしたくなっただけ」

 菜々留も首を傾げていた。

「まあ確かに恋姫ちゃんは最近、少し言いすぎかもしれないわね」

「わ、わかったわ……P君もごめんなさい」

「僕は気にしてないよ? 全然」

 里緒奈は座りなおしつつ、『僕』にだけウインクで合図する。今しがた『僕』がぬいぐるみだと強調したのも、例の秘密を守るため。

(参ったなあ……)

 彼女に『僕』の正体が人間の男子だとバレたのは、一昨日のこと。里緒奈はほかのふたりには話さず、『僕』と秘密を共有することになった。

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