ひとりぼっち・イン・ブルー 「海と、夕日と、風と。――第一回“描写”短編小説杯」参加作品
深く深く青い海、澄み渡る青い空。
潮風は波を運び、波はまた水を運ぶ。
空は晴れ、
この世は青で満たされているんじゃないかと思えるような見渡す限りの青。
飛ぶ鳥も、漂う海月も、ここにはいなかった。
ただあるのは一床のいかだと男であった。
背丈は普通、着心地の悪い服のよく似合う男である。
両の手を麻縄で帆柱にしっかりと括りつけられていた。
男は普段からお世辞にもいいとは言えない素行だった。
善良な市民を襲い、金品を奪い、その金で酒を飲み、女を買う。
とにかく誰かからの恨みを買う毎日を送っていたものだから当然、なぜこんなところにいるのか。そんな疑問はなかった。
自由もない、食糧もない、希望もない。
この男が飢えて死ぬのは時間の問題だった。
あるいは嵐に遭って飢える前に死ぬか。
思い返せば生まれたときから碌な人生を送ってこなかった。
父親の顔は知らない。母親は酒を飲むか、知らぬ男に抱かれるか、自分を痛めつけていた。
そんな母親も自分が初めて酒を飲む頃には
学び舎に通えず、まともな職も就けず、友人と呼べるような人間もいなかった男にとっては無法で不毛な毎日などくだらなく、どうでもよかった。
だから、これから訪れるであろう死も最早どうでもいいものだった。
寧ろ、やり直す
ただ、少しだけ気がかりなことがある。
それは、なぜこんな回りくどい殺し方をしているのか。
恨みがあるのであれば一思いに殺せばいい。
責め苦を与えたいのであればもう少しやりようはあるだろう。
男に恨みがあるような人間は、昨日金を奪った行商人だろうか、食い逃げをした酒場の主人だろうか、強引に抱いた女の旦那だろうか、半殺しにした前の職場の上司だろうか。
思い当たる節ならいくらでもある。しかしそれが誰であるかは男にとって些末なことであった。
しかしその時、目の前の
もう少し見ているとあぶくがだんだんと大きくなってきた。
男は気になり、そこを見やると黒い影が見えてきた。
鯨か、鱶か、影は段々と濃く、大きくなる。
そして大きな音としぶきをあげて海から顔を出した黒く、大きなそれは人の顔を持った大魚だった。
確か噂には聞いたことがある。
見間違いだろう、とその時は流していたが本当にいるとは。
恐らくこれは
しかしそんな考えとは裏腹に男の体はガクガクと震えていた。
生まれてこの方腕っぷしで負けることはなかった。
故に怖いものなどなかったし、ましてや化物がいるなんて思ってもみなかった。
髪魚は大きな口を開く。
磯と腐った肉の臭いがたちこめる。
口の中は深い深い闇に支配されていた。
男は本能的に勝てないことを悟った。
さっきまでどうでもいいと心から思っていた命が物惜しかった。
仄暗い口の中をよく見ると、口の壁にいくつもの苦悶に満ちた人の顔が張り付いていた。
そして今、男は総てを理解した。
深く深く赤い海、淀みゆく赤い空。
潮風は波を運び、波はまた水を運ぶ。
空は暮れ、
この世は赤で満たされているんじゃないかと思えるような見渡す限りの赤。
飛ぶ鳥も、漂う海月も、ここにはいなかった。
Special Thanks
延 暦 寺様
素敵な企画ありがとうございました。
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