5
10分程度経った頃に、私の方の我慢も限界に達した。体の輪郭の形にシーツを濡らして、おでこに脂汗を掻くようになった彼は、時折正気に戻るものの、じらしている時は真性のMの男性のような、気弱で虚ろな灰色の眼をするようになっていた。もう私を意識的に見ることもなくなり、視線は天井に向くことが多くなった。今の私しか見られない光景だと思うと優越感でぞくぞくはするけれども、いつもの帆純から魂が抜けたようで、物足りなくて不安な感じ。身体も、身体中の筋肉が弛緩して、虚脱しているように見えた。明らかな止め時だった。
私は足を大きく広げる形でシーツの上に座り直した。この形で座ったのは、彼をイカせるのに集中するためと、自分のパンティが今どうなっているかを晒して誘惑するためだ。
私は右手を加速を付けて動かしながら、彼を愛し気に見つめた。勢いが強まる度に、彼の目が生気を取り戻す。やがて彼の目はSを連想させる野性味を帯びて来た。恨めしそうに私を見た彼と視線が絡んだ時に、被虐の欲望で身体の芯からとろけそうになった。この時に彼と一番長く視線を交わした。責めている時、徐々に灰色の眼になっていく彼とは、いつも点でしか目を合わせられない。こちらから視線を逸らしてしまうのだ。小悪魔を演じ切れない負い目と、彼のことを、女の本能の部分では怖がっている、という弱みの両方が、そうさせるのだろう。でもここで手を止めたら、どうなるだろう。きっと彼は私に懇願する。イカせてくれって。お願いだからイカせてくれって。それだけは本当でしょう。あの時みたいに。そうでしょう。私は固唾を飲むと、ベッドを激しく揺らす勢いで彼のものを激しく擦り始めた。バカみたい。どこも触られてる訳でもないのに、いつの間にか勝手にいやらしく喘いでる。腰まで振ってる。激しい動きにかこつけて。耳元で自分が自分を責める声がした。私の理性が私の感性を責める声。はっきり聞こえた。聞きたくない。聞きたくない。帆純、助けて。この声が聞こえなくなるほど早く私のことぐちゃぐちゃにして。気持ちいこと以外何も考えられない位、私のことぐちゃぐちゃにしてよ。
束縛された快感の狭間で、彼のものを左手も使って、粘液を泡だらけにする勢いで擦り上げていた。やがて私の両手の隙間から、白濁した精液が勢い良く噴き出した。飛び散った精液が、私のお腹とパンティを汚した。パンティを履いたまま、徹夜明けの彼にされた時のことを思い出した。
私は枕元のティッシュを無造作に取ると、彼のものを拭き、自分の汚れた身体も拭いた後で、小さな子に自分のやったいたずらを示すように彼に汚れたティッシュを広げて見せた。
「こんなに出して、やらしいな」
「……」
声、震えなくて、良かった。彼は力が抜けた様子で、ぐったりとしていた。胸元では程良く締まった大胸筋が規則的に上下している。身体を休めながら、頭では射精の余韻を記憶を反芻しながら楽しんでいるようだ。今はもう、話しかけない方がいいみたい。彼の体力が回復したら、私が攻められる番。だから、機嫌を損ねられたら、困る。
私はベッドを離れると、冷蔵庫を開けた。インテリアに調和した、海外製らしき木製扉の中型冷蔵庫の中にはミネラルウォーターのペットボトルが5本入っていた。私はミネラルウォーターを2本出した。1本を彼に渡した後、もう1本の封を切って飲む。身体が汗を掻きすぎていたのだろうか、飲んだ水が即座に身体中に染み渡っていく感じがして、飲むのを止められず、一息で半分まで開けてしまった。ミネラルウォーターをサイドテーブルに置いて、バスルームの扉を開けた。ホテル特有の大きな三面鏡の脇にあったバスタオルを2枚取って戻ってくると、彼はシーツを引き上げて下半身を隠した状態で、ミネラルウォーターをビールを呷るようにして飲んでいた。緩くウエーブがかった黒髪の毛先が汗で濡れていた。まだ虚脱感が抜けていないようで、右腕を後ろに回して、肩で息をしながら、けだるそうな顔で天井を睨んでいた。
バスタオルを彼に渡すと、私はタオルで体を拭いて軽く身体に巻いた。窓際に行き、リゾート風の木製ブラインドを指でずらし、時間潰しのために外の景色を眺めた。パンティの中はとうに冷たくなっていて、生地が肌に張り付いて不快だった。でも、その冷たさが私の頭を冷静にもしていた。10階の部屋だったから色々なものが見えた。絵の具の空色を水で更に薄く伸ばしたような空には、細く長い雲がたなびいていた。その下にはテーマパークの目玉のアトラクションの一部が見えた。観覧車、ジェットコースター、ウオーターライドなど。狭い一角にひしめき合っているそれらの入場口を、ジグザグに点で繋ぐように移動機関車の線路が走っていた。その下にあるのはテーマパークのキャラクター達が描かれた原色の建物の街だ。室内アトラクションやレストラン、お土産屋等。甘いお菓子のような外観のそれらの間をアリの群れよろしく、家族連れやカップル達が忙しく行き交っている。ここから飛び降りたら、即死だろうか。飛び降りる勇気もないのにそんな残酷なことを思った。
この部屋はある意味、空の上で隔離されているようなものだから、下界の喧騒はここまでは届かない。だから窓から見下ろす景色は、音を消した映像を見せられているようで、ここがお金を払ってパッケージングされた幸せを楽しむ場所であるということが、よく分かる。私達もさっきまで、あの中に紛れていた。でも今はここで、違う時を過ごしている。私達は、いや私は、あそこに紛れることは出来ても同化することは絶対に出来ないだろうと思う。なぜなら、私は本当はもうずっと前から、パッケージングされた幸せの嘘に気づいてしまっている。嘘に気づきながらその幸せを甘んじて受け入れるなんて、真綿で首を絞められながら生きていくみたい。現にあそこにいた時に、ずっと息苦しかった。……私の現実は正常に上書きされたみたい。良かった。だって現にもう外の光景を見ても、良く出来てるとは思えても、きれいだとは全然思えないから。
「綾、おいで」
ベッドの上で私を呼ぶ彼の声は、いつも通りの優しい声だった。振り返ると、彼はベッドの上で半身を起こしていた。伏し目がちに、しなを作って彼の傍らに座ると、巻いていたタオルをはぎ取られて、右手で腰を抱き寄せられた。私は不意に腰を抱かれたり、くびれに手を回されたりすると弱い。男の人に触られている、いけないことをされている、と必要以上に意識してしまうのか、服の上からでも感じてしまうこともある。好きな人ならなおさらだ。座り直すふりをして身をよじって意識を逸らそうとしたが、彼の右手も私が動く度に追いかけてきて、逆効果だった。
彼は私のくびれを下から上に撫でた。思わず彼の真正面に手を付いて吐息を漏らしてしまう。飼い主にお腹を撫でられてる猫みたい。綾はこれ、弱いんだ?彼が確認するように言う。私は俯いて頷くと、弱点晒しのリカバリーのために、彼の首筋に手を回してキスをした。
舌を絡め合う最初のキス。時折彼のタイミングで、息継ぎをするように唇を離す。視線を絡めた後で、もう一度相手の唇の味を確かめるように、また唇を合わせる。そんなことを数回繰り返した後で、私は彼に馬乗りになった。ふくらはぎを渡した時に彼の回復したものに触れた。パンティがまた、ぐしょぐしょに濡れ始めていることに気づいた。お辞儀をするように顔を下げて彼のものを軽く口に含んで舌でもきれいにした。右手をあてがった状態で、おねだりをするように彼を見つめる。
「綾は俺のこと好き?」
「うん……帆純は?」
「俺も好きだよ」
「……前の彼女より?」
「どの彼女?」
「前話してくれた彼女、本が好きな」
「ああ、あの子」
「あの子より好き?」
「……うん、好きだよ。好きじゃなきゃ結婚しない」
「……」
「少なくとも、あの子は綾みたいにセックス上手くないよ……綾より2つ年上だったけど、どっちかって言うと、セックスがあんまり好きじゃないみたいだった」
彼は私を宥めるようにキスをした。上手くごまかされたと思ったが、彼の方はもう焦れているようで、「セックス以外では、私のどこが好きなの?」と問い詰めることは出来なかった。私は彼から目を逸らした。極論、私の奉仕が彼の中であの人に変換されて楽しまれていたかもしれないってことか。彼は、俺と言っていたのに。私の名前だっていっぱい呼んでいたのに。
考えれば考えるほど、泥沼にはまりそうだった。自分の中で捏ね上げた仮説のようなものはあった。その仮説の結論では、彼はあの人をけして忘れられない。覚悟は出来ていた。でも。彼に少しずつ教えてもらった事実が、今、矢印と疑問符で繋がれて、円になり、脳内で無限ループのように一人でに回り出してしまったのだ。円状の刃物になったそれが、私の心を切り裂いていく。自分で自分の墓穴を掘ったかもしれないことが悔しくて悔しくて堪らなかった。言葉で胸がえぐられるとはこのことだ。そう思ったら、実際に胸が張り裂けそうに痛み出した。自分が気づいてないだけで、私はもう、魂だけ抜け出て、窓際から落ちていたのかもしれない。
「綾はこれからどうして欲しいの?」
「……」
「何もして欲しくないわけないだろ?」
「……後ろから、して欲しい」
「……本当バック好きなんだな、お前」
私は、私は平静を取り戻すために彼にキスをせがんだ。彼の右手が私の顎を掴む。そのまま顎の下を宥めるように撫でられていく。今度は犬になった気分だった。私の舌が、さっきよりも震えていたことに彼は気づいているだろうか。絶対に気づいていない。そう思うと、やり切れなさがこみ上げ、彼があからさまに焦れるまでわざとキスを長引かせた。
彼は半ば強引に唇を離すと、私に後ろを向いて腰を上げるように言った。
言う通りにすると、彼にパンティを見せつけるような姿勢になった。自分の恥ずかしいものが彼の手に届く位置にある。恥ずかしさで俯いてしまう。さっきまでは散々見せつけて、誘惑していたのに、いざ向こうに責められると思うと、小さな恐怖が芽生えた。こんな時、私は策士にはなり切れないと心底思う。根が臆病。心の底では人を怖がっている。
「綾、自分でパンツ降ろして」
「……はい」
「綾だってぐしょぐしょになってるじゃん、何でこんな風になってるの?」
掠れ声で、ごめんなさい、と謝った時に、声が上ずってしまった。自分の言ったことに自分で興奮しているかのように、ぴくん、と腰が動いた。彼はそれを見逃さなかった。ぱしん、と勢い良く肉を打つ音が部屋中に響き、お尻の右側から焼けるような痛みが逆流するように襲って来た。目に涙が浮かんで、悲鳴を上げまいと食いしばった歯の隙間から、荒い息が過呼吸のように激しく漏れる。
痛みは脳内を散々暴れまわった後に、皮膚の隙間から抜けていくように引いていった。叩かれたお尻の右側には痺れが残った。
彼は私の耳元に顔を寄せると、優しい声で囁いた。
「叩いたりしてごめんね。でもさっき綾が俺を散々いじめたから、俺もこうしないと、いけないと思ったんだ」
愛し気に私の頭を撫でながら言う彼に、涙目で頷く。彼は私の涙を人差し指で拭うと、子どもに微笑み掛けるような笑みを向けた。
満足したように自分も頷くと、彼は再び右手を振り上げた。
もうどうにでもなれ、と思ったら、痛みがふっと消えた。私は被虐の海に沈んだ。海の水は甘いことを私はしばらくして知った。私はその水を、溺死寸前まで飲み込んだ。
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